紛失



「ユルスン、ユルスン。あれ見て」


 岩の陰から示す。小さな茶色いものが鼻をひくつかせていた。


「あれはなんという動物?」

「アブラ……ナキウサギだよ」

「かわいい」


 メイファの知っている兎とはだいぶ違い、ずっと小さく耳は短い。どちらかというと鼠っぽい。


「かわいいもんか。ヤクの牧草地を掘り返す害獣さ」


 ユルスンの態度は当初よりかなり砕けた。静かな口調は変わらないが冗談めいてよく笑う。彼の本来の性格が垣間見えたようでメイファも嬉しい。


「食べられる?」

「よっぽど困らなきゃ食べないよ。逃げ足が早くてすばしっこいし」

「よかった。アニロンの人はいつも麦焦がしばかり食べるの?」


 ユルスンが着けている腰の巾着の中身はその粉だ。火や水に撒いて神々に感謝を捧げる用途もある。


「ドーレンのような畑地は作れないから蔬菜やさいはほとんど食べない。乳や麦粉、たまにヤク肉や羊肉」

「飽きない?」

「とくに。ドーレン人もお米しか食べないじゃないか」

「麺もあるよ」

「それならアニロンにもある」

「王は何がお好き?」

「なぜ?」

「日持ちする食べ物もいろいろ持ってきたけど、お好きなもののほうが喜ぶでしょう?というか、ユルスンは王を知ってる?」

「……うん。ゲーポは食にはこだわらないよ。好きなもの……なんだろう」

「お年を召しておられるから固いものは避けたほうがいいよね」

「どういうこと?」

「わたし、鏡で王の後ろ姿を見たの」


 さすがはシャオニで、荷のなかには母の形見もしっかり入っていた。堂々と説明できるのはユルスンの力について聞いたおかげだ。こちらも摩訶不思議な鏡について屈託なく話せた。


「白いおぐしで大柄な方だった。もう少しでお顔が拝見できたのだけど。……ユルスン?どうかした?」

「あ……いえ、なんにもない」


 よほどびっくりしたのか、慌てて背を向けて進みだす。


「ユルスン、ごめんなさい。変な話だよね。からかったわけじゃないの」


 しばらく、彼は無言だった。メイファは動揺してなんと声をかけていいのか分からない。

 やがて大きな息を吐いて振り返った。少しだけ目が潤んでいる。


「ごめん」

「ううん、こちらこそ。怒っちゃった?」

「いいえ。ただ、その鏡のことはあまり人に話さないほうがいい」

「うん……」

「あとハズレてる。ゲーポは老人じゃない」

「そうなんだ。じゃあわたしが夢でも見たのかな」


 恥ずかしくなって急いで鏡を荷の奥底にしまい込んだ。ユルスンはじっとそれを眺めて、ねえ、と訊く。


「その鏡、せ物捜しもできるの?」

「何がどこにあるのか?どうだろう。やってみたことない」

「メイファ。白い獅子ししを見なかった?ドーレンで……ここへ来る途中で。噂や怪談でも聞かなかった?」


 白い獅子?全く心当たりがない。


「その白い獅子がどうかしたの?」

皇帝ファンディにお預けするはずだったんだ。公主ゴンジュと引き換えに。でも逃げてしまった。無事なのか、心配で……」


 切なげに俯いた。獅子自体、小説や絵巻でしか知らないメイファはよほど貴重な獣だったのだろうと同情した。


「大丈夫。皇帝は他にも珍しいものをたくさん持ってるから。キリンって知ってる?首がうんと長いやつ。ゾウは鼻がヘビみたいなの」

「なにそれ、こわい」

「本当なの!」


 メイファの身振りに吹き出した。ユルスンが元に戻った。


「落ち着いたらこの鏡で映せないかやってみる」

「……うん。じゃあお願いしようかな」


 差し出された手に掴まり、道無き急勾配を下りると前方に空色の吹き溜まりが見えた。


「ユルスン、あれ!水場じゃない?」


 土にもぐってしまった沢が下流で溜まったのか、素晴らしく清らかな泉だ。メイファはユルスンの手を離し、喜び勇んで駆け出した。助かった、これで水が補給できる。

 背後でユルスンが声をあげた。てっきり同じように喜んだのかと思った。


「――――待って、メイファ‼」


 叫ばれたが、足先は水に触れていた。




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