第7話 ヒゲおじちゃん
サリーは、りんご猫の里親も探してくれる、ボランティアさんに引き取られた。
「サリーちゃん、ここがあなたの部屋よ
ここはりんご猫専用の部屋で、古株のヒゲと二人の貸し切りよ。
ヒゲも仲良くしてあげてね」
ヒゲは黒白の猫で、鼻の下がちょび髭のように黒かった。
サリーが「ミィャ」と挨拶しても、ムスッとしているだけで、返事はなかった。
サリーは猫免疫不全のため、風邪が治らず、右の鼻が慢性的に鼻詰まり、口の炎症で歯も五本ほどしか残っていなかった。
保護されなければ、あのときに死んでいただろう。
健全な猫の部屋に六匹、計八匹が里親を探している。
この他、この家の飼い猫三匹も入れると、十一匹の猫がいる。
ボランティアさんは猫の餌、糞の片付け、猫じゃらしでの運動、撫で撫でをこなしてくれるが、サリーの相手してくれる時間は、十一分の一だった。
十一匹の猫が、好き勝手に動き回ると大変なので、運動の時以外は、ゲージの中で過ごす。
里親希望者が時折訪れ、貰われていく子がいるが、りんご猫の部屋への来客は、殆どなかった。
サリーは生き残ることができ、寝床と食べることの心配をしなくて済むようになったが、ただ生きているだけ……
ゴールデンレトリバーのモコが、散歩以外の時間を鎖に繋がれ、寝て過ごしていた理由がわかった。
ここの生活に慣れた頃、病院に連れて行かれ、麻酔を打たれた。
目覚めると、いつものゲージの中だった。
お腹が痛い。お腹を舐めようとしたが、円錐台形状の保護具が首に巻かれていて、自由が効かなかった。
いつも無口だった同居人のヒゲが、「傷が癒えるまで、動かんほうがいい」といって、顔を舐めてくれた。それは昔、ママンやパパンを思い起こす、優しい舐め方だった。
ヒゲは無愛想だが、心優しい猫だった。
動けない間、サリーはヒゲから舐めてもらったり、いろんなことを、教えてもらった。
「人間は身勝手な生き物だ。
ノラ猫が増えると困るから、保護猫はみんな、避妊手術をされる。
すべての生物は『生まれ』『生き』『産む』ものじゃ。ひとつでも欠ければ、その種は現在に存続しておらん。わしらは『産む』権利を剥奪された。
わしが子供の頃、小説家の家に、自分のことを『吾輩』という、博学な老猫がいた。
その爺さんから、聞いた話じゃ。
人類が農作を発明した時代のことじゃ。穀物貯蔵庫がネズミに荒らされ、農作が失敗に終わろうとした時、我々のご先祖様が、ネズミを取り放題の、穀物貯蔵庫の存在を知り、みんながここを餌場にした。
穀物貯蔵庫が無事だったことで、人類は狩猟生活に、逆戻りすることなく、川に沿って農作を発展させ、村ができ、国ができた。
つまり猫は、人類文明の大恩人だと、云うわけじゃ。
ところが今は、穀物貯蔵庫が堅牢となり、猫は用済み。我々は愛玩動物に成り下がった。
そもそも車で、わしらを引いても、刑事上、器物破損で処理され、人間以外は生き物扱いされんのじゃ。
人間は恩知らずで、傲慢な生き物じゃ」
サリーにはよく分からなかった。今の自分が人間なのか、猫なのかさえ解らない。
もう子供を産めないと言われても、オス猫とパートナーになって、子供を産みたいと、思ったことがない。
今はゲージの中で、ご飯をもらい、十一分の一とはいえ、時折ゲージから出て、猫じゃらしで遊んでもらったり、撫で撫でしてもらう。
ノラ猫として、細々と命を繋いでいた時のことを思えば、贅沢は言えない。
しかしジイジとの生活が懐かしい。またジイジに会いたい。
ヒゲはママンとパパンを除いて、サリーが唯一心を許した猫になった。
「ねえ、ヒゲおじちゃん。世界ってどれぐらい広いの?」
「ううん、そうじゃのう。ワシが若い頃メス猫を求めて、十日間ほどさまよい歩いたことがある。
その面積の百倍は、あるかも知れんの」
サリーはヒゲおじちゃんから、いろんな知識を授かった。
「のうサリー、お前さんが出会った人間の中で、そのジイジが、唯一優しい人間だったのじゃな?」
「うん、とっても、とっても、と~~っても優しいの」
「じゃあ、サリーは今まで何人の人間と出会った?」
「ううぅ~ん、百人ぐらい」
実際には、もっと多くの人間に出会っていたが、サリーは百までしか、数を数えることができなかった。
「それじゃ、百人に一人、優しい人間が、いるということじゃの」
サリーは眼を輝かして、ヒゲおじちゃんに聞き返した。
「それって、もしかして、あと百人の人間にあったら、ジイジのような優しい人間に会えるっていうこと?」
「そうじゃ。ここは保護猫のために、里親を探してくれる施設じゃ。ワシのような爺は貰い手がなくて、七年もここにいるが、サリーならきっと、ジイジのような人間に、出会えるよ」
「サリー頑張る!」
しかし健康な仔猫の里親になりたいという人は多いが、りんご猫のこの部屋に訪れる人は稀だった。
「なぁサリー、猫神様って知っておるか?」
「ううん、知らない」
「よく商人が高い所に祀って、パンパンと拝んでおるのじゃが。
小判を抱いて、おいでおいでをしている神様じゃ」
「あっ、それなら、サリーが保護された猫カフェで見た!」
「今度あったらなぁ、『新しいジイジと、早く会わせてください』と、お祈りすると良い」
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