第31話 雪斎の弟子

天文18年(1549年) 8月 桶狭間周辺

 鵜殿 長門守(長照)


 近頃体調をよく崩すようになった父・鵜殿長持に代わって元服するとすぐに家督を継ぎ、ようやく慣れてきたこのごろ。


 此度の安祥城攻めには母上が治部大輔様の妹ということもあり、私は今川一門の端くれとして軍監という大役をなんとか務めたのだった。


 今のところ大きな失敗もなく、諸将には、”さすが治部大輔様の甥御よ”と評されることもあるが、師である雪斎和尚の教えを活かし、なんとか振る舞っているだけなのだ。


 そんな私も戦が終わり、今度は和睦交渉の補佐を任された。今川の交渉役は雪斎和尚と朝比奈備中守殿。交渉は岡崎にて行われるため、織田方の使者を迎えに西三河と尾張の狭間までやってきたところだ。


 三河を抑え、今川と因縁のある斯波家の尾張までもう少しではあるが、もうすぐ稲の刈り入れの時期もやってくるため、いつまでも戦に明け暮れるわけにはいかぬ。


 少し刻限に遅れてしまったが、桶狭間と呼ばれる辺りに私が今川の案内役として幾人かの家臣らと到着すると、既に織田方は到着していた。


 「いやぁ、まさか供廻役があの大手門の守将・滝川殿と簗田殿であるとは……。迎えに松平家の者を差配しないで正解で御座ったな。はっはっは」

 「ご配慮忝い……」

 「滝川左近も我らが供廻役とは、正直どういう訳かと思っていたんですがね」


 織田の一行を先導するのは安祥城の守将であった滝川左近将監殿と梁田四郎左衛門殿。松平の手勢を散々に打ち破った勇将をわざわざ送って来るとは、人員差配をした者はなかなかの強気か、はたまた阿呆であるか……。


 いくら戦を辞め、和睦を取り決めるといえど、当主や重臣を討ち取られた場合、その関係者は心中穏やかでいられるはずもない。此度の場合は松平家重臣・本多平八郎殿の討ち死がそれにあたる。


 それはともかく、松平の者に聞かれれば鬼の形相で睨まれそうな冗談を言った私の言葉に、恐縮するように答える簗田殿とにやりと笑って答える滝川殿。


 「さ、左近殿……、若様がお決めになったことですぞ」

 「あいや、すまぬすまぬ。松平家の方が居ればこのような事は申しませんでしたが、長門守殿は気さくな方のようでしたので、つい。四郎左衛門簗田政綱殿も長門守鵜殿長照殿も聞かなかったことに……」


 簗田殿に謝りつつ、私に向かって笑いながら器用に片目を瞑るような仕草ウィンクを向けてきた滝川殿。


 あの仕草がなんの意味があるのかわからぬが、その表情から察するに滝川殿はわざと戯けたらしい。私と2人で簗田殿を揶揄うような形になってしまったが、どうやら滝川殿は強心臓の持ち主で、更には冗談のわかる御人のようだ。


 物怖じもせず、朗らかな滝川殿に人を惹きつけるなにかがあるのか、松平には多少申し訳ないとは思いつつも、私の口角も滝川殿に釣られて自然と上がっていた。


 「結束が固く、戦に強いとされる松平勢を崩した武士と聞いてどんなに筋骨隆々な恐い御方かと思っておりましたが予想が外れましたな」

 「はははっ。それは申し訳ございませぬ。しかし、彼の有名な黒衣の宰相殿に会えると思えば楽しみで……」


 師匠に会えるのが楽しみとはやはり滝川殿は変わった御人だ。今川家中ですら師匠に会うときは緊張するという者の方が多いというのに……。


 「それを聞けば師匠は喜ぶかもしれませんね。師は会って喜ばれることより、恐れられることの方が多いですから」

 「師……、というと、長門守は雪斎和尚の教え子で御座いましたか。なるほど、道理で”能力値”が高いわけだ……」

 「す、すみませぬ。よく聞き取れなかったのですが、なにが高いと? 」


 雪斎和尚を師と呼んだ私を見て、教え子であることをなにか納得するように頷いた滝川殿。最後に何かが高いと言っていたが、馬上の会話故、距離があってよく聞き取れなかった。


 「いえいえ。最後のはお気になさらず……。たしか、雪斎和尚の弟子と言えば、治部大輔様もそうであられましたな」

 「いかにも。叔父上は私の兄弟子にあたります」

 「なるほどなるほど。雪斎和尚の教えがよろしいのか、治部大輔様は東海一の弓取りと評されるほど。それに長門守殿も優秀だ。……、よろしければ一つ、拙者に雪斎和尚の教えを教えていただけませぬか」


 まだまだ未熟で若い私を、偉大な叔父上今川義元と並べて褒めそやす滝川殿。駿河・遠江を治め、武田・北条と渡り合い、此度三河を手中に収めた叔父上と同等に扱われるのはこそばゆいが、嬉しくもある。


 そうして、朗らかに笑いながら馬を寄せてわざとらしく周りを窺い、小声で雪斎和尚の教えの秘訣を乞うてくる滝川殿の姿に思わず笑ってしまうが、そう易々とは明かせぬな。


 ただ、師の教えの中で既に滝川殿が行っていることを伝えるだけならばよいか。滝川殿には申し訳ないが、すべてを知りたければ和尚に弟子入りしてもらうほかあるまい。


 「ふふふっ。全てを明かすは無理に御座いますが、師の教えで滝川殿がすでに行っていることが御座いますよ」

 「ほぅ。と、言いますと? 」

 「仕草も交渉の一手。なんじ、笑みを絶やすことなかれ」


 教訓と言えるかどうかもわからぬ、何の変哲もないこの言葉。だが、師の様々な教えの中で、私も特に気を付けていることの一つでもある。


 最初にこれを教授いただいたときは私も師のことを呆けた表情で見上げたものだが、滝川殿の隣で話を聞きながら馬を進めていた梁田殿もあの時の私のような表情で私と滝川殿を見つめ返している。


 だが、梁田殿のように呆ける気持ちもよくわかる。教えを説くというのだから、大層なものだろうと身構えて聞けば何のこともない、ただの一言。拍子抜けした気分になるというものだ。

 

 「なるほど。たしかに長門守の笑顔もよいですな。差し詰め、”笑み絶やさずは、すなわち常無敗”と言ったところですかな」


 梁田殿とは対照的に、少し考えこむ表情をしたのちにそう答えたのは滝川殿。この一言に込められた師の教えを読み解くとは滝川殿、実に面白い御仁だ。


 「常笑無敗……。良い言葉ですね。今後使わせてもらおう」

 「どうぞどうぞ。しかし、その様な教えを説く師とは、これはなおさら会うのが楽しみで御座いますな。はははっ」

 「ただし、師の笑みは常に見る者の不安を掻き立てまするぞ。ふふふっ」

 「す、すまぬお二方。儂にはその教えの意味がようわからんのだが……」

 

 滝川殿と私が笑いあっていると、困ったように梁田殿が言葉の意味を訪ねてきた。


 「では四郎左衛門殿。某を見て何を思いますかな? 」


 どうやら滝川殿は実践することで梁田殿に気づかせたいようだ。滝川殿は、わざとらしく目を細め、なにかを諮る様な笑みで梁田殿を見返した。


 「うーむ……、なにかよからぬことを企んでおるとか? 」


 如何にもなにか悪いことを考えていそうな笑顔を浮かべる滝川殿を見つめて困惑したように答えた梁田殿。


 「某の最高の笑顔をお見せしたというのによからぬことを考えていると思われるとは……。で、では、長門守殿の表情はどうでしょう? 」


 どうやらあの笑顔はわざと作った表情ではなく、本気の笑顔だったようで、少ししょぼくれてしまった滝川殿。普段から仲間内では信用が無いのだろうか……。


 梁田殿は滝川殿に言われ、今度は私を見つめなおした。


 「そうですね……。何か安心感があるというか、滝川殿の顔を見た後だからか、心がほっとしましたな」

 「そう。それが仕草も交渉の一手という言葉を示しておるのです。特に、長門守は笑顔が良い。きっと雪斎和尚はお弟子の長所を指摘してくれたのでしょうな。”なんじ、笑みを絶やすことなかれ”とは、長門守殿に向けた言葉でしょう」

 「なるほど。たしかに笑み一つで味方を勇気づけることも出来れば、敵意ある者はその笑みの裏を勘ぐり、おのずと不安と動揺を与えることもできるということか……」


 梁田殿も納得したのか頷くと、うわ言のように「笑みを絶やすな、笑みを絶やすな」と口走りながら虚空を見つめて口角を挙げるような仕草をし始めた。横に並んで進む滝川殿もそれを見て、私と同じようにやれやれと言った具合で苦笑いだ。


 軍監を務めた安祥城攻めの際も、松平の諸将に今川勢の城攻めの怠慢をしつこくせっつかれ取り囲まれてもこれを思い出しながら、なんとか諸将を宥めたものだ。


 供廻役のお二人と安祥戦の話などしつつ、仲も深めながらの道中であったが、気づけば一行は矢作川も越え、目的の岡崎城まで目と鼻の先の場所までたどり着いた。


 ここからはまた、しばしの敵味方同士。我ら行列の先頭は各々気を引き締め直し、我が師・太原雪斎が待つ岡崎城の大手門をくぐるのだった

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