第115話 夢の中で謝ったり驚いたり

 天使も悪魔も、厳密に言えば精霊である。法を重んずるか力を重んずるかの違いであって、高位の霊的存在であることに変わりはない。

 魔界の統治者である大魔王ルシフェルは、見た目だけなら大天使のように美しい。もちろんヒューマンモードだろうけど、魂の本質であるノーマルモードはどんな姿やら。本気で怒らせちゃったら国のひとつやふたつ、消し飛ぶような気もするが。


「エレメンタル宮殿での酒宴が、最近は滞っておるな、フローラ」

「あは、あはは、色々と忙しくて、そう膨れないで閣下。企画するけど何かご要望はあるかしら」

「うむ、トンカツなる料理があるとリャナンシーから聞いた。それと串焼きは種類が豊富とか? あともつ煮込みにホッケの開きとやらも食してみたい」


 くーすかぴーと眠っているフローラの、夢に干渉してきた大魔王さま。

 酒宴と言うよりは居酒屋になっちゃうわねと、苦笑しつつもフローラは快く請け負う。食いっぷりがいいのは、見ていて気持ちがよいからだ。

 そうなるとマグロの山かけに子持ちシシャモ、白菜キムチにもろきゅう、牛タンにチヂミなんかも欲しい。目が覚めたら三人娘に相談しなきゃと、作戦を練りつつフローラは周囲を見渡す。


「ところでここはお城なの?」

「いかにも、魔界の中心地にある我が居城、ハーデス城の貴賓室だ」

「側仕えとか護衛とか、見当たらないけど」

「もちろんいるが、城を見せたいだけだからな。そなたに送っているのは、ハーデス城のイメージだ」


 それを私に見せてどうしたいのだろうと、フローラは首を傾げる。どうやら酒宴の催促だけではなく、ルシフェルは別の意図もあって夢に現れたようで。


「魔王城っておどろおどろしいイメージがあったけど、意外と普通なのね。窓から庭園も見えるし、あの花はアジサイかしら、きれいだわ」

「そなた、魔界を何だと思っておる? 気候風土は他と変わらん。人間界には存在しない動植物が生息しているだけで、ワイバーンは魔界特産の空飛ぶ獣だ」

「うひっ!」

「うひではない、ワイバーンの卵で騒動があったと聞いたぞ」

「ごご、ごめんなひゃい!」


 その件でしたかと噛みつつも、胸の前で手を組み平謝りのフローラ。神々に知れたら笑い事では済まされんと、胡乱な目を向ける大魔王さま。


 ルシフェルは人間界での飼育を許可したのだ、連帯責任となるのでお怒りはごもっとも。精霊女王と精霊王も共犯であり、バレたら二人も神々から罪を問われる事になる。そして原理原則を曲げ、見逃したジブリールだってもしかすると。


「まあよい、私はそなたが築く新たな千年王国を見てみたい。気持ちはティターニアとオベロンも同じゆえ、みな覚悟の上で協力しておる」

「もしかして私、色々と迷惑かけてる?」

「迷惑と思うかどうかは、受け取る側の好奇心に勝るかどうかだ。そなたは面白いと言うか……」


 そこまで話し、ルシフェルは何故か楽しげな顔をした。


「むう、なによ」

「他者を心地よく乗せてしまう才能がある、持って生まれた資質だな」

「それって褒められてるのかしら?」


 褒めたのだとルシフェルは席を立ち、フローラに付いて参れと手を差し出した。どうやら用向きは、宴席と卵の件だけじゃないらしい。お手々つないでるんるんと、お散歩ってわけにはいかなそうだ。


「わあ、絵がいっぱい飾ってある」

「ここにあるのは、滅んだ人類の記録だ」


 連れてこられた部屋は絵画を展示する、ギャラリーかと思ったフローラ。けれどそうではなく、人類がどんな形で滅んだか忘れないよう、覚えておくためなんだとか。


「背の高い建築物がいっぱい」

「都市部に人口が集中し、土地が足りなくて高層化したようだ。こちらにある箱は自動車と呼ばれる、馬を必要としない乗り物だぞ」

「どうやって動くのかしら、やっぱり魔力なのかな」

「いいや、水ではなく油の湧き出る池があったりするであろう」

「うん」

「その油を精製し、動かすための燃料とした」


 同じ原理でこれは空飛ぶ鉄の鳥、飛行機だとルシフェルは教えてくれた。石を積み上げた四角錐はピラミッドと、並んでいる絵を説明する大魔王さま。まるで美術館の館長さんだなと、フローラは感心しながら後を付いて行く。


「これはいったい、何の建造物かしら」

「東京タワーと呼ばれた塔だが、使用目的は私にもよく分からん」


 こちらへと、フローラは奥の部屋へ手を引かれた。そこにあったのは絵画じゃなくて、何のために使う道具なのか、分からない物がずらずらと。


「これは拳銃と呼ばれる武器、こちらが携帯端末と呼ばれる通信機器」

「魔力が無くても使えるの?」

「もちろんだ、魔力の使い方を知らなかったからこそ、生み出せたのだろう」

「これだけ文明を発展させておきながら、どうして滅んだのかしら。やっぱり神々の手によって?」

「いや、この人類は神々が終末を宣言する前に自滅した。これを見なさい、たいして大きくはないが」

「何かの装置かしら」

「核弾頭と言ってな、そなたが使うスペル、ミーティア流星の数十倍は破壊力があるぞ。しかも焼き尽くす熱線と、生き物には有害な放射能を撒き散らす」

「ええ!?」

「信仰心と道徳心が薄れ倫理観を失った前の人類は、平和利用すべき技術を大量殺戮兵器に転用したのだ」


 愚かなことだとルシフェルは、核弾頭を拳でごんごん叩く。あわわ大丈夫なんですかと慌てるフローラに、魔力で封印してあるから心配するなとルシフェルは笑う。そもそもこれは夢の中だと言われ、あいやそうだったとフローラは頭に手をやる。

 しかし大魔王さまの微笑みに一抹の寂しさを覚えたのは、気のせいじゃないとフローラは感じた。何か重要な事を伝えるために、旧時代の遺物を見せてくれたんじゃないかしらと。


「終末を神々が宣言した場合、その手法は地震であったり洪水であったり、天変地異から始まる。だがそれだけではない、私は魔界の統治者であり力の象徴だ、魔族にお声がかかることもある」

「人類を滅ぼすために、動員されるの?」


 その通りと頷いてルシフェルは、銀白色に輝く三対六枚の翼を広げる。その翼に絡め取られ、フローラはルシフェルの胸に引き寄せられた。

 リャナンシーが教えてくれたように、高位の精霊は両性具有であり男と女って概念はない。けっこう豊満な胸の谷間に押しつけられる形となり、あわわ窒息しちゃうとフローラはじたばた。いや夢だからどうどう落ち着けと、大魔王さまがへにゃりと笑って頭を撫でる。


「信仰心と道徳心を失った人間など、虫けらも同然だろう。神を神とも思わないのだから、私は躊躇することなく狩り取る。だが……」

「それでいいのかって、葛藤があるのね」


 胸の谷間から顔を上げたフローラに、どうして分かったのだと目をぱちくりさせる大魔王さま。寂しそうな顔をしたからとフローラは、自らもルシフェルの腰に手を回す。私もこんなダイナマイトボディになる日が、いつかは来るのかしらと思いつつ。


「殺戮のための殺戮を好まず、人間の善性に期待しているところがあるんでしょ」

「これは参った、そなたは私の心を読んでしまうのか」


 本心を聞かせてとフローラはせがみ、ルシフェルはやれやれという顔をした。もっとも嫌ではないらしく、フローラの腰に回した手に力を込めた。そしてよく聞いて欲しいと、耳元でささやく。


「人間は自ら犯した失敗を反省し、己を律する能力が備わっている。だから私は神々に、一度くらいチャンスを与えたらと進言したのだ」

「もしかして……それで誕生したのがローレンの聖女?」

「いかにも、自分が自分がではなく自分とみんなが、そんな優しい世界を構築して見せよ。さすれば終末は回避されるだろう、頼んだぞ我が愛し子よ」


 そこでフローラは目が覚め、すっごい濃密な夢だったなと上半身を起こす。ミリアが着替えの衣装をベッドに並べ、リシュルが目覚めのコーヒーはいかがですかと微笑んだ。

 隣のベッドでグレイデルはまだ寝ており、三人娘もまだ起きていないとミリアが言う。いつもは最後なのに今回は一番乗り、ルシフェルが気を利かせてくれたのかしらと、フローラは両腕を上げて伸びをする。


「閣下って、人間以上に人間くさいかも」

「何か仰いました?」

「ううん、何でもないわミリア」

「英夏さまがひょうたん島の件でお話しがあるようで、お目覚めになるのをずっとお待ちですよ」


 もう話しが進んでるんだと驚くフローラに、ラーニエとスワンが働きかけたようですと、リシュルがコーヒーのマグカップを手渡した。ひょうたん島の下見も兼ねて、軍団に海水浴させようかしらと、フローラはふうふう言ってコーヒーをすする。

 ちょうど昼時のようで、テントの外が賑やかだ。メニューはざる蕎麦と冷やし中華の好きな方、これに五目いなりが付く。馬肉がまだ残っているので糧食チームが、食べたいだけ持って行けと大盤振る舞いなんだとか。


「意外だわ」

「何がだ? アリーゼ」

「ズッカーをあんなに可愛がってるから、馬肉は食べないと思ってたのよ」


 空いている行事用テントで、昼食を共にするゲルハルトとアリーゼ。ズッカーとはゲルハルトの愛馬で、名前の由来は砂糖である。別に気にしとらんがと騎馬隊長は、大盛りにしてもらった冷やし中華をちゅるちゅる、そして馬刺しをもりもり。


「わしにとってズッカーは、戦場を駆けるための相棒だ。歳を取れば引退させるし、天寿を全うすれば埋葬する。主従関係を結んだ者が負う、責務だと思っておる」

「つまり意思の疎通ができる馬と、他の馬は別なのね」

「ペットとしてウサギを飼えば可愛いが、わしにとってその辺の野ウサギは食用だからな」


 そういう線引きなのねと納得したアリーゼは、破顔してざる蕎麦をちゅるちゅる。ミハエル候が率いるローレン王国の本軍が帰還すれば、二人は晴れて挙式することになる。妻になる者として、ゲルハルトの生命観を知っておきたかったのだろう。


 ゲルハルトは騎士として戦場に立ち、他者の命を奪ってきた。アリーゼは暗殺者として、他者の命を奪ってきた。どんな大義名分を振りかざそうとも、人殺しは人殺しである。それは全ての兵士に通じることで、殺人を生業なりわいとする者が背負う宿命と言えよう。

 そんな彼らに生きよ胸を張れと、正当性を与えてくれるのが大聖女なのだ。女王テントから、目覚めたその本人が姿を現した。兵士たちがみんな活気づき、吟遊詩人が奏でていた曲をアップテンポに変える。


「ご一緒してもいいかしら、キリア」

「もちろんですとも、フローラさま」

「二日も寝てるとお腹がぺこぺこなのよね」

「ざる蕎麦と冷やし中華、どちらになさいます?」

「冷やし中華を大盛りに、五目いなりは三個で」


 昼食なのだがフローラにとっては目覚めの朝食となる。キリアの目配せで、スティルルーム・メイドの三人がすすいと動く。別の小皿に練りカラシを、ででんと盛るのも忘れない。

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