第9話 束の間の休息

 フローラ軍はブラム城への入城を果たし、投石器の設置が始まっていた。近隣の町や村から、入隊を希望する若者も集まってきている。城内の敷地では各隊で訓練が行なわれており、まるで市場のような喧噪に包まれていた。

 アルメンの新兵たちが育ってくれれば、籠城戦の後にブラム城を任せる事ができるだろう。フローラの本隊は心置きなく、国境を越える事ができる訳だ。


 跳ね橋の開閉は投石器と同じく、水車のような歯車があり中に人が入って走る構造となっている。良く考えたものだと呟き、グレイデルは城門から降ろされた跳ね橋に出た。実際にはご先祖さまが、精霊から教わったとされているが。


 ブラム城は城壁の周囲がお堀になっており、近くの川から水を引き込んでいる。上流と下流、両方に繋げており水には流れがあって、魚影が見えるほど澄んでいた。

 ただしそこそこ深さがあるため、フルアーマーの兵士が落ちたら浮き上がれずに溺れてしまう罠。お堀と跳ね橋に城壁が城攻めを困難にし、ブラム城が難攻不落の砦と呼ばれる所以ゆえんである。


「釣れますか、フローラさま」

「ぼちぼちよ、グレイデル」


 木桶を覗き込んでみれば、型の良いニジマスが何匹か。なら私もと、グレイデルは隣に立って竿を出す。本城であるアウグスタ城が湖畔にあるため、二人が釣り糸を垂らすのは珍しい事じゃない。

 釣り道具はキリア隊長に頼んだら、直ぐに用意してくれましたよっと。しばしの休息ではあるが牧歌的な次期当主と側近の淑女に、城門を守る衛兵が眩しそうに目を細めていた。


「執事長のケイオスに、伝書鳩を飛ばしておきました」

「押しつけちゃってごめんね、グレイデル。どんな顔をするかと思うと、筆が乗らなくて」

ふみを読んだらアルメンの奪還に、上を下への大騒ぎになるでしょうね」


 くすくす笑いながら絹糸を使った釣り糸に、針を結ぶグレイデル。針自体が水生昆虫を模しており、釣り人の間では毛針と呼ばれている。うちの兵站部隊は器用な職人もいるのねと、彼女は水面に仕掛けを落とした。


「ところでフローラさま、ひとつお聞きしたいことが」

「どうしたのグレイデル、妙に改まって」

「当面はお稽古事から逃げられる、なんて思ってませんよね?」


 あからさまに目を逸らし、あははと乾いた笑い声を上げる辺境伯令嬢さま。グレイデルがやっぱりなという顔で、あのですねとお小言モードに入っちゃう。


「精霊が城の蔵書室に匹敵するほどの知識をくれますが、宮廷作法と舞踏だけは身につけて頂かないと。婿養子に入ってくれる殿方が、見つからなくなりますよ」

「分かってるわよ、グレイデル」

「お分かりになってま、せ、ん!」

「あれ? 根掛かりしたかな」


 釣り針が水底の岩や水草に引っかかる事を、根掛かりと言う。毛針を交換するようかしらとフローラが竿を立てた瞬間、その竿が大きく弧を描いた。水面に姿を現した魚体は、重装兵の身長以上もある大きさ。


「わわ、どど、どうしようグレイデル」

「衛兵! 弓兵を呼んで!!」


 衛兵が何事と跳ね橋に飛び出して来て、水面に映るでっかい魚にびっくり。やがて呼ばれた弓兵たちが、こりゃ釣り上げるのは無理と目を丸くする。

 小っちゃい体で踏ん張ってるフローラを横目に、グレイデルが弓兵たちに指示を出す。それは矢にロープを結び、魚の頭を射貫く策であった。


「フュルスティンが堀に引きずり込まれたらどうしましょう」

「泳げるから大丈夫よ、早く準備して」

「それちょっと酷くない? グレイデル」


 男四人がかりで引き上げられた魚はナエルと呼ばれ、水生昆虫はもちろん小動物すら捕食する大型淡水魚なんだそうな。ただしお味はよろしいらしく、今夜はこれが出るのかなと、弓兵も衛兵もにっこにこ。


 ――そんなこんなで、ここはブラム城の炊事場。


 新品のメイド服を着用した下女三人に、動きにくい部分はあるかしらと尋ねるキリア。採寸して作らせたけど一応は聞くおばちゃん……もとい兵站隊長さん。

 問題ありませんと応えるケイトにミューレとジュリアだが、新品の服など与えられた事がないため、キリアに少々気後れしてるっぽい。服は縫えるけど今までは古着を手直しして、自分用にしていたから致し方なし。


「今後あなた達を、下女と呼ぶ者はいません」

「どういう事ですか? キリアさま」

「よく聞きなさいケイト、ミューレとジュリアも。あなた達はキッチンメイドとランドリーメイドを兼ねる、キャッスルメイドです。単なる下女ではありません、ブラム城を切り盛りする使用人としての、誇りを持ってちょうだい」


 はいと声を揃え、背筋を伸ばす三人のキャッスルメイド。よろしいと微笑みさてとと、キリアは調理台に乗るでっかい魚に視線を向ける。見事なナエルですねと、三人は胸の前で手を組んだ。


「これを軍団の夕食で出したいのだけれど、あなた達ならどんな風に調理するかしら? 私に腕前を見せてちょうだい」


 さっそく作戦会議を始める三人を、キリアは注意深く見守る。

 ローレン王国の先住民は、透き通るような白い肌に金髪碧眼が多い。この子達は肌の色が濃く東方から連れてこられた奴隷だなと、大陸巡りを経験したキリアは当たりを付けていた。


 生活苦の農民が口減らしに、我が子を奴隷商人に売る、よくある話しである。だがキリアは、そこまで根掘り葉掘り聞いたりしない性分らしい。大事なのは過去じゃなく、これからどう生きるかだと考えているもよう。


 ローレン王国は人種差別や民族差別をしない、来る者は拒まずの国だ。ブラム城で二年も働けば永住権を獲得し、キャッスルメイドを務めたという肩書きが付く。その時こそケイトとミューレにジュリアは、本当の意味で自由を手にするだろう。

 城でお留守番をしていた弓兵と軽装兵が、彼女らに読み書きを教えている。差別意識を持たないからこそ出来ることで、若い娘に対し愛孫あいそんのように接する古参兵は好ましい。


「キリアさま、小分けして蒸します」

「蒸すだけ? ケイト」

「いいえ、皿に盛りハーブを乗せ、ニンニクと塩で味付けした熱々の油をかけるんです」


 そんな魚料理が東方にあったなと、ポンと手を叩くキリア。よろしい取りかかりなさいと、メイド三人組にゴーサインを出す。

 さて大きな魚と言っても軍団の糧食になるため、分量からしてもうひとつおかずが欲しい。兵站の糧食担当たちが何を作りましょうかと、こっちも作戦会議を始めた。


「遅くなりました、キリア隊長。準備はよろしいですか?」

「待ってたわよ、ヴォルフ。兵站部隊が使う地下通路、案内してちょうだい」


 連れ立って台所を出て行く二人を見送り、糧食担当たちはもう一品を鶏肉のクリーム煮と決め、それぞれが動き出す。兵士たちにご飯で苦労はさせない、そんな意気込みが感じられる炊事場である。


「ここが食料を備蓄する地下空間なのね、ヴォルフ。壁も扉も鉄製とは、驚いたわ」

「ネズミの侵入を防ぐために、こんな構造になったと聞いております、キリア隊長」

「それにしても、すごい麻袋の山ね」

「あはは、俺もちょっと驚いてまして」


 ブラム城奪還はアルメンの領民がグリジア王国に、今年生産した作物を納める時期と重なっていた。そこへ向こう三年間、税を免除とする御触おふれが出たわけだ。喜んだ農民たちが生活に困らない範囲で、麦や米に雑穀を城へ提供した結果が眼前に積み上がっている。


「フュルスティンは領民の心を掴むのが上手ですね、とても十四歳とは思えません」

「精霊の助力があるからでしょう、ヴォルフ。ところで二十年前、城の炊事場でネズミ対策はどうしていたの?」

「城内で猫を飼っておりましたよ、餌をあげたりトイレの躾とか、多少の手間はかかりますが有効でした」


 ふむと頷き猫を調達しましょうとキリアが、ローレンの兵站部隊は何でも屋ですよねとヴォルフが、揃ってくぷぷと笑い出す。そこんところは通じ合う、兵站経験者の二人である。


「ところでヴォルフ、あなたからタイムの香りがするのだけど」

「分かります? グレイデルさまから伝道の書と、タイムの葉を頂きまして。タイムはしおり代わりにしてるんです」


 あら良かったわねと、ヴォルフの背中をバシバシ叩く兵站隊長さん。けれど当の本人はと言えば、あんまり嬉しそうな顔じゃない。


「信仰心が足りてないって、グレイデルさまに思われたんですかね」

「こんの、たわけが!」

「え、ええ!?」


 目を吊り上げたキリアに怒鳴られ、理由が分からず狼狽うろたえてしまうヴォルフ。

 タイムはその香りから料理によく使われるハーブだが、花言葉は勇気。未婚女性が騎士や兵士に贈り物をする際は、タイムの葉を添えるのがお約束だったりする。どうもこの騎士は、そこん所を分かっていないようだ。


 主戦力がローレン王国を離れる際、ミハエル候は騎士団から一部の若い騎士を国許に残した。自分は期待されていないのかと、ふて腐れる者もいたがそうではない。優秀な騎士を選び、留守中の国防を委ねたのだ。そして実際に、こうして活躍の場を得ている。


 グレイデルはシュタインブルク家の分家、ヴォルフは譜代の家臣で釣り合いはとれる。そもそも自由恋愛のお国柄、どうして気付かないどんだけ鈍いのか。半眼となったキリアに、背中を蹴り飛ばされたヴォルフであった。


 ――そして夜の執務室。


 釣り上げたニジマスは数に限りがあるため、隊長たちに振る舞うこととしたフローラとグレイデル。キリアが塩焼きにしてくれて、川魚特有の香りと美味しさに目を細める隊長たち。そこに巨大魚の香味油がけと鶏のクリーム煮で、割りと豪華な食卓である。

 国境の砦として築城されたため、アウグスタ城と違い来客用の貴賓室なんてものは存在しないブラム城。一番まともな部屋が城主の執務室なので、首脳陣が食事をする時はここに集まるのだ。


「宣戦布告は無く、停戦合意を守らず、兵士には玉砕か自害を強いる。しかも指揮官は配下の兵を見捨てて逃亡。どうしてそうなるのか、呆れてものが言えませんな、ゲルハルト卿」

「グリジア軍に情け容赦は無用と思っていたし、その気持ちは今も変わらんよ、デュナミス隊長。だが……」


 そう言ってゲルハルトは眉尻を下げ、ニジマスを頬張り咀嚼して飲み込む。

 フローラとグレイデルだけでなく、隊長たちは彼を『卿』の敬称を付けて呼ぶ。理由はシュタインブルク家に何かがあった場合、即座に馳せ参じる豪族のおさだからだ。グレイデルの実家であるマンハイム家も同じで、皇帝直属の伯爵に匹敵する領地と勢力を持つ。その軍勢はミハエル候に付き従い、今はローレン王国を出ているが。

 

「動員された雑兵はみな農民兵だった。冬を前にした収穫時期に、男手を駆り出された農村地帯は困窮するだろう。グリジア国王に領地運営の才は無いとみた、そんな王を持つ領民は哀れだな」

「農繁期を無視して農民を強制徴兵する、その仕組みに問題がありますね、ゲルハルト卿」

「いかにも、領民あってこその王侯貴族という概念が欠落している。しょうもない国ですな、グレイデル殿」


 歴史を振り返れば、そんな王国は栄華と衰退を繰り返し、反乱による下剋上で権力者が入れ替わる。大陸で有史以来、連綿れんめんと国を統治出来ているのは、シュタインブルク家を含め片手で数えるくらいだ。


「失礼いたします、お呼びでしょうか」

「一緒に食事をしましょう、ヴォルフ。あなたにやって欲しいことがあって」

「何をお望みですか? フュルスティン」


 待っていたわよと、メイド三人と給仕に当たっていたキリアが、気味悪いほどの笑みを浮かべヴォルフを末席に案内する。タイムの葉を添えたプレゼントの件は、もちろん口外してはいない。ただ辺境伯令嬢さまのお遊びに、ちょいと乗っかっただけ。


「ポロをやりましょう、その編成をグレイデルと一緒に、組み立てて欲しいの」

「それはいいですね! フュルスティン」


 ぱっと顔を輝かせ、席に着くヴォルフ。駆けつけ三杯よろしく、ケイトが置いたぶどう酒の杯を手に取りぐびぐびと。

 ポロとは選手が馬に乗り、マレットと呼ばれるラケットで球を運んだり打ったりして、相手のゴールへ入れれば得点となる競技。馬術の腕前が試されるスポーツで、特に騎馬隊の騎士は大好きなのだ。


「得点王にはローレン金貨一枚、最優秀チームには全員に銀貨三枚よ! もちろん私も参加するわ」

 

 得点王はわしだなとゲルハルトが、うんにゃそうは行きませんよと食い付く百人隊長たち。それぞれがぶどう酒の杯を手に、火花を散らし始めた。

 ちなみに臨戦態勢じゃないので、フローラは飲酒量に制限を設けておりません。父ミハエル候から兵士には、飲んでいい時は飲ませろと言われているからだ。


「私も参加してよろしいのでしょうか、フュルスティン」

「馬術に自信があるなら、兵站部隊の参加も大歓迎よ、キリア」


 これはポロ大会、各隊の総力戦になりそうな予感。

 そんな中で長テーブルを挟み、グレイデルとヴォルフの視線が交錯する。キリアからお説教されたせいか、ヴォルフちょっと意識しすぎ。何も知らないフローラは自分が釣り上げたニジマスの、塩焼きをあむあむ頬張るのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る