第30話 竹千代の思い出
天文18年(1549年) 8月 鳴海城付近
滝川 左近将監(一益)
鳴海城主・山口左馬助(教継)、教吉親子に見送られ街道を東へ進む織田の武士が約百名。
その一行の先頭にて滝川式火縄を背負い、黒毛の立派な馬に騎乗するのが此度の今川との和睦交渉の供回り役を務めるこの俺、滝川一益だ。
信長さんに命じられるがままにお役目を引き受けた俺は、同じ那古野所属の梁田四郎左衛門政綱と共にそれぞれ配下を10人ほど引き連れて参加している。
今回のうちの主要メンツは、津田照算、木全又座衛門(忠澄)、寺西清左衛門(之則)、荒川喜右衛門といった槍衆組だ。護衛という名目があるので槍を振るえる武闘派を集めた。
戦に出るわけではないので他のみんなは尾張で政務に励んでもらっている。領地をあけっぱなしにはできないしね。
「山口左馬助(教継)、教吉親子は今はまだ殿に寄する立場をとるようですな」
馬を寄せて俺に話しかけてきたのが今回の俺の相棒・簗田政綱さん。年齢は40後半くらいのイケオジといえる見た目の渋い武将だ。
本人は武士だがご先祖が忍びだったらしく、今も尾張以東に町人や武家の家人に忍んだ情報提供者を持っているらしい。自らが忍んで働く甲賀者や滝川忍びと違い、あくまで地域の噂程度の物を集める情報屋といった立ち位置だ。
此度の信長さんの人選も、そうしたところで簗田さんと情報交換も兼ねて今川家の偵察に行ってこいということだったらしい。
そして、そんな簗田さんの言う通り、鳴海城の山口親子だが、今は織田の味方なのだが、実は今川家とも血縁がある御家だ。それ故、簗田さんのように、いつ今川家に鞍替えするかわからない油断ならない味方……として見ている諸将も多い。
「これ以上、三河が今川一色になれば分かりませんがねぇ」
「殿は信頼されておるようですが、末森での殿のあの様子では心配ですなぁ」
「最近は勘十郎様が政務を少し代わっているようですしね……」
今回の和睦にあたって我らは末森から出発したのだが、見送りに来た信秀さんの顔色は土気色で見るからな体調が悪そうだった。実際、信秀さんのステータスにも病気のデバフ表示があったしね。
"織田 弾正忠(信秀) ステータス"
統率:85(−10) 武力:78(−9) 知略:80(−10) 政治:86(−10)
" 所持 "
・無銘 景光:武力+1
" スキル "
・病気(軽度)(全ステータス: −10)
信秀さんは大広間にて、辞令だけ出すとすぐに奥に引っ込んでしまい、代わりに息子の勘十郎が城外までの見送りをしていた。俺が織田家に仕官して勘十郎君に会うのは実はこれが初めて。
"織田 勘十郎(信行) ステータス"
統率:42 武力:36 知略:51 政治:68
うーむ……。やはり、勘十郎君のステータスは土豪などの地方領主といったところ。
ちなみに兄の信長さんのステータスはこれ。
“織田 三郎(信長) ステータス”
統率:98 武力:88 知略:95 政治:98
俺だったらこんなステータスの人とは敵対したくはないな。無理やりステータス勝負に持ち込める”一騎打ち”を使っても、俺の素の武力ステータス・85でも勝てないしね。
そんなこんなで、みんなのステータスのことを思い出しながら馬を進ませていると、あの有名な場所が見えてきた。
そう。あの有名な合戦が行われたとされる場所。
「予定ではここで今川方の案内役が迎えに来る手筈。まだ見えぬようですし、少し休憩といたしましょうか。竹千代殿も長らく籠に押し込められては大変でしょうしね」
「竹千代殿も幼いながらよく耐えておる。
秀吉に派閥で負けずに勝者を目指す俺にとって、15歳くらい年下の家康さんは倒すべきライバルなのかは微妙なところ。とりあえず、家康さんに倒されないくらいの権力を得て、俺が次代に托せれば大丈夫なのかな?
まぁ正直、家康とはどういう関係性でいけばいいのかわからないが……、とにかく今回、俺は竹千代くんに会えていない!!
大切な交渉材料ということで、熱田の屋敷に居た竹千代君は交渉役トップの織田玄蕃(秀敏)さんが籠に乗せて厳重に警備しているから顔すら見ていないのだ。
有名な天下人だし、N◯Kの大◯ドラマの題材になるくらいだから会っておきたかったんだけどねぇ。流石に大◯ドラマの役者さんほどのイケメンではないのだろうけど……。
ただ、事前に簗田さんから聞いた噂によると、幼いながらも利口な子で、熱田の人質屋敷でも勉学や武術に励んでいたらしい。それに興味を持った信長さんが、城を抜け出しては時々、竹千代君を街に連れ出して遊んでいた……という噂だ。
「すまぬ、
「ははっ!! 」
徒歩で共をしていた小姓の寺西之則を行列の後ろへ走らせている間に、俺は簗田さんと一行が休憩するための陣所を用意する。
ここ桶狭間は西に織田側の大高城と鳴海城があり、北東にも沓掛城がある。少し離れるが東には今川の手に落ちた安祥城や岡崎城があり、今川家が尾張方面に攻めてくる場合にはこの桶狭間を通る事が予想できる……そんな場所だ。
どういうきっかけで桶狭間の戦いがおきたのか俺にはわからないが、この場所をあらかじめ下見しておくのは重要だな。よし、皆が休んでいる間にこの周辺を一回り見ておくとするか……。
*******
天文18年(1549年) 9月 桶狭間
松平 竹千代
「暫し休憩で御座います。陣所内だけであれば外に出てよいそうですぞ」
熱田の屋敷から長らく籠に押し込められ、僅かな隙間から外の景色を眺めるだけの旅であったが、織田家護衛の加藤順盛殿から外に出ることができると言われ、思わず私の頬が綻んだ。
「かたじけない、加藤殿。ここはどの辺りで御座いましょう」
「鳴海城を東に進んだ辺りで、尾張と西三河の
「そうか。もうそんな場所まで……」
安祥、岡崎までもう少しと聞いて、ようやく故郷へ帰れるという懐かしく暖かい気持ちと、まだ尾張に居たいという名残惜しい、寂しいという相反する気持ちが自らの胸中で渦巻いている。
2年という短い期間であったが、尾張で過ごした日々は私にとって辛く悲しい人質生活とは言えず、むしろ得るものがある生活だった。
△△△
当時、尾張に連れられて来た頃の私はまだ6歳ほどと今よりさらに未熟であった。
岡崎の父上と離ればなれとなり、私の記憶が定かでない頃に母上と父上は離縁したこともあって生母を知らない私の心は尾張に来たことでさらに孤独となった。
そんな私を熱田の屋敷の主人・加藤順盛殿はよく面倒を見てくださったが、その気持ちは晴れなかった。
そんな時であった。屋敷にあの方がお越しになったのは……。
「おい、坊主。
部屋の襖を豪快に開け放つと同時に私に問いかけてきたのは、袴も履かず、髷を乱雑に結わき、派手な小袖を肩にかけた青年であった。
「家族と離ればなれとなって悲しいのです……」
「で、あるか。儂も早くから那古野にて古渡の父上や母上と離れて暮らしておるが、塞ぎ込むほど悲しくはなかったな」
ずかずかと部屋に入ってきたその青年は、私の向かいにどすんと座ると、そう言った。
「お主は家族に会いたいのか」
「会いとう御座います……」
「そうか……。では坊主、儂に着いてこい」
そう言うと青年は、すっと立ち上がり、
「屋敷を抜け出したことを織田家に知られれば加藤殿が困りますっ!! 戻らなければ……」
いくら人質といえど、私の世話をよくしてくれる加藤殿がこの件で咎められては申し訳ないと、私を鞍の前に乗せ、馬を駆る青年に叫んだ。
「はっはっはっ!! なにを言うか坊主。誰がお主を連れ出したと思っておる。儂こそお主の言う織田家。弾正忠が嫡男・織田三郎であるぞ!! 」
「ご、御嫡男さま……」
「はははっ!! この様なうつけが嫡男と聞いて驚いたか。だがな、野山を駆け、賭場に入り込み、尾張の表も裏も隅々まで見聞きするにはこの様な格好の方が溶け込みやすいのよ」
それからしばらく、馬を駆る間は三郎様が考える尾張の今後、どうしてうつけと呼ばれる様な振る舞いをしているのかなど話してくださった。そして私については、いずれ今川に行く機会があるだろうとも……。
「……尾張での人質生活が終わっても、次は今川に私は呼ばれると? 」
「三河は織田、今川にとって重要な場所だからな」
「もしそうだとして、なぜ三郎様は家臣にすら明かしておらぬことを私に教えてくださるのです? 」
「それは坊主がいずれ今川か織田に着くか決める者となるからよ。お主が
三郎様に話を聞いた時はどういう意味かわからなかったが、2年経ってあの話は現実となった。三郎様の先を見通す目は驚くべきものだ。
当時の私は三郎様の言葉に意味もわからず、ただ頷き返すだけであった。
「はははっ。いずれ竹千代にもわかる時がくる。とにかく、今は先のことよりこの再会を楽しめよ」
尾張のどこかの旅籠に着いた私たちだったが、三郎様はそう言って、とある一室へと私を案内した。
「竹千代っ!! 」
部屋に入ると、私を一目見て、名前を呼びながら腕を広げて近づいてきた女人に抱き抱えられた。
「あぁ、竹千代っ……竹千代……」
名を呼びながら縋るように私を抱いて泣き続けるその方からは、どこか懐かしく感じる匂いがしたのだった。気づけば私も涙が溢れ、自然とお母様と言う言葉が口から漏れ出ていた。
「於大、竹千代が尾張に居る間は儂が会わせてやる。
「ありがとうございます……」
「竹千代もこれで寂しくないな? 」
「はい……。三郎様、誠にありがとう御座いまする」
「……頭を上げろ。その代わり竹千代には儂の野駆けに付き合ってもらうからな。馬に乗れるようにしておけ」
親子揃って畳に手を付き、頭を下げる私達に三郎様はどこか気恥ずかしそうにそう言うと、襖を閉めて私達親子の時間を作ってくれたのだった。
△△△
あれから2年。三郎様は初陣を果たした後も時々、熱田の屋敷にやってきては私を連れ出して母に会う時間を作ってくださった。
それだけでなく、時には三郎様の配下と相撲を取ったり、戦差配の練習だと言って河原で石合戦を差配するのに付き合ったりと、普通の人質生活では味わえない経験を得られたのだ。
それ故、三河に帰るというのは私にとって、ただ懐かしい、嬉しいという気持ちだけにならない理由であった。
籠の脇に置かれた床几に腰掛け、あたりを眺めながら昔を想って黄昏ていると陣所の外が少し慌ただしくなってきた。どうやらそろそろ旅の再開のようだ。
「竹千代殿、今川家の案内役・鵜殿長門守様が陣所に着いたとのこと。そろそろ出発で御座います」
「わかった。もうしばらくよろしく頼む」
「お任せくだされ」
知らせに戻ってきた加藤順盛殿にそう言って、私は再び籠の中へと戻る。
この先、岡崎に戻った後はどうなるのか。父の跡を継ぐとはいえ、そのまま岡崎城に留め置かれず、駿河へまた送られるのだろうか。
私はそんな不安を掻き消すように、尾張で三郎様とお母様と過ごした、少々変わった人質生活を思い返しながら、籠に揺られて東へ進むのだった。
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