第87話 獅子身中の虫
頭突きをしたり尾で薙ぎ払ったり、巻き付いて締め付けたりと、ニーズヘッグは反撃しストーンゴーレムを砕く。それでもゴーレムさんは、元の形に復元され攻撃を再開するのだ。御業を発動したグレイデルを何とかしないと、邪竜に勝ち目はなさそうだった。
「見てグレイデル、林からぞろぞろ敵兵が出てきたわよ。自軍へ逃げ帰るつもりのようね」
サキュバスの指差す方を見下ろせば、籠を背負った皇帝軍の兵士が国境方向へ走り出していた。街道に国境警備兵の詰め所があるだけで、鉄柵や城壁を張り巡らせているわけではない。警備兵の目をかいくぐれば、他国へ侵入するのは割りと簡単だ。
旗色が悪いと踏んだのだろう、逃げる姿に軍人らしさは微塵も感じられない。そもそも魔物を使い町を破壊し、食料を奪うなど以ての外、怒りでグレイデルの眉が吊り上がっていく。
「ああっ!」
「どうしたのですか、グレイデルさま」
「あれを見てキリア」
「まあ何てこと……」
言葉を失い信じられないといった面持ちで、キリアは地表を凝視する。
逃げる兵士の中にあろうことか、聖職者が交じっていたからだ。従軍司祭の服装ではなく、司教クラスの法衣だから受けた衝撃は大きかった。
「魔法を扱えるようになると、自分のために使おうなんて輩も出て来ますわ」
「聖職者でも? サキュバス」
「教会魔法を使えるからこそなのよ、グレイデル。法典を自分にとって都合のいいよう解釈してしまう、愚か者は後を絶ちません。ニーズヘッグを召喚したのはあの者だけど、どうする?」
聖職者を裁けるのは聖職者のみ、捕らえるわよとグレイデルはワイバーンを降下させ、
「あふ……お早うグレイデル」
「申し訳ございません、フローラさま」
「ほえ?」
寝起きで体を起こし伸びをしたところで、側近の開口一番が謝罪であった。ベッドの上で女の子座りになり、何があったのか耳を傾ける大聖女さま。キリアとダーシュも加わり、食材調達で起きた話しをフローラは頷きながら黙って聞き入る。
兵士らは捕縛できたが肝心の聖職者は、真っ黒な転移門を開き飛び込んで消えた。つまり逃げられちゃったわけで、それがごめんなさいだったわけだ。
マリエラから分けてもらったコーヒーをミリアが淹れ、受け取ったフローラがブラックですする。悪魔ちゃんが使う暗黒の転移門に、近い術式かしらと寝ぼけ頭を起動させていく。
「ニーズヘッグは灰に変えたし、町は守られたのよね。よくやってくれたわ、ありがとうグレイデル、キリア、ダーシュ」
「そこでひとつご相談が、フローラさま」
「なあに? キリア」
「以前シーフの二人に、法王庁を案内してもらいまして」
「うん」
「通行手形を発行する部門に」
「うんうん」
「逃げた聖職者とそっくりな男がいたことを思い出したのです」
通行手形が無いと、他国の者は物の売り買いどころか、宿屋に泊まることすらできない。だから商人も傭兵も吟遊詩人も、申請し手形を発行してもらうのだ。
その手続きをする部署に悪しき魔物信仰の徒がいれば、各国に手下を送り放題ではあるまいか。何てこととフローラはベッドから滑り降り、手にしたカップのコーヒーを飲み干しテーブルにこんと置く。
「これから法王庁へ行きま……す?」
女王テントから出ようとするフローラの両腕を、ミリアとリシュルががっちり掴んでいた。歯を磨いて寝間着から着替えて下さいとミリアが、空中移動するならスパッツはいて下さいとリシュルが、フローラをずるずると引き戻す。グレイデルと精霊さん達がはにゃんと笑い、キリアは当然ですって顔をしていた。
――そしてここは法王の執務室。
軍団をグレイデルと隊長たちに任せ、フローラは瞬間転移で法王庁にジャンプしていた。同行させたのはシュバイツと、顔を知ってるキリアにダーシュである。テーブルを挟んだ向こうで、パウロとラムゼイが深刻な表情を浮かべていた。
「獅子身中の虫とはこのことか、ラムゼイよ」
「魔女狩りならぬ、堕落した聖職者狩りをすることになりますな、パウロさま」
サキュバスによれば魔物と契約した者は、体のどこかに小さく666の印が浮かび上がるそうな。一緒に風呂へ入れば分かるし、頭なら散髪や髪結いの時に見つけられる。何人出る事やらと法王が額に手をやり、ラムゼイが法王領の光と闇ですなと唇を噛む。
「舞踏会を荒らした
「それぞれ国王自ら釈明に来いと書簡を出したが、返事は梨の礫だフローラよ。もはや敵で確定だな、廃国にせねばならん」
帝国地図が大きく塗り変わるなと、顔を見合わせるフローラとシュバイツ。皇帝領が済めば、それらの国々を潰していく事となるだろう。そして最終的には諸悪の根源であろう、悪しき選帝侯三人の国へ攻め込まねばならない。
「皇帝の紋章印を勝手に使っていたことが判明すれば、わしは迷わず三人の王位を剥奪する。同時に選帝侯の資格も消滅し、帝国は正しい信仰と悪しき魔物信仰で二極化するやもしれん」
「むしろその方がすっきりしていいじゃんか、法王さま。俺たちは新たな千年王国のため、正しき信仰に満ちあふれた世界を築くんだ。障害となるものは取り除く、何も間違ってないと思うぜ」
相変わらず誰に対してもタメ口のシュバイツだが、言ってることは正しく真っ直ぐだ。好ましい皇族の男子だなと、法王もラムゼイも顔を綻ばせた。シュバイツを皇帝に担ぎ上げてもいいと、二人に思わせた理由がそこにあった。女装趣味ですがとは、間違っても言わないキリアである。
「さて、手形の発行部署へ行くとするか、ラムゼイよ」
「そう致しましょう、パウロさま。よろしく頼みます、キリア殿」
廊下の椅子に座り発行を待つ市民が何人か、自分の名前が呼ばれるの待っている。部署の扉は開放されており、手続きを行なう聖職者は廊下からでも確認できた。あの男です間違いありませんと、キリアが目線で示しダーシュもあいつだと頷く。
「ドモル司教、話しがあるんだが」
「これはパウロさま、ラムゼイさままで」
法王からドモルと呼ばれた司教だが、フローラの姿を視界に収めた途端に増悪を露わにした。法王と枢機卿にローレンの聖女がいることで、自分の正体がばれたと悟ったのだろう。
抜いても構わないと言われたので、シュバイツと廊下で待機する聖堂騎士が剣の柄に手をかけた。物々しい雰囲気に驚く発行待ちの市民へ、キリアが危ないから下がるようにと誘導する。
「君を裁判にかける、大人しく縛に就け」
「知るかぁ!」
一歩前に出たラムゼイに台帳を投げつけ、ドモルの目が獣のそれに変わった。体が膨らみ法衣はびりびりに割け、業務を行なっていた他の聖職者たちが腰を抜かす。
その姿は
「ふん、後回しにしていたが計画変更だ、この法王庁を消滅させる。アブドールドヘベナカゼバ……」
床に魔方陣が現れた! こいつ法王庁内で魔物を召喚する気かと、パウロもラムゼイも青くなる。魔方陣からにょきっと頭を出したのはニーズヘッグで、出て来たら大変だぞとダーシュが思念を飛ばす。
「
「え……何だと!」
扇を広げたフローラのスペルで、ドモルの展開した魔方陣が霧散して消えた。圧倒的な実力差がないと解呪は難しいのだが、今の大聖女にはお茶の子さいさい。霊鳥サームルクと古代竜ミドガルズオルム、そして六精霊と大魔王ルシフェルの加護があるのだから。
「ひ、ひ、開け転移の門!」
「ディスペル」
逃亡を図ろうと発動した転移門さえ、フローラは無効にしてしまった。だが物理攻撃の効かない相手だどうすると、シュバイツにダーシュが思念を飛ばし合う。ワーウルフは霊鳥サームルクの念動波で、肉塊に変えられても自己再生するからだ。
「おのれ小娘えぇ!!」
「
物理防御壁が襲いかかるドモルの体にぴったり沿って包み込み、狼人間は両手両足どころか頭すら動かせなくなり倒れ込んだ。ディフェンスシールドは仲間なら出入り自由だけれど、悪意を持つ敵の場合は通さない性質を持つ。がんじがらめで指一本動かせない状態だと、シールドにダメージを与えられず破るのは不可能と言えよう。
「物理防御にもこんな使い方があったんだな、フローラ」
「んふふ、逆位相の拘束だからね、シュバイツ。顎も動かせないからスペルだって唱えられないわ」
「こいつは参ったな、ラムゼイ」
「発想の転換ですね、パウロさま。青のルキアに注釈を入れねば」
さてさて最後の仕上げよと、フローラは扇をくるくる回す。聖職者を裁けるのは聖職者のみ、裁判前に尋問で答えてもらわないと困るのだ。
「神界にまします神々と大天使よ、この男が集めた魂を解放し、謹んでお返し致します。本来あるべき輪廻の輪へ戻し給え、
ワーウルフの体からおびただしいほどの青白い球体が現れ、ガラス窓をすり抜け空へ舞い上がっていく。と同時にワーウルフの体がどんどん萎んでいき、ドモルの姿に戻ったではないか。破けた法衣から覗く脇腹に666が浮かんでおり、もはや言い逃れはできない。集めた魂を抜かれ魔力はすっからかんで、何も出来ないただの人に成り下がったのだ。
「結局ドモルは法王になって、法王庁を自分のものにしたかったわけね」
「ゆくゆくは悪しき選帝侯の国の傍へ、法王領をお国替えするとか、とち狂ってるよなフローラ」
「上層部の聖職者をひとりずつ抹殺し、いつかは自分が法王になろうって計画か。その悪知恵を正しい方向に、どうして向けられないのかしら」
「それが闇落ちした者の、醜さですよフローラさま」
そう言って馬車を上昇させるフローラに、ゲオルク考案のシリアルバーを差し出すキリア。寝起きからご飯を食べておらず、彼女のお腹が鳴っていたからだ。うわありがとうと受け取り、はむはむ頬張る大聖女さま。
裁判でドモルは火刑が確定し、各国の教会で堕落した聖職者狩りが始まるだろう。正に終末ですわねと、キリアは眼下に見える法王庁の宮殿に視線を落とした。
「ところで別れ際、ラムゼイ枢機卿と楽しそうに話してたな、フローラ」
「私の記念大金貨をオークションにかけたらね、五倍の値が付いたんだって、シュバイツ」
「そいつは……また」
世の中には金持ちのコレクターと言うか、好事家はいるもんさとダーシュが笑う。セネラデと交換した古銭をオークションに出したらどうなるんだろうと、そんなことを思いつつフローラは転移門を開くのだった。
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