第34話 うつけ信長

天文18年(1549年) 9月那古野城

 滝川 左近将監(一益)


 「左近、四郎左衛門簗田政綱。此度の役目、大儀である」

 「「ははぁっ!! 」」


 もはやお馴染みといった具合で、数ヶ月前と同じ様に那古野城大広間で派手な小袖を羽織った信長さんが脇息きょうそくに片肘を付き、気怠そうに俺と、隣に並ぶ簗田政綱さんを労った。


 口数が多い方ではない信長さんからすると、この一言すら面倒くさいのかもしれないね。格式なんかを大事にする御家ではこういう当主やそれに準ずる人との対面はもっと仰々しくやるようだし。


 「では、此度の報告は簗田政綱から……」


 此度の報告は安祥合戦後と違い、出席者は少ない。上座に居る信長さんの他は、平手政秀、平手久秀政秀の子、佐久間信盛、佐久間盛政信盛の従兄弟といった現時点で信長さんに味方する譜代の人たちだ。前田家や佐々家、池田家、森家などもあるが家格的に今回は上層部の人達だけが集められたようだ。


 さて、年長者である簗田さんがつらつらと今回の次第を信長さん達に話している間に、俺も思考を整理しておこう。


 まず、人質交換についてだが、これは上手く成立した。信広さんをしっかり取り返した俺たちだったが、その信広さんはというと末森城にて現在、謹慎中だ。庶長子とはいえ、安祥城を取られ、人質交換と和睦の材料とされてしまったからには、ある程度の責任は取る必要がある。


 また、今回の和睦にあたって、三河今川領と尾張織田領の線引きがくっきりと決まった。末森の南に織田信光の守山城、さらに南東に進めば佐久間一族の御器所、山口教継、教吉親子の鳴海城、近藤景春の沓掛城辺りまでは織田方だ。


 一方で尾張と三河の境にあると言える刈谷城、緒川城、大高城の水野氏は今回、今川に降伏をしたが、所領安堵とされた。だが、これまで織田寄りだった立場を改め、今川方の国人衆として織田家との緩衝役を求められたようだ。敵味方に分かれてしまったとはいえ、安祥城を救いに行く際には俺達に良くしてくれた水野信元さんが無事なだけよかったと思う。


 そんな形で、鳴海・沓掛から東海道を東に進めば、割とすぐ、目と鼻の先に桶狭間があるような国割になったし、俺の知っている”桶狭間の戦い”が段々と迫ってきたような気がする……。


 次に、楽しみにしていた太原雪斎との対面だが、できたのはチラッと顔を合わせた際のステータス確認だけ。今回の交渉事は長い髭がチャームポイントの織田の長老・織田玄蕃秀敏さんが取り仕切っていたので俺は秘書的な仕事しかできなかったからね。


 太原雪斎のステータスはこれ。


 “太原 雪斎 ステータス”

 統率:92 武力:65 知略:98 政治:99

 「 スキル 」

 ・黒衣の宰相:敵対者の全てのステータスを-7


 さすがのステータスというべきか、今川家をここまで大きくした立役者なだけあって、かなり高い。スキルに至っては、雪斎和尚が敵と見做したものにデバフ効果を引き起こすという内容だ。


 さすがの俺も、このステータスの能力が発現してから今までで、デバフ効果のスキルは初めて見たぜ……。やっぱり黒衣の宰相と聞けば、皆が萎縮するほどの人物だからかなぁ。その能力も少し納得といったところだ。


 「和睦の件はようわかったわ。それより、雪斎はどうであった」


 俺が雪斎和尚のことを思い返していると、簗田さんの報告も一通り終わって、話題は雪斎和尚の件になったようだ。


 「はっ! 交渉は織田玄蕃秀敏様がなされた故、我らが話す機会はございませんでしたが……」


 信長さんに問いかけられ、なんとも言い難いような顔で頭を上げた簗田さん。実際、供廻役とは交渉役の補佐をするのが仕事だ。


 地味かもしれないが、今回の交渉内容を文書としてまとめたり、今川家と織田家の領地の境目をどこにするのかや、細かい実務のすり合わせなどなど……。とにかく俺は細かい仕事を簗田さん達とやり遂げ、ようやく帰ってきたってわけだ。


 「とはいえ、主ら交渉の場に居たのだろう。あの親父が何度も戦で勝ち負けを繰り返す……、いや、負け越す様な男であったか? 」

 「それは……」


 信長さんにそう言われて言い淀んでしまう梁田さん。ここでまさか当主・織田信秀より雪斎和尚の方が優れているなんて簡単には言えないよねぇ。もしそんなことを言っていたなどと信秀さんの耳に入り、激怒したとかってことになればこの時代、大問題だから。


 でもそこですぐさま否定せず言い淀んじゃうあたり、梁田さんは詰めが甘い。実質、雪斎和尚が優れた人物だって言っているようなものだからね。


 「そうか。雪斎はそれほどの男であったか……」


 無言で答えた簗田さんを見て納得したように頷いた信長さん。そりゃ誰だって梁田さんの反応を見れば嫌でも答えはわかってしまう。


 一方で、父親・信秀さんは家督相続を明らかにしないなど、武家当主としてはやや不安視すべき要素はあるものの、信長さんはその軍事の才能にはかなり信頼を置いている風潮がある。その父親を何度も打ちのめしている雪斎和尚や今川義元を敵ながら尊敬しているというか、相当気にしているみたいだね。


 「そんな男が導き鍛え、仕えるような人物が今川治部大輔義元……で、あるか」


 そう言うと信長さんは手元の扇子をぱちりぱちりと叩きながら、何か考え事をするかのようにくうを見つめていた。


 信長さんの思考を邪魔せぬようにか、皆が沈黙し、幾たびかの扇子の音が広間に響いた後、ようやく口を開いた。


 「親父は弾正忠家を強くし、尾張の虎と呼ばれるほど戦上手。故に今川も親父を警戒し、何度もやりあうこととなった。だがしかし、親父にその強さはもはやない……」

 「……若様。そのようなことは申してはいけませぬ」

 「そうは言うが、じぃよ。倒れた親父に何ができる。いまや話す事すらままならぬ尾張の虎は、いったい何に喰らいつけるというのか」


 信長さんが言うように現在、弾正忠家当主・織田信秀は病に倒れて療養中だ。手足のしびれを訴え、とこから起き上がれず、呂律が回らずやっと話せる程度ということらしい。出陣式で既に体調が悪そうだったが、症状的には恐らく脳卒中ではないかと思う。


 現状、命に別状はないのだろうが、この時代の医療では回復は難しいだろう。信秀さんが生きている限りは御家騒動などは心配ないだろうが、彼のカリスマ性で成り立っていた弾正忠家にやや暗雲が立ち込めてきた。


 「これから儂は末森に赴く。話せるうちに親父に家督相続を認めさせ、俺が弾正忠家を継ぐ。三河を手に入れたばかりの今川はまだ尾張を攻めぬだろう」

 「平手家は若様の家督継承を支持いたしまする。しかし、勘十郎様はいかがいたしますか。末森城には譜代の林一族や、勘十郎様付家老の柴田殿も居りますが……」

 「親父が認めた家督相続であれば生きておるうちは俺に従うだろうよ。ま、勘十郎のことなどより、まずは大和守家との事の方が先よ。今川と和睦して居る間にこの因縁をなんとかせねばな」


 そう言って、如何にもコイツがそのためには重要だと言わんばかりに俺を見つめる信長さん。それに合わせて佐久間さんや平手親子、梁田さんの視線も自然と俺に集まった。


 「では、大和守家とのことでそれがしから説明させていただきまする」


 これは遡ること2時間前。三河で行った和睦の内容報告のために広間に皆が集められる以前の事だ。


△△


 俺は、滝川家に届いた一通の手紙の件で信長さんに面会を申し込んでいた。というのもこの手紙、俺が尾張不在の間に大和守家から滝川家に届けられた引き抜きの打診……いわゆる、寝返りをしないかという密約の手紙だった。


 ちなみに大和守家の動向については、ちかごろ清州城に潜ませた滝川忍びによって筒抜けだ。それによって、中身を知っている俺はそれを封を開けずに信長さんに献上。敵陣営からの手紙を見ないで主人に忠誠心を示すという見事なまでのゴマすりパフォーマンスにしたってわけだ。


 「ほう……。封も開けずに大和守からの文を我に献上するとは、二心はないとの表明か? 」

 「滝川家は新参で御座いますれば、家中で恨みを持つ者もおりましょう。その者らにあらぬ噂を立てられても困ります故……」


 主人に取り入るためのゴマすりですとは言えず、軽く誤魔化したが、そんな俺をやや疑わしげな視線で見てくる信長さん。


 「ふっ。まぁ、そういうことにしておこう」

 「ははっ……」


 信長さんの視線から逃れるように平伏し、俺はなんとかその間をやり過ごした。なんだか鼻で笑われた気がしたが、とりあえず信長さんの機嫌は損ねずに済んだようで、安心安心。


 「しかし、この文。うつけに仕える新参であれば容易に裏切ると考えたのか、大和守。知恵の浅い男よ」


 このような引き抜きがあることは予想していたのか、それほど驚いた表情もない信長さん。普段のうつけと呼ばれる振る舞いは、やはり敵を油断させるための罠なのだろうか。


 「ですが、それも含めて三郎様の思惑通りといったところで御座いますか? 」

 「はて、思惑とは……。儂は儂のやりたいように振る舞っておるだけだ」


 軽く探りを入れてみようと聞いてみたが、信長さんに鋭い視線でそう言い返されてしまった。


 いけない、いけない。ちょっと出しゃばり過ぎた……。世の中、気が利く部下は上司に好かれるが、あまりやり過ぎると今度は鬱陶しく思われてしまうもの。何事もバランスが重要だ。


 だが、おそらく信長さんのうつけと呼ばれるような振る舞いの理由は周りを油断させるため仮初のもの。尾張国内、美濃、三河の敵対勢力は尾張の虎と恐れられる父親・信秀を警戒する一方で、嫡男のうつけ信長ならば容易く勝てるだろうという隙が生まれる。


 「そうでございましたか。出過ぎた真似を……お許しください」

 「で、あるか。だが、お主の考えていることは当たっておる。儂がうつけ若様であることで、他家は弾正忠家を侮る。父上は強すぎるのじゃ。故に近年は皆が警戒して備えるためになかなか戦で勝てぬのだ」

 「しかし、それは傅役・平手様なども承知でございますか? 」


 史実の平手政秀さんは信長さんのうつけと呼ばれるような振る舞いを諌めるために切腹したとも言われる忠義の人だ。


 また、教養人としても有名で公家の山科言継が平手さんが造った屋敷と庭を絶賛したと言われるほど。そんな教養人だからこそ、信長さんの常識を逸脱した振る舞いには人一倍頭を悩ませていたのかもしれない。


 だけど、あれだけ信長さんを大事にしている傅役を死なせるのは惜しい。信長さんの真意を知れば、平手さんも切腹せずに済むんじゃないだろうか……。


 「じぃは知らぬ。儂の傅役ですら手のつけられぬうつけという噂だから皆が信じるのだ」

 「なるほど……」

 「だが、うつけのはずの儂が大和守家を潰すとなると流石に目立つな……。勘十郎も弾正忠家の家督の事を容易く諦めるとは思えぬのに今川とまた戦をするのはまずい」


 そう言うと、まるでそこに見えない敵・今川義元がいるかのように虚空を見つめ、険しい表情をする信長さん。


 「では、平手様に1つ手柄を挙げていただきましょう」

 「じぃに手柄だと? 」


 納得がいかぬと言った具合に眉を顰める信長さん。どうやらうつけな振る舞いの理由を話すのには少し抵抗があるみたい。わざとやっていたとは言え、悪ガキが親に対して急に素直に振る舞う時ってちょっと気恥ずかしいよね。


 信長さんの珍しい少年らしい反応を少し微笑ましく思いつつ、俺は信長さんに説明を続ける。


 「はっ。三郎様が家督継承で末森にいる間に平手様が大和守を討てばよいのです。某の手紙を使えば敵を上手く引き込めるかと……」

 「ほぅ。面白い。この後の場でじぃに今後の策を説明しろ」

 「では、三郎様のこれまでのうつけの振る舞いについても平手様にわけを申してよろしいでしょうか。あの御仁は三郎様を心から心配しております故……」


 俺の問いかけに、少し気まずそうに頬を掻き、背を向ける信長さん。こうして信長さんを見ると、まだ後世で言われるような第六天魔王や苛烈な性格の天下人・織田信長ではなく、年相応な15、6才の青年なんだよね。


 「じぃに言うのは良い。じゃが、だからと言ってうつけの振る舞いを止めるつもりはないからな。今川を欺くためにこれからも儂はうつけ若様でなければならん」


 そう言うと信長さんは俺の返事も聞かず、がらりと襖を開け放つと、とっとと部屋を出ていってしまったのだった。


△△


 「そう言うわけで平手様には大和守家を討つべく、一芝居打っていただきたく……」


 一通りの説明を終え、そう言って平手さんの方に視線を向けると、そこには目を潤ませて信長さんを見つめる平手の”じぃ”が居るのだった。


 「若様がそのようなことを……」


 平手さんは涙を堪えてそう呟くなか、信長さんは気恥ずかしいのか目線を合わせることはなく、やや赤くなった頬を掻きながらこう言った。


 「……じぃよ、世話を掛けたな。うつけな振る舞いはまだ止めることはできぬが、それでも儂を支えてくれ」

 「ぐすっ……。はっ、無論で御座います。平手中務丞政秀は若様の傅役ですから」


 そんなこんなで、いい感じの関係性になった平手のじぃと信長さん。この感じなら平手政秀の切腹もなくなったかなぁ。


 信長さんと平手さんの主従の絆に感動した俺だったが、同時に、「肝心の大和守家を陥れる策の話をまだ説明できていないけど、どのタイミングで切り出せばいいのだろうか……」と、少々困るのであった。

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