第67話 フローラの手にある軍勢

 帝国とは大小国家の連合体であり、これをまとめて領邦国家群と呼ぶ。

 その中にあって辺境伯爵とは皇帝から任命される、有力諸侯へ与えられた爵位のひとつ。帝国外の異民族と国境を接し、侵略から守る防波堤の役割を担う。


 ゆえに自主独立と貨幣の鋳造権が認められ、強大な軍事力を有する大国なのが特徴と言える。それが帝国の最も東に位置し、フローラが統治する辺境伯爵領ローレン王国だ。もっとも当のご本人は爵位を些末なことと、空を流れゆく雲のように思っているが。


「お元気そうで何よりだ、ハモンド王」

「達者なようだなゲルハルト卿、大聖女さまの瞬間転移には驚いたが」


 でしょうなと破顔するゲルハルトに、ハモンドがあれは反則だと眉尻を下げる。それでも法王に謁見できたのは、大聖女さまのおかげとエールの杯を傾けた。

 ハモンドも法王庁から正式な王と認められ、帝国外のため戴冠式はグリジア教会で執り行われた。それでもフローラが彼を連れて来たのは、法王と顔つなぎをさせたかったから。自分の戴冠式にはまだ日があるため、暇を持て余したとも言うけど。


 昨日の敵は今日の友。

 気に入らない相手をぶっ潰せば、そりゃすっきりするだろう。けれどそれは一時の感情に過ぎず、後に残るのは累々と横たわる死体と空しさだけだ。それは戦争に限らず、民間のトラブルでも変わりはない。

 他者を苦しめ傷付け空しさを感じないならば、それはもはや人に非ず。人間の皮を被る魔物に成り下がった、ただの骨と有機物でしかない。


「国の立て直しは順調ですかな」

「派遣してもらった執事たちは優秀だ、ローレン王国には感謝しておるよ、ゲルハルト卿」


 フローラは殺戮のための殺戮を望んでおらず、正しき信仰を持つ者であれば、慈悲心をもって導こうとする。これがいつの間にか、味方を増やしてしまう大聖女の才能かもしれない。


 ローレン王国とヘルマン王国は当然として、ブロガル王国にルビア王国、そしてグリジア王国。大聖女の号令でこれらの国々が、兵力を結集すれば数万の軍勢になるだろう。対抗できる勢力が、果たしてこの大陸に存在するだろうか。もしあるならお目にかかりたいものだとは、法王とクラウスが交わした宴席での半ば冗談話し。 


「概要は法王さまから伺ったが、アリスタ帝国を作り直すのだな? ゲルハルト卿」

「さよう、帝国の仲間入りをする気はございませんかな? ハモンド王」


 兵站エリアの空きテーブルで談笑する二人に、ケイトがよろしかったらどうぞと皿を置く。これは何ぞやと問うハモンドに、炙ったエイヒレですと、誕生日を迎えたケイトがにっこり微笑んだ。

 キリアの商隊がまだ戻っておらず、三人娘が貴族である証明はできていない。社交界デビューはお預けとなるが、今夜はお祝いをすることになっていた。何かしら理由を付けて宴会をしたいフローラ軍、言い出しっぺはあの人です飲み助の修道女長。


「実はまだ内密なんだが、娘のエカテリーナを覚えておろう、ゲルハルト卿」

「もちろんですとも」


 ローレン王国とグリジア王国の和平条約が締結される場に、もちろんゲルハルトも立ち会っていた。王位継承権が第一位となった、ハモンドの娘はよく覚えている。

 長年ローレン王国軍の本軍で、騎馬隊長を務めたゲルハルトだ。エカテリーナがただの姫君でないことは見抜いていた、花束よりも剣と甲冑が似合いそうだなと。


「そのエカテリーナなんだが」

「ふむ」

「ヴォルフ殿の弟、マルティン殿を」

「ふむふむ」

「えらく気に入ったようでな」

「それは……また」


 ここで言う気に入ったとは、無条件でマルティンにぞっこんラブという意味ではない。剣の腕前が自分と同等以上でなければ、男として断じて認めない。そんな女傑が婿として認めたとハモンドは言ってる訳だが、ゲルハルトが頭に思い浮かべた認識とは少々食い違ってるかも。

 まあ二人がくっ付いてしまえばハモンドは、シュタインブルク家と縁戚関係を結ぶことになる。ローレン王国と国境を接する隣国であり、大陸全体から見ればその意義は計り知れない。


「大聖女さまが皇帝の妃になるなら、帝国の仲間入りは望むところだ。ところでこのエイヒレとやら、実に味わい深いな」

「実際に泳いでいる姿を見たことは? ハモンド王」

「わはは、それがないのだよゲルハルト卿。グリジア王国にも海はあるが、あいにく砂漠の向こうだからな」


 そこへお邪魔していいかしらと、フローラがシュバイツと一緒にやって来た。ミリアとリシュルが椅子を引き二人を座らせ、護衛武官となったアリーゼが二人の後ろに立つ。三人娘が間髪入れず茶器を乗せた、ワゴンを押してくる辺りはさすが。


「国土の三分の一が砂漠ですか、ハモンド殿」

「そうなんじゃよ、シュバイツ殿。グリジア王国の歴史は豊かな大地を持つ国へ、侵略行為を重ねる歴史と言っても過言ではない。わしは王族ゆえ、その是非を口にできる立場にはないが」

「灌漑工事はなさらないのでしょうか」

「かん……がい? それはいったいどんなものかね」

「大きな川から水を引いて、砂漠に用水路を作る土木工事です」


 それで砂漠を緑化させ穀倉地帯に変えた経緯が、ブロガル王国にはありますとシュバイツは話す。他者から奪うのではなく自ら生み出す、それこそ国主の手腕でしょうと。やがて森が生まれ村や町ができ、国の経済を支えてくれますと、シュバイツは楽しそうにエイヒレを頬張る。


 戴冠式まで日があるからいーじゃんかと、シュバイツは再びレディース・メイドのスタイルに戻っていた。フローラにボイスチェンジをかけてもらい、ミリアとリシュルからお化粧も施されている。

 上背はあるが見た目は麗しき女性で、事前に紹介された時ハモンドはわが目を疑ったものだ。しかしこうして話してみれば国策を、深く掘り下げて考える君主だと分かる。人を見た目で判断してはいけないと、改めて思い知るグリジア王だ。


「工事に関する資料は残っています、お望みなら提供いたしますが」

「おお、それは願ってもないこと。対価は何を望まれる?」

「フローラの盟友でしょう、どうぞお気遣いなく」


 盟友か良い言葉だなと、ゲルハルトは顎髭を撫でた。こうして大聖女は信仰心の厚い者なら、どんどん仲間に引き入れるのだろうと。エールのお代わりはいかがですかとジュリアに尋ねられ、頼むと杯を渡す騎馬隊長であった。


 ――その頃、ここは法王庁の大聖堂。


 帝国では最大規模を誇り、窓のステンドグラスには七大天使が並ぶ。

 暗殺集団の頭目でも、日々の礼拝は欠かさないラーニエが祈りを捧げていた。聖職者モードであれば、その姿は凛と輝いている。正体を知らない者が見たら、思わず懺悔したくなるほど。


「シルビィ殿」

「あら聖堂騎士団長、どうしたのですか? 思い詰めたようなお顔で」

「あの、ですね」

「はい」

「そのう」


 男だろ聖堂騎士だろ用があるならさっさと言え、とは思っても口にしない聖職者モードのラーニエ。笑みを崩さず団長から相談を受けるなら、どんな内容だろうと思考を回転させる。戴冠式や舞踏会の警備に関することであれば、ゲルハルトの所へ行くはずだからだ。


「ローレン王国軍のですね」

「はい」

「兵站部隊から」

「はいはい」

「聖職者向けの」

「はいはいはい」

「料理を作れる人材を派遣してもらうには、どうしたらいいかと」

「ああ、そういう事ですのね」


 牧師になるシモンズとレイラ夫妻も、同じお願いをしていたなとラーニエは人差し指を顎に当てた。フローラ軍に招かれ一緒に美味しい料理を食べてしまったから、その気持ちはよく分かるのだ。しかし従軍司祭の資格を持っていない聖堂騎士だと、動物性の食品は口にできず制約があるわけで。


 精進料理が得意なミューレのレシピは、兵站糧食チームも把握しているはず。あとはフローラが法王庁に対し、レシピの公開と人材派遣を許可するかどうかだ。

 味噌と醤油に続く手札のひとつであり、これは法王を巻き込むようだねとラーニエは視線を上に向ける。そこには大天使ミカエルが、悪しき邪竜と戦う見事な天井画が描かれていた。


「法王庁で炊事場を担当している娘たちと、期間限定で交換するのはどうじゃろう、フローラよ」

「パウロさまがお望みでしたら、それで構いませんわよ」


 夕食を囲むテーブルで、割りとあっさり引き受けた大聖女さま。

 シュバイツはもちろん、同席した誰もが驚いてしまう。まさか無条件ってことはないよなと、クラウスがみんなに思念を送る。

 それはあり得ませんと給仕に付いたキリアが驚愕して返し、どうどう落ち着けと人間モードのダーシュがなだめに入った。マリエラのパートナーとなるべく、疲れるけどフローラの側近として役者に徹しているのだ。


「何か考えがあるんだよね、フローラ」

「そうよシュバイツ、法王であるパウロさまにお願いがあって」


 聖職者を相手に金品の要求はないはずと、ヴォルフにグレイデルが思念を飛ばす。ではいったい何だろうと、ゲルハルトとハモンドが顔を見合わせる。ラーニエだけが前菜のカプレーゼをもりもり頬張り、素知らぬ顔でミューレにお代わりを要求しているが。


 ミューレが作るカプレーゼは、モッツァレラチーズを輪切りトマトで挟んだもの。そこにバジルソースをかけるから、白と赤に緑のコントラストで見た目もきれい。聖職者でも食べられるお料理なので、法王庁では大人気となっている。


「パウロさま」

「うむ」

「私が悪しき魔物信仰の徒と一戦交える場合」

「うむうむ」

「聖堂騎士団の指揮権を私に委譲して頂けませんでしょうか」

「それは法王領だけではなく、大陸全土ということだな?」


 はいと微笑み頷くフローラに、そう来たかとフォークの手が止まるテーブルの首脳陣たち。彼女が事を構える時は全ての聖堂騎士を、配下に置くってことだ。例えどこで戦おうとも、各国教会に配置されている聖堂騎士団はフローラの友軍となる。


「ふぁっふぁっふぁ、よかろう。聖堂騎士を存分に動かし、新たな千年王国をわしに見せてくれ」

「感謝いたします、パウロさま」


 よしこれで聖堂騎士団長への義理は果たしたと、運ばれてきたアラビアータにフォークを刺すラーニエ。唐辛子とニンニクを効かせたトマトソースのパスタで、聖職者でも食べられる。

 フォークでくるくる巻き付けひょいぱく、うんうん美味いとぶどう酒をかぱかぱの修道女長。フローラの側仕えであるケイトの誕生日祝いだ、この後どんな料理が来るんだろうと楽しみでしょうがない。


 そのケイトなんだけど行事用テントで、かんかかんかーんとパスタソースを作ってたりして。本人いわく料理をしてないと調子が狂うそうで、もはや職業病だなと出来上がりを待つゲオルクが呆れていた。

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