第55話 自分の象徴

「へ!? せ、せせ、先輩!?」




 放課後。


 弓道場にやって来た俺を見て、瀬良は驚いたように目を見開いた。


 あー、もしかして。




「実は昨日髪切ったんだけど……変かな?」


「いえ! 変じゃないです。むしろ、かっこ――」




 そこまで言って、瀬良は自分の口を押さえた。




「なに? かっこ?」


「な、なんでもありません! 忘れてください!」


「お、おう……」




 瀬良は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと手を左右に振る。


 その態度を疑問に思う前に、瀬良は話題を逸らすかのように「そうだ、RIME交換しましょう!」と言ってきた。




「いいよ。ただ、アカウント作ったばっかで、使い方がまだ良くわからないけど」




 LIMEのアカウントを作成したのは土曜日の夜。


 実験として綾とLIMEの交換をしたのだが、基本綾が主導でやってくれたため、操作を覚えていないのだ。




 それを伝えると、瀬良は笑って「じゃあ、ついでに操作も覚えましょう」と言ってくれた。


 心が広いというか、甲斐甲斐しい後輩だ。


 やっぱ将来、いいお嫁さんになるんだろうな。うん、間違いない。




 そんなことを考えつつ、俺は瀬良とLIME交換をした。




「へぇ。瀬良のアイコン、ぬいぐるみなんだ。可愛いね」




 瀬良のアカウントのアイコンには、桃色のずんぐりしたペンギンの写真が設定されていた。


 ちなみに俺のは、実家の玄関に飾ってあったハイビスカスである。




 理由は単純、設定したい写真とか持っていないし、そもそも思いつかなかったからである。




「あ、は、はい。小さい頃お婆ちゃんと水族館に行ったときに、買って貰ったんです。……子どもっぽいですよね。ぬいぐるみをアイコンにするって」




 瀬良は、なぜか自嘲気味に言う。


 


「そうかな。普通だと思うけど。男だろうが、いい大人だろうが、ぬいぐるみが好きって人はたくさんいるし。それに、瀬良のことだ。きっと小さい頃から大事にしてるんでしょ、そのぬいぐるみ」


「はい。実は、水族館に連れて行ってくれた数ヶ月後に、お婆ちゃんが天国へ行っちゃって……このぬいぐるみといると、いつでもお婆ちゃんが見守ってくれているような気持ちになれるんです」




 瀬良は、どこか穏やかな表情で、オレンジが僅かに混ざり始めた西の空を見上げた。


 


「そっか。お婆ちゃんとの大切な絆なんだ。なら、胸を張っていればいいよ。好きなもの、大切なものは、堂々と見せればいい。アイコンだって、自分を象徴するものなんだろうし」


「そうですね。ありがとうございます。……やっぱり優しいですね、先輩は」


「瀬良ほどじゃないさ」


「仏様顔負けの先輩にそう言っていただけると、なんだか私も鼻が高いです」




 瀬良は、すっきりとした表情ではにかんだ。


 仏様顔負けって……俺、そんな聖人君子じゃないはずなんだけどなぁ。




「でもそうか。先輩の理論でいくと、先輩のアイコンがハイビスカスなのは、お花が好きってことになりますね」


「いや違う」


「じゃあ、お花嫌いなんですか?」


「そういうわけじゃない。ただ、俺がこのアイコンにしたのは、単に俺を象徴するものというか、大切なものが思いつかなかったからだ」


「弓矢……とかじゃだめなんですか?」




 瀬良が小首を傾げる。




「いいけど、なんかちょっと物騒じゃない? それに弓道は、趣味とも少し違うし……」




 自分の背負う過去と、これから歩む未来を示すという意味で大切なものではあるが、好きなものか? と問われると返答に困る。


 やはり……




「作るしかないか。趣味を」


「趣味、ですか……何かやりたいことあるんですか?」


「え? うん、まあな。といっても、さっき漠然と興味を持ったばかりなんだが。わけあって、楽器をやってみたいなと」


「うえぇ!?」




 瀬良は、今日一番の驚き顔を見せた。


 あー、まあそうだよね。自分がエレキギターを弾いている姿を想像する。……うん、我ながら似合わないなぁ。




「つっても、そんな根性ある方じゃないし、あんまり様にならない気がするけど――」


「そんなことないです!」




 俺の言葉を遮って、瀬良がぐいっと顔を近づけてきた。




「先輩が矢を射るときの集中力も、器用さも、側で見てていつも凄いなって思ってました。音楽のことはあんまり詳しくないけど、きっとその経験は役に立つと思います! それに……せ、先輩はどんな楽器も似合うと思いますよ!」




 瀬良は、今日一大きな声でそう断言した。


 その顔は、自分の発言を一切疑っていないという自信に満ちあふれていて……こんなにストレートに言われると、照れくさい。




「そ、そうか?」


「はい。後輩として断言します!」




 なるほど。ここまで言われて、ひよるのも後味が悪いな。


 一つ、やるだけやってみるか。




「ありがと。俺、ちょっと楽器に挑戦してみる」


「それがいいと思います。応援していますね!」




 瀬良はにっこりと微笑んだ。


 かくして、俺はひそかに楽器を演奏する趣味を持つようになるのだが――まさか、この選択が後にあんな結果に繋がるとは。


 このときの俺は、想像だにしていなかった。


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