朝方の婚約破棄 ~寝起きが悪いせいで偏屈な辺境伯に嫁ぎます!?~

有木珠乃

第1章 婚約破棄という名の罠

第1話 寝起きが悪い公爵令嬢

 鳥たちのさえずる声と共に、カーテンの隙間から柔らかな日差しが流れてくる。


 起きなければと思いつつも、メイドがやってくるのを待つ。

 あと数十分。いや、数分数秒かもしれない。けれどその僅かな時間でも私は夢の中にいたかった。

 そんな貴重な時間にやってきたのは――……。


「起きろ! メイベル・ブレイズ公爵令嬢! 今すぐ起きなければ婚約を破棄する!」


 勢いよく開かれる扉。と同時に叫ぶ、一人の男。


「黙れ」


 私は相手を確認せず、枕を投げた。

 何人たりとも、貴重な数分数秒を邪魔した罪は重いのだ。



 ***



「お嬢様。いくら寝起きが悪いからって、今朝のアレは良くないですよ」


 メイドのサミーが私の髪をかしながら楽しそうな声を出す。いや、笑いを堪えているのだろう。

 鏡越しに見えるサミーは、今にも吹き出しそうだった。


「笑いたいのなら笑っていいのよ。私だって……少しは悪いと思っているんだから」


 すでに今朝の出来事は、我がブレイズ公爵家内で話題の的になっていた。お陰でお母様から延々と説教を聞かされ、お父様からはしばらくの間、謹慎処分を言い渡された。


 けれど今の私は、サミーによって身支度を整えられている。それもまた、お父様の命令で。


「謹慎前に、バードランド皇子のところへ行き、お詫びして来い、でしたか」

「えぇ。出るなって言ったり、行けと言ったり。お父様らしくないわね」

「それだけ、旦那様も驚いているんですよ」

「意外とサミーのように笑っているのかもしれないわよ。お母様は凄い剣幕だったけれど、お父様は普段と変わらなかったから」


 ふふふっ、と思い出しただけで笑みが溢れた。


「それでお嬢様はどうなんですか? その、皇子様に言われたことも含めて」

「……婚約を破棄する、と言っていたそうね」


 朝方。何の前触れもなく、私の部屋にやってきたバードランド・ビル・ベルリカーク皇子。我が国の第一皇子で、私の婚約者だ。


「内容はともかく、時と場所を選ばないやり方は、ちょっと問題があるわよね。婚約者の前の肩書が、幼なじみであったとしても」


 そう。何せ私は、ベルリカーク帝国唯一の公爵家に生まれた女の子。そのため、幼少の頃からバードランド皇子に嫁ぐことが決められていた。


 他に女の子がいれば良かったんだけど……。ブレイズ公爵家には私の他に、兄と弟がいるだけで、最初から私に拒否権はなかった。


「だからこそ不思議なんです。お嬢様の寝起きが悪いことを知らなかったのでしょうか?」

「う〜ん。どうなのかしら。婚約者になってからは……ううん。その前から親しい関係とは言い辛い間柄だったから」


 バードランド皇子がブレイズ公爵家にやってくるのは、お兄様と弟のクリフと遊ぶためであって、私に会いに来てくれたわけではなかった。

 そう、息抜きに来ているような、そんな感じだった。私のことも友人の妹、もしくは同じ兄妹のように思われていた節があったくらいだ。


 サミーは梳かし終えた私のピンク色の髪を整えると、リボンとレースが収納されている箱を鏡台にそっと置いた。

 アクセサリー箱と同じく、どれもこれも目移りしてしまうけれど、私は迷わずに瞳の色と同じ青いリボンを選んだ。

 すると、心得たように箱ごと回収するサミー。再びくしを持ち、艶の出たピンク色の髪を一房、手に取った。


「では、知らなかった可能性が高いんですね」

「多分ね。お兄様たちとは親しいようだから、絶対とは言えないけれど」

「たとえ知っていたのならば、何故あのようなことを?」

「時間が惜しいほど、破棄したかったのではないかしら」


 婚約を。お互い、好きでしたものではなかったから、さほど心は痛まない。どちらかというと――……。


「そこまでされるほど、恨まれていたなんてね。そっちに驚いてしまったわ」

「身に覚えもないんですか? あとはその……別に好きな方ができたとかは……」

「サミー。貴女も知っているように、そのような方はいないわ。バードランド皇子は……分からないけれど」


 表立った噂は聞かないけれど、そういう殿方は多いと聞くし……。お父様も一度してから、今ではお母様に頭が上がらなくなっている。


「ともかく、詳しい話を聞く必要もあるから、お詫びしに行ってくるわ」

「お嬢様……」


 顔を曇らせながら寂しそうに言うけれど、サミーは私の髪を綺麗にセットしてくれた。どんなことがあっても、私の身嗜みだしなみに手を抜くことはしない。


「ふふふっ、そんな顔をしないで。折角、綺麗に仕上げてくれたんだから、良いことがあるわよ」


 そう、励ましてみたが、表情を和らげるどころか、晴らすこともできなかった。


「……私はどんなことがあっても、お嬢様の味方ですから」


 恐らくサミーは、その後の展開が分かっていたのだろう。少しだけ胸が熱くなった。

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