第79話 俺にとっての。

「今の話、聞こえてましたか?」




 花ヶ咲さんは、真剣な表情で問いかけてくる。




「い、いえ。全然。全く」




 俺は反射的に首を横に振った。


 何かしら不穏な会話は聞こえてきたが、重要な部分は聞き取れていない。


 だから、聞いていないのも同じ事だ。




「そうですか」




 花ヶ咲さんは、単調に答えた。


 一々聞いてくるってことは、なにか聞かれたくない話だったのだろうか?


 そう勘ぐるも、彼女の表情からはなんの感情も読み取れなかった。




「じゃ、じゃあ俺はこれで……」




 花ヶ咲さんと深夜に二人きりというのも、なんだか間が悪い。


 俺は踵を返し、遠回りをしてエレベーターに向かおうかなどと考えていると。




「待ってください」




 不意に呼び止められた。


 俺は振り返り、彼女の方を見る。




「あなた、確かワイバーン一撃マンさんですよね」


「……その名前、もう変更できないのかな。なんかこう、もっとカッコいいヤツに。ドラゴンキラーとか、ダンジョンマスター的な……」


「? 何ヲブツブツ言っているのです?」


「あ、いえ別に。なんでもありません」




 いかん。


 あまりにもネーミングが嫌すぎて、心の声が漏れていた。


 俺は小さく咳払いしてから、「まあ、そうですね(大変不本意ですが)」と、最後に小声で付け加えて答えた。




「なるほど」




 花ヶ咲さんは、一度頷いた後、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。


 その表情が、パーティーで芹さんんへ向けられたものと同じような、寂しさに満ちた真剣な眼差しで――俺は思わず、ごくりと喉を鳴らした。




 何かを訴えかけるような迫力。


 必然、俺は次に放たれる台詞を警戒する。




「あなたは……ナズナさんの何なのですか?」




 花ヶ咲さんの乾いた唇から出たのは、そんな質問だった。


 


 また、難しい質問をしてきたな。




「えぇー……なんなんでしょうね。腰巾着? いや……厄介ファン? あ。金魚のフン、みたいな?」


「……ふざけているんですか?」




 それこそバカな。割と真面目な自己評価だ。


 俺は今日に限って言えば、芹さんの横にくっついている使用人Aである。




「とりあえず、あなたの自己評価が低いことだけはわかりました」




 花ヶ咲さんは、はぁと小さくため息をついた後、「質問を変えます」と言った。




「あなたにとって、ナズナさんは何なのですか?」


「俺にとって……ですか」


「決して、あなたやナズナさんをバカにしているわけではありません。でも、ナズナさんにはナズナさんの。あなたにはあなたの生き方や目標があるはず。あなたが、ナズナさんの背中を押し、この場に理由は何なのです?」




 俺にとっての芹なずな、か。


 俺は少しの間思案する。


 思えば、ほぼほぼ成り行きだった。誰かを放っておけない質というのもあるが、彼女が妹のために頑張っていると知って、どこか危なっかしい彼女を支えようと思った。




 そうして今、俺はこの場に立っている。


 けれど、こうして過ごす内に、別の考え方も無意識の内にするようになっていたんだと、自分の内面に問いかけることで初めて気付くこともあった。


 だから俺は深呼吸を一つして、改めて花ヶ咲さんの方を向いた。




「俺にない輝きを持っている人……ですかね」




 俺の言葉を聞いて、花ヶ咲さんの目が細められる。




「自分の夢のため、支えたい人のため、ただ我武者羅に突き進む芹さんは、考え無しで、見ていて危なっかしい。でも、だからこそ何よりも眩しいんです」




 俺はかつて、失敗して自分の殻に閉じこもってしまった。前に進むことが怖くなってしまった。


 けれど芹さんは、いろんなピンチに立って、それでも前へ進もうとしている。


 今だってそうだ。挫けそうな心を奮い立たせ、明日の本番に決意を漲らせている。


 


 だから憧れた。


 俺も、前に進むことができた。




「いつか、俺は芹さんの隣に立っても恥ずかしくない人になりたい。彼女は、そう思わせてくれる人です。だから、俺がここに立っている理由は、自分のためですよ」


「……そう、ですか」




 花ヶ咲さんは、なぜかちょっぴり微笑んでいるような気がした。




「(なんだ、それって結局、告白してるようなものじゃない)」


「? 何か言いました?」


「いいえ。お構いなく」




 首を傾げる俺の前へ一歩踏み出し、花ヶ咲さんは左手を差し出してきた。


 左手での握手は、相手への敵意を示す。


 ただ、俺は彼女に嫌われているわけでもないだろう。だから、あらためて宣戦布告とでもいったところだろうか。




「ナズナさんにお伝えください。私は負けませんと」


「ええ、必ず」




 俺も、同じく左手を差し出し、握手をする。


 冷たく澄んだ夜のホテルで。静かに戦いの火ぶたが切って落とされた。


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