第30話 首都ヘレンツィアへの帰還
――ここは雪に閉ざされたブラム城。
フローラ軍が足止めされてから早一ヶ月、雪が解けだしたと思ったらまた降るの繰り返し。こりゃ当分は首都ヘレンツィアに帰れそうもなく、お手上げ状態であった。
だがその代わり、喜ばしいこともある。
雪で村に戻れなくなったキャッスル・メイドと下働きの兄弟たち、新たに雇ったランドリー・メイドが育ってきたのだ。マルコも従者として、執事教育が進み剣の訓練にも勤しんでいる。
加えてランドリー・メイド達はお料理も上手になり、この分だとキャッスル・メイドがスティルルームの新たな管理者になりそうだ。雪解けしたら糧食チームのポワレが残り、メイド教育と執事教育を施す事になっている。そこはレディース・メイド経験者、お任せあれと請け負ってくれた。
「おおう、やってるやってる」
「これで中庭の雪かきは何回目でしょうな、大聖女さま」
「どうして大を付けるの? オイゲン司祭」
「色々と奇跡を見せていただきましたからな、あなたは間違いなく大聖女さま。シモンズとレイラも、同じことを言っておりますよ」
舞踏の練習を終えテーブルの席に着き、談笑するフローラとオイゲン。窓の外では男衆が総がかりで、うおりゃあとスコップを動かしている。
訓練ができないため、中庭だけは雪かきしなきゃいけないのだ。集めた雪は投石器を使い城外へ飛ばすという力業、思い付いたのは何を隠そうフローラなんだが。
「それにですな、こんがらがるのですよ、グレイデル殿も聖女さまですから」
「ああ、それで私には大を付けて区別するのね」
そういう事ですと頷き、オイゲンは甘納豆を頬張る。兵士たちからは人気があり、甘納豆も携帯食料になっていた。燻製肉や干し肉だけでは栄養が偏るからで、兵站糧食チームが導入したのだ。ただし王侯貴族とのお茶会では取引材料となるため、レシピには
そこへただいま戻りましたと、グレイデルが執務室へ戻ってきた。外の鳩小屋へ行き、伝書鳩を飛ばしてきたところ。異界の鳩さんは真冬なんてへっちゃら、いつもと変わらず文を届けてくれる。
「以前から不思議に思っていたのですが聖女さま、伝書鳩が鷹や鷲といった猛禽類に襲われることはないのでしょうか?」
「あれは普通の鳩と違って、逃げる時は恐ろしく速いですよ、オイゲン司祭。急降下速度なら、
それはまたすごいですなと、目を丸くするオイゲン。シュタインブルク家の飼っている伝書鳩は特殊だなと、前々から思ってはいたのだ。ところでミハエル候はまだ、ご帰還できないのでしょうかとフローラに尋ねてみる。
「攻城戦では勝利したけど、皇帝陛下からは梨の礫だそうよ。向こうは雪が少ない地域だから大丈夫だけど、敵地で食料を調達できてるかが心配だわ」
「ローレンの本軍であり、総勢五千名ですからな。さぞ気掛かりでございましょう」
腹が減っては戦はできぬ。向こうにも食料調達の達人はいるはずだが、人数が人数ゆえ苦労はしているはず。キリアがいてくれて良かったと、フローラ軍の誰もがそう思っていた。
「ところでフローラさまが成人されるまで、お戻りにならなかった時のことを考えねばなりません。法王領へミハエル候が同行出来ない場合、身内は私しかおりませんから」
「その時は伯父上に相談しようかしら、グレイデル」
ここで言う伯父とは隣国であるヘルマン王国の君主、クラウス・フォン・フレンツェルのこと。ミハエル候の兄でアウグスタ城には時々訪れるから、フローラはよく遊んでもらったものだ。父ほどの豪快さはないが普段は物静かで、思慮深くユーモアを持ち合わせている。
「ローレン教会のヨハネス司教も確定ですね、大聖女さま。あと護衛に聖堂騎士も何名か」
「私はゲルハルト卿にお願いして、騎馬隊を率いてもらうつもりなの。だからオイゲン司祭も同行よ」
「騎馬隊を引き連れて法王領へですか? 戦争に行くわけじゃなし、あまり感心しませんな」
確かにその通りなんだがフローラとグレイデルの脳内では、危険という赤信号が点滅しているのだ。道中の街道や野営地で、襲われるような気がしてならない。
結界や罠を解除できる、シーフのジャンとヤレルも欲しい。職務上もれなく、レディース・メイドとファス・メイドも同行する。加えて伯父上も一緒となれば、それなりの護衛が付くはず。結構な大所帯となる訳で、一定の兵站部隊も必要になってくるだろう。
その後、ここは礼拝堂。
雪かきと訓練を終えたヴォルフを、フローラが呼び出していた。弟のマルティンとグレイデル、隊長たちにアンナが見守る中、叙任式が始まるところだ。
ゲルハルトが預かり捧げ持っていた長剣を、フローラは鞘から抜いた。鍛冶職人チームにいる、
「今回の戦に貢献したヴォルフ・ミューラーに、伯爵位を授けアルメン領の領主を命じます。ブラム城の城主として、領民を導きなさい」
「は、この命に代えても」
だから命に代えられちゃ困るのよと、はにゃんと笑うフローラ。彼女は剣先でヴォルフの右肩をぽんぽん、左肩をぽんぽんと叩いた。フローラが剣を鞘に納めると、ゲルハルトがそれをヴォルフに突き出した。
武器防具は、意外とお金がかかるもの。長剣は
「これを僕にくださるのですか? ヴォルフさま」
「そうだマルコ、お前にはまだ長すぎて扱い難いだろうがな。しかし騎士の従者となる以上は、それで鉄板を切れるくらいに己を鍛え上げるんだ」
「はい、必ずや!」
自室へ呼び出したマルコに、今まで使っていた長剣を下げ渡したヴォルフ。瞳をきらきらさせて鞘から抜くマルコに、マルティンが目を細めるのだった。
――それから更に一ヶ月が経ち、雪が解けようやく地面が見えてきた。
マルティンを城主代理とし、ポワレは居残り、フローラ軍は一路首都ヘレンツィアを目指す。ヴォルフを連れていくのはもちろん、フローラとキリアの策略でありグレイデルのため。ローレン教会の大聖堂で結婚式を挙げさせたい、そんな思惑が無きにしも非ず。
「フローラさま、どうして私まで装甲馬車に乗せるのでしょうか」
「がたがた揺れないでしょ、アンナ」
「言われてみれば……確かに」
御者台で首を捻るメイド長、馬車がふわふわした感じなのである。
実はフローラが精霊さん達にお願いし、馬車ごと地面から少し浮かしているのだ。六属性が揃ったことで、こんなことも出来るようになっていた。アンナが向こうに着いてまた寝込んじゃったら、気の毒だわと考えたフローラの配慮である。
「この分だと到着してすぐ、誕生日を迎えそうですわねフローラさま」
「ちょっとばたばたしそうね、グレイデル」
「ミハエル候がいらっしゃらない状況での、誕生日パーティーは寂しいですわね」
アンナがぼやき、手綱を握るグレイデルも同感ですと頷く。
春に生まれたからフローラと、命名された大聖女さま。花と春を司る豊穣の女神という意味で、彼女は名前をくれた母テレジアの想いを噛みしめる。
『ところでグレイデル、着いたら洞窟から精霊界へ行くわよ』
『何か理由でも? フローラさま』
『古文書にはさ、チャレンジする者は崖の岩肌をよく見ろって、二回も書いてあるじゃない』
『そりゃロッククライミングですもの、良く見なければ落ちます』
そうじゃなくてと、フローラはグレイデルに思念を送る。ローレン王国で金が産出される山はごく僅か、それなのに昔から良質な金貨を鋳造しているこの不思議。
古文書は希望すれば、伯爵以上の貴族なら誰でも閲覧できる。具体的に書けない秘密があるんじゃないかしらと、フローラは言うのだ。
『まさかあの崖に、金の鉱脈が走っている可能性があると?』
『それを確かめに行くのよ、グレイデル。戦費が
ただしもし鉱脈があったとして、持ち帰るのは金相場に影響を与えない程度よとフローラは付け加えた。金の価値が下がってしまえば、本末転倒だからだ。
『代々のローレン女王は、それを口伝で娘に教えていたのではないかしら』
『テレジアさまは、伝えられないまま他界されたのですね』
『うん、私はそう思う』
『分かりました、ならば確かめに参りましょう』
フローラの推理、実は大当たりだったりして。
崖の岩肌には金の鉱脈が走っており、地面に転がっている岩にも金鉱が含まれる。崖を登るのに全集中していたため、二人とも全く気付かなかったのだ。資金が潤沢で職業軍人を数千名規模で雇い、領民の税率を低く抑えられる秘密がそこにあった。
そして後ろを付いてくる幌馬車ではケイトが、ミリアとリシュルに遊ばれていた。ミリアが髪を結い、リシュルが化粧箱を開きお化粧を施しているのだ。
「これが……私?」
「可愛いわケイト、ねえミリア」
「ほんとねリシュル。ケイトも夏になったら成人するのでしょ、貴族と証明されれば社交界デビューだわ」
ケイトの大変身に、ほええと目を見張るミューレとジュリア。あなた達も来年に備え、覚えておきなさいと微笑むお姉さま方。
実際に女主人の衣装選びと髪結いに化粧は、側近であるレディース・メイドとウェイティング・メイドの仕事となる。覚えてもらわないと困るわけで、次はミューレよと迫るミリアとリシュル。
先頭を行くヴォルフが、ディッシュ湾が見えてきましたと声を上げた。
首都ヘレンツィアはアムル川沿いに形成された運河都市であるが、そのアムル川の注ぐ海がディッシュ湾だ。つまり真水と海水が混じり合う、汽水域にある都市と言えよう。当然ながら市場には、新鮮な魚介類が並ぶわけでして。
うわあとファス・メイドの三人娘が、幌馬車の窓から顔を出してわいきゃいはしゃぐ。いやいやミューレよ、お化粧がまだ半分なんだが。
三人が喜んでいる理由は、海鮮料理を作れるからに他ならない。これは楽しみねとフローラが口角を上げ、そしてグレイデルとアンナはぷくくと笑うのであった。
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