第三部 法王領の光と闇

第61話 (番外)ブラム城の居候

 ――ここはブラム城のスティルルーム。


 キャッスル・メイドからスティルルーム・メイドに昇格した、エルザ率いる七人のメイド達。彼女らがいま格闘している相手は何かって言うと、フローラがひょこっと現れ置いていったオヒョウである。市場で売れ残っていたのを大人買いして、お裾分けみたいな感じ。

 瞬間転移を会得してからヴォルフとグレイデルを伴い、最近ちょこちょこ顔を出す女王さま。行軍していると婚約しても、二人きりになれるチャンスはそうそうないから、彼女なりの気遣いもあるのだろう。


「行軍してる兵士さんたち、普段はどんな食事なんでしょうね、ポワレさん」

「栄養に配慮した、それでいて美味しいご飯じゃないかしら、エルザ」


 さもありなんと頷く、スティルルーム・メイドの女子たち。

 オヒョウはカレイの仲間であるが成長すると、重装兵ふたり分の長さと重さになる海底のお化け。平べったい魚は三枚おろしではなく五枚おろしとなるため、ポワレがその指導に当たっているのだ。


 レディース・メイドとナース・メイドの経験があるポワレは、水の都ヘレンツィアで飲食店を営む名店の女将さん。新鮮な海水魚を口にしたことがない、アルメン出身の兵士らはさぞ喜ぶだろうと、唇の両端を上げている。


 ミューラー家の執事とメイドを連れ、ヘルミーナが引っ越してきてからずいぶんと経つ。自分のお役目もそろそろ終わりかなと思っていたら、お願いだからまだ居てちょうだいと頼み込まれてしまったポワレ。アルメン地方の統治にブラム城の改修とすったもんだしており、新人教育にまで手が回らないとも言う。


「お刺身に煮付けとフライでどうでしょう、ポワレさん」

「それで行きましょう、ご飯は多めに炊いた方がいいかもよ、エルザ」


 ですよねーと相槌を打つメイド達が、ならばお味噌汁の具はどうしましょうとわいきゃい。彼女らの村娘根性はすっかり消え、立ち居振る舞いが洗練され、立派なレディへと成長していた。ファス・メイドの三人娘がいなかったら、今ここにいたかどうかも怪しい。人の織りなす縁とは、まことに不思議なものである。


「ところであのお方は、いつまでいらっしゃるのでしょうね」

「うふふ、気が済むまで居座るつもりじゃないかしら、エルザ」


 ここで言うあのお方・・・・とは、グリジア王国のエカテリーナ姫を指していた。ハモンド王の一人娘だから王位継承権は第一位、いずれはグリジア王国の君主となる姫君である。


 ローレン王国から執事と軍資金を借り受け、国の財政立て直しにしっちゃかめっちゃかのグリジア王国。そこでハモンド王は一計を案じ、娘に領地運営を学んでこいとブラム城へ派遣したのだ。期間の三ヶ月はとうに過ぎているのだが、なぜか姫さまは帰ろうとしない。


「失礼いたします」

「あらマルコ、ここに来るなんて珍しいわね」

「ここでないとご相談しにくいことでして、ポワレ先生」


 マルコも執事として様になってきており、マルティンの従者に相応しく剣の腕前もめきめき上がってきていた。ミューラー兄弟の母君である、ヘルミーナからも気に入られているようだ。


「エカテリーナ姫がですね、先生」

「うん」

「マルティンさまに」

「うんうん」

「気があるのではないかと」

「どうしてそう思うの? マルコ」

「彼女の視線の先を追いかければ、僕にだって分かります」


 あなたは良い従者になるわねとポワレは目を細め、からかわないで下さいと唇を尖らせるマルコ。どうやら姫君が居座る理由は、美味しいご飯だけじゃないっぽい。ポワレもスティルルーム・メイドも、それとなく勘付いてはいたのだ。


 度重なる戦争により結婚適齢期の男性が、人口比率で少ないのはローレン王国もグリジア王国も同じ。両国が友好関係を結んだ今、ミューラー家のマルティンは次男坊で優良物件となる。

 もしかしてハモンド王、それも見越して娘を派遣したのではあるまいか。ローレンの大聖女さまと、縁戚関係を結ぶことになるのだから。兄のヴォルフはもちろん母のヘルミーナも、きっとマルティンを祝福するだろう。


「マルコはどう考えているのかしら」

「僕はマルティンさまの従者、どこまでも付いて行く所存です」


 その心意気やよしと、言葉遣いもきれいになったマルコの頭を撫でるポワレ。彼の教育で一番苦労したのがそこだったから、アンナとバトンタッチした先生としては嬉しいようだ。


「マルティンさまは聡いお方です、エカテリーナ姫のお気持ちは察しているはず」

「そうねマルコ、これは何かきっかけが必要かも」

「そこでですね」

「うん」

「温泉の時間割を細工しようかと」


 なんですってー! と、非難するのではなく乗り気なスティルルーム・メイドの女子たち。あんたたちはと呆れ、顔に手を当てるポワレ先生。


「気持ちはわかるけど、温泉の時間割は却下よマルコ」

「やっぱり、ダメでしょうか」


 ダメに決まってるでしょうと、目が笑っていない笑顔を見せるポワレ。これけっこう迫力があるから、マルコもエルザ達もうひっと顔を引きつらせる。

 エカテリーナ姫は側仕えと護衛も連れて来ているのだ、浴室で鉢合わせは誤解どころか国家間の問題に発展しかねない。恋路は場合によって荒療治も必要だけど、ここは慎重を期すべきとポワレは諭す。


「私からヘルミーナさまに相談してみます、皆さん変なことは考えないようにね」


 はいと声を揃えるスティルルーム・メイドだが、なぜかマルコは思い詰めたような顔をしていた。その視線はエルザに向けられており、彼女はどうかしたのと首をこてんと傾げる。


「あのさ、エルザ」

「うん」

「お互い成人したらさ」

「うんうん」

「僕と結婚してくれないか」

「……へ?」


 一瞬しーんと静まりかえるスティルルーム。

 そしてどこが好きになったの、その気持ちはいつからと、メイドらが矢継ぎ早の質問攻め。おやまあと眉尻を下げ、ポワレ先生は成り行きを見守っている。けれどエルザは半眼となり、手にしていた出刃包丁をマルコに向けた。


「どういうつもりなの、マルコ」

「ポワレ先生のいるところで告白したかったんだ」

「どうして私なの」

「人を好きになるのに、いちいち理由付けが必要なのか?」

「ちゃんと聞かせて、でないと刺すわよ」


 ポワレが傍にあった、すりこぎに手を伸ばした。城内に於ける刃傷沙汰は重罪だからで、本当に刺そうものならエルザの手を折ってでも、止めねばならないからだ。


「君の作るご飯を一生食べたい」

「はあ? ご飯と結婚したいわけ!?」

「違う! 君はその手で愛する人の食事を作り、愛する人の子供を産んで、愛する子供を育てる。その手はまた、愛する家族のために食事を作るんだ。僕を君の愛する家族の、未来予想図に入れてくれ!!」


 ジャンとヤレルからお前は騎士になれないと、からかわれたあの時の少年はもういない。マルティンが婿入りすれば、マルコもグリジア王国へ行くことになる。彼なりに考えた末の決断であり、敢えて恩師のポワレがいる前で告白したんだろう。


「エルザが恋愛に関して、あんなにナイーブだったとは思いもしませんでしたわ、ヘルミーナさま」

「多感な時期ですもの、ポワレ。でもそんなセリフで口説かれたら、女冥利に尽きるわね、その後どうなったのかしら?」

「大泣きしてマルコに抱きついてましたよ、私ももらい泣きしてしまって」

「男子三日会わざれば刮目して見よ。昔からある慣用句だけど、前へ前へ進もうとする男の子は好ましいわね」


 そう言って出された紅茶を口に含むヘルミーナと、そうですわねと微笑むポワレ。マルコとエルザの両親を城に呼んで、婚約の義を皆で祝いましょうと話は進んでいく。


「さて問題は、あの二人かしら」


 窓の外に目を向けるヘルミーナに、ポワレがはにゃんと笑う。さっきからかんかんきんきんと音が聞こえてくるのは、エカテリーナ姫がマルティンと、中庭で剣の手合わせをしているから。ハモンド王に似たのか、姫さまと言うよりは剣士なのだ。

 けっこうな腕前で、マルティンと互角にやり合っている。この姫さま領地運営のお勉強を、本当にやってたのか甚だ怪しい。ポニーテールにした金髪が、鍛え抜かれたその肢体が、中庭で楽しいと言わんばかりに躍動していた。

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