第9話 縁戚関係
天文17年(1548年)2月 尾張国 那古野城
池田 勝三郎(恒興)
私の母の養徳院様は父上が亡くなり出家したのち、織田家の乳母となり大殿(信秀)の側室となった。普通は側室と言えど大殿の奥方に会うことはできないが、甲賀の縁戚・滝川家から池田家に文が来たということで話を聞くべく、私は城の奥殿に向かったのだった。
どんっどんっ、どんっどんっ……。
その帰り際、せっかちな気質を体現したかのような間隔の短い足音が廊下の曲がり角から聞こえてくる。
私が織田家嫡男・三郎(信長)様の小姓を務めていたのが三年ほど前。何度も聞いたこの足音を聞き間違えるはずがない。
廊下の端に寄り、片膝をついて控えた私は、|足音の
どんっどん……。
「おぅ、このようなところに居るとは珍しいな勝三郎。奥殿に何か用事か? 」
三郎様は、まだ幼さが抜けない小姓・岩室重蔵(後の岩室長門守)と加藤弥三郎の二人を引き連れ、奥に向かうところだったようだ。斎藤との和睦で三郎様は室を迎えることになるため、もしかしたら心構えでも乳母の養徳院様に聞きに行くのかもしれない。
実母の土田御前様に話が聞ければ良いのだが、三郎様は早くから那古野城主になって以来、古渡城の土田御前様とは疎遠だ。
「ははっ。池田の縁戚より母宛に手紙が届いたとのことで呼び出されまして……。なんでも、ここ尾張で仕官を望んでいるとか」
そもそも土田御前様は素行の荒い三郎様より品行方正な二男・勘十郎(信行)様を推しているからな……。三郎様が大殿と会うために登城される際も、このお二人が滅多に会われることもない。
確かに三郎様は馬乗りや野駆け、相撲などをよくされるし、動きやすいと言って服装も着崩して過ごすことが多い。
だが一方で、城に戻れば政務も書家の勉強も怠らぬが、それを知るのは小姓衆など一部の近侍の家臣のみ。付家老の方々すら知らぬところで三郎様は努力されておるのだ。
ただそれらについて我ら近侍する家臣達は、若様から口外することを禁止されている。そのせいで諸将は三郎様をただ粗暴な男と勘違いしておるのだ。
「で、あるか……。勝三郎の推挙ということであれば召し抱えるが、俺は無能は好かんぞ」
「その者、甲賀忍びの一族故、その心配はないかと。それと、透っ波と鉄砲衆なる者らも連れての仕官だそうで」
「透っ破を抱えた家臣など、これまで弾正忠家にいなかったな。それは何より火縄銃だと!? 俺ですら先の戦で初めてみた物を扱うとは……。尾張にその者がやってくればすぐに連れてこい。俺も熱田と津島衆に言って、堺から鉄砲を買い付けようとしているのだ」
無能は好かんと仰られた時の気怠そうな表情と打って変わり、火縄銃の話で三郎様の顔が急に生き生きとしだしたぞ。
昨年初陣として、駿河今川方・三河の吉良大浜城攻略のため出陣なされてから三郎様はより軍事に興味をお持ちになった。なにより、戦上手の
その戦の中で、今川方が火縄銃を使っており、三郎様はその威力を目の当たりにして以来、南蛮渡来の火縄銃という武器を大金を使って手に入れようと躍起だ。熱田商人や津島商人のところに頻繁に出入りしては、いつ手に入れられるのかと聞いて回って
「ははっ。当家に現れればすぐに連れて参ります」
「うむ。俺と同じように鉄砲に目をつけるとは面白い奴じゃ。佐渡(家老:林 秀貞)は、弓のように続けて打てぬ物に大金を使うなと儂に小言を言ってきたわ」
まぁ半分ほどは佐渡守のおっしゃることは正しい気はするが……。正直、実物を見たことのない私には何とも言えぬ。
「はははっ。勝三郎もよく分かっておらん顔をしておるな。商人が言うには鉄砲とは町人や庄屋でさえ、腕で支えさえすれば的に当てられるものだそうだ。弓のように一部の武士が修練して使うのとはわけが違う。足軽や農兵、果ては女子供が扱える武器ぞ? 」
「なんと……」
三郎様はそこまで考えておったのか。たしかに雑兵が使えるのなら、数がそろえば瞬く間に我ら武士のような精強な部隊にできるやもしれん。
「まぁそれでも火縄の数を揃えるのに時間も金もかかるだろうがな。それでも弾正忠家が生き残るためにはあらゆるものを使わねばならん……」
そう言うと、三郎様の目つきが何かを見据えるように細くなった。
たしかに昨今の弾正忠家は苦しい状況に置かれている。
織田家中では、犬山城主
尾張の外に目を向ければ、北は斎藤家に四年前の加納口の戦いで
「それと……その者、今は志摩にてその地の海賊衆を召し抱えようとしているとか」
しかし、滝川彦九郎という者、なかなかの傾奇者とみえる。むしろ、ほんに仕官する気があるのかと問いたくなるほどだ。
私に、織田家に推挙してくれという手紙を出しておきながら尾張にすぐにはやってこない。加えて、自らは世にも珍しい南蛮武器を扱い、なぜか関係のない志摩な海賊衆を抱え込もうとしている。
織田家は熱田・津島の上がりのおかげで裕福ではあるが、誰彼構わず召し抱えられるというわけではないのだがな……。
「はっはっは。その者、本当に変わっているな。織田家が有力な海賊衆を抱えていないことを知って
あまり家臣に関心を持つことがない三郎様がまた嬉しそうに笑い出した。なんとも珍しいことだ。
会う前から主君に気に入られるとは、この滝川彦九郎にとってはよい仕官となりそうだ。言葉にして指示することがあまり好きではない三郎様は、意向を察して動ける家臣がお好きだからな。あとは派手好きであるからして、傾奇者というところも好かれよう。
「ははっ。その者、滝川彦九郎と申します」
「滝川か。それなれば時間がかかっても仕方あるまい。儂の火縄銃も滝川がつく頃には手元にあるだろう。会うのが楽しみじゃ、はっはっは」
そういうと三郎様はまた小姓を引き連れて廊下をどんどん足早に奥殿の方へと進んでゆくのだった。
はぁ、まだ見ぬ縁戚の彦九郎殿には手紙を書かねばならぬな。内容は、「当家にて推挙する用意あり。鉄砲の腕前を魅せる心づもりをしておく様に」とでも書いておくか。
那古野城下には既に滝川配下の下忍が常駐しているとのことだし、すぐに志摩に届けてくれることだろう。誠にこの男は用意の良い男のようだ。仕官してからも三郎様にきっと気に入られるだろうな。
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