虚偽



 ふわふわとした滑らかな毛ざわり。あの時は渋々ハオインの言うことを聞いて、値切りだおしで有名なごうつく商人と対決する羽目になった。できるならわたしだって犬と無邪気に遊んでいたかった。

 それは結局叶わなかったはずだが、この感触はなんだろう。おぼろに浮いた疑問で覚醒した。


「大丈夫?」


 はっとして声の出処を見やると異郷の青年が焚き火を挟んで胡座あぐらをかいていた。


「ごめんなさい……寝ちゃってた」

「疲れたでしょう。ごはんは明日にしますか?」


 周囲はすっかり夜で、竈ではすでに捌かれた小動物の肉が炙られている。起き上がると掛けられていたものに気づく。内側に毛皮を貼った上衣うわぎだ、ユルスンの。すぐに丸めて返した。


「ごめんなさい!あなたが風邪ひいちゃう」

「ここは狭いし火で暑いくらいだから平気」


 メイファの慌てようがおかしかったのか、初めてくすりと笑った。


「メイファさん、勝手に荷を開けさせてもらったよ。器がひとつあったはず、少し待って」

「うん」


 森の影を移動する山猫に似たしなやかな身のこなし。背を眺めた。それにしても華奢なひとだ。男に使う表現ではないのだろうが、冬の厚い衣を着ていても分かる薄い体つき、細い手脚、しかも女顔でまるで異性という気がしない。


 剣、それに弓を持っているが手には傷ひとつ無い。それを疑問に思う前に注意が逸れた。


「これで湯を沸かしましょう」

「うん。……ねえ、訊いてもいい?最初に会った時どうして沢の水が飲めなかったの?」


 ユルスンは瞬いて黙り、指を組む。


「……僕もひとつ。ドーレンには、『見えざるもの』たちがいますか?」

「見えざるものたち?」


 急な話題に目を白黒させた。


「湖や山や樹木の精霊たち、天や地の神々。アニロンは古くからそれらに守られてきた場所です」

「ドーレンには仙人や仙女になったひとの伝説はあるけど……皇上ファンシャンが神の子孫だとも言うかな。でも人間だよ」

「そうですか。ここでは神々たちを怒らせるのは良くありません。とくにこんな深い山、アニロン人なら遠回りになっても避けて通る……」


 メイファは岩のささくれを見回した。「わたしたちのことを怒ってるってこと?」

「いえ、きちんと祈りと犠牲を捧げ許しを請えばなんら問題は無いのです」

「ああ、それで」


 案内役たちは入念になにか儀式のようなことをしていた。あれは山の神に祈っていたのか。


「この山を抜けたほうが近いからあえて入ったんだね」

「……メイファさんは、アニロンの情勢をどれほどご存じ?」


 また突然、ユルスンは神妙に問う。


「あなたは公主ゴンジュがなぜここへ嫁ぐのか把握している?」

「二国の和睦のためでしょう?」


 皇帝のもくろみはさておき、名目上はそれが第一だ。


「ドーレンと和平を保ちたい穏健派と攻め込みたい過激派が対立して大変だ、って」

「サンデルが言ったのですか」

「知ってるの?」

「彼は大臣カルンの一です。……なるほど、そんな嘘をつくほど刺客を警戒したのですね。初めから公主をこの山で亡き者にする予定だったのか……やってくれる」

「どういうこと?嘘?嘘って?」

「ドーレンと協調関係を望む一派がいるのは確かです。でも、攻め込みたい過激派などいません」


 メイファはぽかんと口を開く。


「でもそれで内乱になったって」

「内乱の原因は、平たく言えば謀反むほんです。……王弟が兄王を城から、追い出したのです」


 ユルスンはひどく辛そうに眉間に皺を寄せた。


「じ、じゃあ、今のアニロン王はその王弟ということ?穏健派だと聞いたけど、」


 謀反したくらいなら、シャオニが言ったように公主を人質にドーレンを強請ゆする算段なのか。そうだとしたらほいほいとアニロンへ入れない。


「穏健派と言えば耳ざわりは良いですね。いずれも帝国と争う気のある者はいません」

「よかった」

「さあ、けれどドーレン皇帝が腹黒いことも分かっています。分かった上で謀反し政権を奪った」

「じゃあやっぱり公主を手中にして脅しの材料に?」


 ユルスンは首を振った。


「そもそも公主降嫁は皇帝からの打診でしたもの」


 ざあ、と幻聴が聞こえるほど血の気を失った。




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