第9話 悲嘆の祈り
少し先に、修道院の建物が見えてきた頃には、もう日は昇りきっていた。俺は思いの外、遠いところまで歩いてしまっていたらしい。らしい、というのもあのストーンサークルに行くまでの記憶がひどく曖昧であるからだ。まるで夢遊病患者のように、俺はあそこまでの距離を歩いていた。
それにしても、ヨハンナは俺を良く見つけてくれたものだ。広大な森の中にいるひとりの人間を探し当てるなんて、中々できる芸当ではない。追いついたタイミングを考えると、俺がこの修道院を出てからそう時間が立たないうちに、俺を探しに森へ入ったのだろう。
ヨハンナの背中を見ながら歩く。修道女としては、道中も隙のない足取りで、効率的な身体の使い方を知っているように思えた。ストーンハーストに来る前、彼女は一体何をしていたのだろうか。
修道院に近づくと、鋼鉄の正門の内に、フードを被った小柄な人が立っていることに気づく。彼女は祈るように胸の位置で手を重ね、顔を伏せていた。
――アマルだ。
どうやら俺をわざわざ出迎えてくれたらしい。
手を振りながら大声を上げる。
「おーい、アマルっ!」
アマルはその声に直ぐさま反応し、ぱっと顔を上げた。
「アンディさまぁ!!!」
彼女は扉前まで走り、鉄柵を握りしめ必死に俺の名を呼んだ。
俺は早足で、正門に近づく。ヨハンナもそんな俺に溜め息をついて、後に続いた。そして、正門に着くとヨハンナは懐から鍵を出し、扉の錠前を解錠する。
俺はそれを待ってから、ゆっくりと正門を押し開いた。敷地に入るとアマルがすぐさま飛び付いてきた。何とか抱き止めたものの、その勢いを殺しきれずそのまま後ろに倒れ込んでしまう。
「あ、アマル、こらっ、勢いつけすぎだ。いたた、尻を打ったぞ」
アマルから押し倒され、抗議をしようと顔を上げた瞬間、頬に大粒の水滴が降ってきた。
……それは、アマルの涙だった。
次から次へと涙がこぼれ落ち、俺の頬を伝う。
「あんでぃ、様。アンディ様、アンディ様っ、アンディ、さまぁ!!」
アマルは、俺の名前を何度も、何度も呼びながら、悲痛な声で泣き叫ぶ。思わず、身を起こしてアマルを強く抱き締めた。アマルは俺の胸にすがり付き、身体を震わせる。
アマルの身体は、氷のように冷たかった。勝手に修道院から抜け出した俺を心配して、ここでずっと待ってくれていたのか。俺は、胸がきゅっと切なくなった。
「アマル、心配かけてごめん、ごめんな」
「あ、あんでぃ様、お部屋に居なくて、修道院中を探しても見つからなくて、私、ああっ、もう帰ってこないかもしれないって……うぇ、ひっぐ、えっ、アンディ様ぁ」
ヨハンナに俺を探させたのは、アマルなのかもしない。俺が居なくなったことを一番に気づく確率が最も高いのが彼女だからだ。
「うん。ごめんな。ちゃんと帰ってきたよ。アマルのところに帰ってきた」
「あん、でぃ様、アンディ様、ああっ、私を置いていかないで……ひとりにしないで……っ」
「大丈夫、大丈夫だ。置いていかない。アマルの側にいる」
それを聞いてアマルは、肩の力を抜いた。落ち着くように背を撫でる。少しすると、小さな寝息が規則的に聞こえてきた。ずっと立ちっぱなしで疲れきってしまったのだろう。
俺は呆然と、アマルの寝顔を眺める。
まさか、こんなに泣かせてしまうなんて思ってもいなかった……。
「黒殿、とりあえず修道院の中へ入るべきかと。私は先に戻って、ベネディクト司祭に報告をしてきます」
困ったように俺たちを眺めていたヨハンナは、そう言って先に修道院へ戻っていった。ああ、何だか気を使わせてしまったな。
暫くしてから、俺はアマルを横抱きに持ち上げた。壊れ物を扱うように細心の注意を払い、ゆっくりと修道院に向かった。
***
修道院に入り、廊下を歩いているとフランチェスコが、俺を見つけて駆け寄ってきた。
「黒の旦那! 良かった、戻って来たんですね。無事で何よりでぇ」
「ああ、心配かけたな。俺は大丈夫だ」
「本当ですぜ。旦那がいなくなって、色んな意味で生きた心地がしなかったでさぁ」
「なんだよ色んな意味って。でも、ありがとうな」
フランチェスコは笑うと目線を下げ、どこか冷めた目でアマルを見つめた。
「旦那、早く運んだ方がいいですぜ」
「ああ、そうだな。悪い、俺もう行くわ」
その眼差しに違和感を覚えながらも、俺はフランチェスコに軽く頭を下げ、アマルの部屋へと足を進めた。
アマルの部屋は、修道院の一番奥にある。ちょうど、俺とアマルが出会ったあの礼拝堂のすぐ側だ。男子の居住エリアと離れた位置にあるのは、何か間違いが起こらないようにということだろう。
ここに来たとき、修道士と修道女が同じ修道院にいることに驚きを隠せなかった。普通は、男子修道院と女子修道院に分けられ男女が混ぜられることはないからだ。
戒律等に詳しい訳でもないので、知らないだけでそういうこともあるのかもしれない。
アマルの部屋に着くと、ベッドに寝かし布団を肩までかける。痛ましく瞼が赤く腫れ、頬には涙の後が残っていた。
俺は、その頬をひと撫でし、静かに部屋から出ようとしたが、服の裾を掴まれ断念する。起きたのかと、顔を覗き込むが相変わらず彼女は深い眠りに落ちていた。どうやら無意識の行だったようだ。俺はなんとも言えない気持ちになった。
服の裾を掴むアマルの手を丁寧にはがし、そのままぎゅっと手を繋いだ。アマルは安心したように、表情を和らげたように見えた。
俺は目を瞑って、ゆっくりアマルが起きるのを待つことにした。
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