第17話 眠り姫を前に……(アリスター視点)

 一時間後。そう啖呵たんかを切ったのにもかかわらず、吐息をたてながら俺に体を預けるメイベル嬢。

 こういうところも含めて、可愛いと思う。が、長い道中、このままの体勢はキツいだろう。


 俺はそう思い、メイベル嬢の体を横に倒す。頭を膝に乗せて。すると、寝顔がよく見えるようになった。

 だからだろうか。あの警戒心の塊のような幼子だったメイベル嬢の姿と重なる。あの時は抱っこさせてもらえなかったが、今なら……。


 一瞬、過った考えを払うように、俺は頭を横に振った。


「さすがにここで暴れ出されたら困るな」


 最悪、機嫌を損ねられた挙句、帰るとまで言われたら、元も子もない。ようやくここまで漕ぎつけたというのに。逃げられたら、もう二度と手に入らないだろう。

 俺自身も立ち直れるかどうかも、怪しいところだ。


 だから、頬に触れたい衝動を必死に抑えた。髪を撫で、その一房を掴む行為も。


「今はただ、この寝顔を見られただけでもよしとしよう」


 十三年前を思えば、十分過ぎるほどのことなのだから。


 そもそも、メイベル嬢が公爵令嬢でなければ、そんな早い時期から求婚書など送りはしなかった。身分が高ければ高いほど、貴族の婚約は早い。

 だから先に、形だけでもしておきたかったのだ。


「どうしても、手に入れたかったんだ」


 今は閉じている、その青い瞳をしたメイベル嬢を。



 ***



「これは、どういうことなのでしょうか」


 馬車の扉が開けられたのと同時に、怒気の孕んだサミーの声が俺に向けられる。


 無理もない。道中、何事もなく馬車は、休憩場所に辿り着いたというのに、一向に扉を開けないこと。それに気づいたサミーに向かって、窓から指示したこと、など。

 先に不審な要素を植え付けてしまったのが原因だった。


 加えて、馬車の中で眠るメイベル嬢の姿。これをトドメと言わずして何と言えようか。


「お答えください、エヴァレット辺境伯様」

「そう、怒るな。メイベル嬢が目を覚ましたらどうする」


 専属メイドなら分かるだろう、と暗に言うと、我に返ったらしい。視線をメイベル嬢に移した。


「慣れない馬車での移動に疲れたんだろう。寝ても構わないとは言ったが、やはりな。寝ないように頑張っていたようだが」


 馬車の揺れも相まって、眠りに落ちた。なだらかな道が続いたせいだろう。あれから一度も、大きく揺れることはなかった。


「そうでしたか。申し訳ございません。冷静に考えれば分かることでしたのに。お嬢様はその……」

「遠出をするほどの外出は、あまりしない。エルバートから聞いているから大丈夫だ」

「重ね重ね、失礼致しました。けれど、いくらエヴァレット辺境伯様でも、長時間は疲れるのではありませんか? お食事の間だけでも変わります」


 俺は馬車の中に入ろうとするサミーを、手で制止した。


「いや、このままで構わない。代わりに、この状態でも食べられる物を頼む。もしかしたら、匂いにつられて、メイベル嬢も起きるかもしれない」

「分かりました。けれど、くれぐれも寝ているお嬢様の扱いには気をつけてください。いくらエヴァレット辺境伯様でも危ないですから」

「……あぁ。肝に銘じておこう」


 一応、エルバートから詳細は聞いている。が、実際に目の当たりにすると、緊張感の方が勝っていた。無論、何もしない、という意味でも。


 普段はふかふかの枕で熟睡しているからなのか、時折、不満そうに「ん〜」と唸ることがある。その度に、柔らかいクッションを、馬車に積まなかったことを後悔させられる。


「やはり、俺の硬い膝では、な」


 夏とはいえ、主人を外気に晒したくないサミーの行為で、馬車の中は再び密室となる。いや、辺境の地へと向かうこの集団は、御者や護衛なども含めて、男が多いせいだろう。


 このような姿のメイベル嬢を見せるわけにはいかない。無論、俺も同じなだけに、少しだけメイベル嬢の気持ちが理解できた。


「色々、俺に対して思うことはあるだろうが、確かに頼りになる者のようだな」

「それはお褒めに預かり、ありがとうございます」


 さすがはブレイズ公爵家のメイド。メイベル嬢を起こさないように配慮したのだろう。物音も立てずに扉を開けた。

 さらにバスケットを反対側の座席に置いたかと思えば、さも当然かのような仕草で乗り込んでくる。そんなところも含めて感心せざるを得なかった。


 サミーはバスケットの横に座ると、中から薄い布を取り出して、メイベル嬢にかける。


「クッションも、と思ったのですが、やめておきました」

「何故だ? この状況に不満があったように見えたんだが」

「奥様から、事の経緯を聞いたんです。私がお嬢様と辺境伯領に行くことになった日に」


 眠っているとはいえ、メイベル嬢がいるからか、明確に“何を”とは言わなかった。けれど、おおよその見当はつく。


 十三年前から送り続けていた、求婚書のことを言っているのだろう。当時五歳の少女への求婚。八年、という年齢差。普通の感覚からすれば、気持ち悪いと思うだろう。

 当時の俺はそれどころではなかったため、気にしなかった。が、客観的に見れば、そう感じざるを得ないのも理解できた。


「ならば、俺のことを軽蔑したのではないか」

「いえ、そのようなことは」

「無理をしなくていい。ずっとメイベル嬢の世話をしてきたのだと、エルバートから聞いている。だからこそ、付いてきてもらったのだからな」


 厳密にはメイベル嬢からの頼みだが、なければ進言するつもりだった。何せ、寝起きが悪い。扱いを間違えれば、こっちの使用人たちもただでは済まないだろう。

 あのバードランド皇子も被害に遭ったくらいなのだから、な。


 思わず、心の中で苦笑した。


「それは光栄です。お嬢様だけでなく、エヴァレット辺境伯様にまで、とは。メイド冥利に尽きると言うものです。無理など、滅相もありません」


 サミーはそういうと、バスケットから包みを取り出し、中に入っていたサンドイッチを俺に手渡す。包みのままでは開く時、メイベル嬢に当たってしまうからだ。


「ならば一つ、聞いてもいいだろうか」

「はい。私でお答えできる範囲でよろしければ」

「構わない。メイベル嬢がこの状態で起きた場合、どう反応すると思う?」

「そうですね。恐らく、飛び起きてしまうかもしれません。顔を真っ赤にして」


 ふふふっ、と想像でもしたのか、サミーは愛おしそうに微笑んだ。勿論、視線をメイベル嬢に向けて。

 しかし俺は、真逆のことを想像していた。


「仮にそれが移動中だとしたら、危険だな」

「はい。ですからその時は、しっかりとお嬢様を捕まえていただけますか、エヴァレット辺境伯様」

「っ! 言われずとも」


 俺の返事に満足したのか、サミーはそっと馬車を降りる。その姿は、出発時に俺を睨んだ人物とは思えない。それどころかまるで、別人のように見えた。


 けれど、メイベル嬢の言う通り、何が一番大事なのかを明確にしている分、信用に値できる人物だとも言える。

 そう確信できたのは、それから三時間後のことだった。


 馬車の中で目を覚ましたメイベル嬢は、まさにサミーの言葉通りの反応を示したからだ。

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