第28話 目覚めと戸惑い

 闇の中に、フェルニナは横たわっていた。体の上に何かが重くのしかかる。どけようとしてもがくと、ますます重くなった。


(苦しい、助けて……)


 体がつぶされる。息ができない。自分は死ぬ、もうダメだと思った時――急に辺りが真っ白になった。


「おはようございます」


 カーテンレールがすべる音がした。


「お目覚めですか?」


 フェルニナの顔を覗き込んだのは、見たこともない女だった。フェルニナは状況が理解できないまま、ベッドから上体を起こした。


「痛っ……!」


 みぞおちに鈍い痛みが走った。ネグリジェをめくって見ると、傷跡はないものの、腹部の皮膚が少し赤らんでいた。


「大丈夫ですか。とりあえず着替えましょう」


 女はそう言って、ネグリジェを脱がし始めた。


「あなたの名前は?」

「お世話をさせていただく、マテナでございます」

「ここはどこ?」

「王城ですよ。さ、腕を上げて」


 マテナは50代くらいだろうか。黒い髪をひっつめて、紺色の質素なドレスを着ている。


(オウジョウって……?)


 頭がぼんやりしている。マテナに着替えさせられている間、フェルニナは部屋を見回した。自宅の数倍はある広さだった。


(何だか違和感があるわ)


 部屋の作りや天井の構造、壁紙の模様、家具のデザインのどれをとっても、一級品であることには違いないが、自分の見てきたものとおもむきが異なっていた。どこか違う国の技術が使われている感じがした。


「お立ちください」


 フェルニナは言われるがまま、ベッドから降りた。マテナは手際よく赤いドレスを着せていく。


「よくお眠りになりましたか?」


 振り向くと、扉の前に若い男が立っていた。その男は黒髪を一つに束ねた特徴的な髪型をしていて、軍人が着るような黒い礼服を身に着けていた。

 見覚えのない人物だが、どこか冷たさを感じる漆黒の目を見た時――フェルニナはみるみる記憶を取り戻していった。


「あなた……グレンと呼ばれていた人ね。私のお腹に変なものを埋め込んだ」


 フェルニナがきっと睨むと、グレンは苦笑した。


「あの状況で私を覚えていましたか」

「ええ、もちろんよ!」


 フェルニナは嫌味たらしく言った。


(思い出した。グレンと怪しいお爺さんが、私の体に何かをした!)


 ここに連れて来られた時は恐ろしくてたまらなかったが、冷静になると怒りが込み上げてくる。


「ここはどこなの? 何で私は生きているの? お父様は?」


 グレンは答えず、マテナに目配せした。


「……まだか。そろそろお連れしないと」


 グレンに言われ、マテナはフェルニナの肩をそっと抱いた。


「準備は済みましたよ。王女様、グレン様と共にお行きください」

「私はフェルニナよ。王女って何?」


 フェルニナが睨むと、マテナは困ったような顔をグレンに向けた。グレンは呆れたように首を振った。


「今は黙って従ってください。従えば、イリーナがどうなったか教えてあげますよ」


 フェルニナは驚き、グレンに駆け寄り服を掴んだ。


「リナは生きているの?!」


 グレンはフェルニナの手をほどくと、部屋を出た。フェルニナもグレンの後を追った。

 上流階級育ちのフェルニナでさえ経験したことがないほど、やたら広い屋敷だった。廊下の角を数え切れないくらい曲がり、天井まで届きそうなほど長い階段を上りきった時には、フェルニナの体力は限界に達していた。


(リナだったら汗一つかかないでしょうね)


 イリーナのことを思うと、涙が込み上げてくる。イリーナは死んでしまったのだろうか。それとも自分のように生き延びたのだろうか。フェルニナはドレスの袖で涙を拭った。

 5、6メートルはあろうかという騎士像を通り過ぎると、宝石をちりばめた大扉の前に着いた。


「グレンです。お連れしました」


 グレンが呼びかけると、扉が開かれた。部屋に入ると、テーブルを囲んで2人の見知らぬ男女が座っていた。2人とも無言でフェルニナを見ている。


(何なの、ジロジロ見て。礼儀を知らない人たちだわ)


 フェルニナは心の中で軽蔑しつつ、にっこり笑みを浮かべた。そして、赤いスカートのすそを持ち上げて、足を少し後ろに引いた。


「ごきげんよう」


 これは女性が行う挨拶の作法だ。礼儀とは相手のために行うものではない。社会において名声と評判を得るための手段として自分のために行うものだと、ソロキンの雇った老齢の家庭教師からさんざん指導を受けたものだ。

 フェルニナの毅然とした態度に、2人はやや面食らったようだった。すぐに男が椅子から立ち上がった。


「それがブリューソフ式の挨拶なのですね」


 男はそう言うと、フェルニナの方に歩み寄って来た。屈強な体をもつ壮年の男だった。ウェーブのかかった金色の髪からのぞく肌に、切り付けられたような無数の古い傷があり、明らかに軍人だと分かる。


「さあ、こちらにお座りください。グレンご苦労だったな」


 グレンは軽くうなずくと、フェルニナに耳打ちした。


「あの方はザルカー元帥です」


 ザルカーは穏やかな笑みを浮かべて、フェルニナを見ている。だが、感情の読めない笑みでもあった。フェルニナは妙な威圧感を感じて、2、3歩退いた。


「場をわきまえなさい。なにゆえ私と肩を並べるのか!」


 女が声を荒げた。浅黒い肌に金色の髪をした魅惑的な女だが、気が強そうだ。だが、気が強いのはフェルニナも同じだった。


「あなたの方がよっぽど偉そうだわ。挨拶もしないでふんぞりかえって、何様なの?」


 フェルニナは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「なっ……失礼な!」

「失礼なのはあなたでしょう? 礼儀もまともに学ばなかったの?」

「何ですって?! この下民が!」


 女は怒鳴りながら立ち上がった。薄い紫色のドレスから、甘い香水の匂いが漂ってくる。豊満な胸元には、宝石をちりばめたネックレスが光っていた。フェルニナはふと疑問に思った。


(そういえば、なぜみんな着飾っているのかしら)


 ザルカーとグレンもまた黒い礼服を身に着けている。そしてその礼服は、ブリューソフの礼服とは形式が異なっていることに気付いた。


(ここはブリューソフじゃない。私、外国に連れて来られたんだわ!)


 フェルニナはようやく、自分が置かれている状況を理解した。ここがただの広い屋敷ではなく、どこかの国の「王城」なのだと。そして、みな盛装をしているということは――。

 その時、ザルカーがフェルニナの前に立った。


「シズレ様、お控えください。こちらは、センタルティア王女様です」


 ザルカーが言うと、女――シズレは目を剥いた。


「センタルティアですって? 何を今さら……センタルティアは行方不明のはずよ!」

「王女様はお戻りになったのですよ」


 ザルカーはそう言うと、フェルニナの腕を引いて中央の扉に向かった。フェルニナは困惑しザルカーに尋ねた。


「ちょっと、どこに行く気なの。それに、王女って……」

「王女様のご帰還を、みなに知らせなければなりません」


 ザルカーは、フェルニナを中央扉の前に無理やり立たせた。そして、扉がゆっくり開かれると、まばゆい光が差し込んだ。目の前の光景に、フェルニナは言葉を失った。

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