過去の自分に伝えたいことはありますか?

すでおに

過去の自分に伝えたいことはありますか

 木々が緑に色づき、芝生が茂った公園のベンチで、隆弘はうなだれていた。子供たちのはしゃぐ声は、遠くの海鳴りのように形なく聞こえた。何度目かのため息を吐いて、また足元に視線を落とした。


 不意に人影が日差しを遮った。顔を上げると男がいた。何も言わずに隣に腰かけた。頭には山高帽、白いシャツの上に黒のカーディガンを羽織り、下は黒いスラックス、革靴は良く磨かれている。手にしたステッキは黒か、焦げ茶色にも見えるがいずれにせよおろしたてのようにつややかだった。


 男はまっすぐに前を向いたまま「過去の自分に伝えたいはありますか?」と言った。


 すぐに返事ができない隆弘を、男は何も言わずに待った。


「恋人にフラれました」隆弘が言った。ステッキの上で両手を重ねた男の視線は前を向いたまま。


「彼女に『私と結婚する気あるの?』と訊かれて、返事に詰まってしまいました。その気がなかったわけじゃないんです。彼女の結婚が望が強いことは知っていました。何度も聞かされていましたから。ただ仕事が忙しくて、今抱えてるプロジェクトが落ち着いてから、と思っていました。ずっとはぐらかし続けてきた僕に、彼女がとうとう業を煮やしてしまった。もっとちゃんとはっきり言えばよかったんです。昔から優柔不断で、そんな性格をずっと直したいと思っていたんですけど。今度という今度はつくづく自分が嫌になりました」


「彼女を愛していたんですね?」

 男はやはり前を向いたまま言った。


「もちろんです。彼女以上の人などいません」


「あなたは過去に戻って彼女に『結婚しよう』そう言いたい?」


 隆弘が横を向くと初めて目が合った。茶色の瞳は、真実を映す鏡のようだった。


「過去の僕に伝えてくれるんですか?」

 隆弘はその目を覗き込んだ。


「そんなことできるわけがないでしょう」

 男は高笑いしながら去っていった。

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