応援コメント

03 お七、西鶴、そして芭蕉」への応援コメント

  •  こんばんは、御作を読ました。
     西鶴さんは当時の流行の最先端というか、彼が作るものが流行るので、本当に凄いんですよね……。
     そうか、芭蕉さんの方がチャレンジャーなんだなあと改めて思いました。後世の印象からすると逆っぽいのが愉快で、面白かったです。

    作者からの返信

    西鶴はホント凄いと思いますよ。
    俳諧も小説も、みんな流行る。
    こんな人がよくいたよな、と思います^^;

    一方の芭蕉。
    すでに成功した西鶴に比して、おっしゃるとおり、挑戦者です。
    のちの俳聖なので、たしかに後世から見ると、芭蕉の方が「上」みたいに思えます。
    このあたりは歴史の妙という奴でしょう^^;

    ありがとうございました。

  • なんとなくですけど芭蕉は安定を望まなかったのかな、と思っています。
    定住、顔見知り。
    自らの俳諧の道に進むにはむしろ邪魔になる。
    常に刺激を受けるには旅が良かったんでしょうね。

    作者からの返信

    おっしゃるとおりだと思います。
    当時の俳諧は新しい文芸。
    であれば安定ではなく、冒険の方向へ舵を切りたかったのは。

    単なる滑稽文芸ではない、詩情を歌うには、やはり旅。
    そういう発想が、芭蕉を俳聖たらしめたのでしょう。

    ありがとうございました。

  • これは大学で学んだのですが、当時は上方が文化の中心であったとか、西鶴が最初俳諧出有名になったことも知りました。 その西鶴と組み合わせて、「あなたは自由に生きてほしい」というお七の思いを汲んだというのは、とても素晴らしい展開だと思います。

    作者からの返信

    上方が文化の中心。
    言われてみればそうですね。
    だからこそ西鶴は、あんな二万句チャレンジをやったのでしょう。
    文化の中心で、己こそがそのエッジを行く者だ、と。

    そして拙作の芭蕉は、それに反感を抱かず、むしろ素直に感心して、そこからお七の言葉を知ったという展開にしました。
    西鶴と芭蕉も、あまり触れ合いの無い二人とされていますが、何というか、こういうつながりもあったのではと妄想したのです。
    お褒めいただき、恐縮です。

    ありがとうございました。

  • 西鶴の二万翁は存じませんでした。
    今日の俳壇の基礎となる芭蕉のスタンスと相対していますね。
    知らないことを教えていただきましてありがとうございます。

    作者からの返信

    西鶴は何というか、エネルギッシュなんですよ(笑)
    でも、何かそれが俳諧なのかというような句までカウントしていたようです^^;

    一方の芭蕉は、おっしゃるとおり対照的。
    そんなに数をこなすということはあまりせず、一句一句、呻吟するような感じですね。

    こちらこそ、ありがとうございました。