第一章 たっぷり具だくさんオムレツと甘とろオニオンライス

第1話

「――結婚詐欺、ですか?」


 対応してくれた生活安全課の警察官は、眉根を寄せて怒ったような顔をした。そのあと、憔悴していた夜空の顔を、心配そうに覗き込んでくる。


「一ノ瀬さん、と言いましたね。もう少し詳しく聞かせてください」

「おそらく、結婚詐欺なんじゃないかなって。気になる点が多くて」


 夜空はしどろもどろになりながら、警察官にこうなってしまった事情を説明した。


 それは、二ヶ月ほど前になる。


 勤め先の、会社の同僚の結婚式に招かれた時のことだ。

 広いお店の半分を貸し切りにして行われた二次会で、夜空はその女性と出会った。

 大手広告代理店に勤めているのだが、夜空の所属はその中でも比較的地味な経理課だ。

 いくら同期入社で多少仲が良かったとはいえ、営業部期待のエースの結婚式に呼ばれるとは思っていなかった。

 周りはもちろん営業や販促の人が多く、真面目を絵に描いたような夜空とは対照的だった。そのせいか、夜空はかなり場で浮いていたはずだった。

 下戸なのでお酒も飲めず、一人で隅の方でゆっくりとしていた。来るべきじゃなかったかなと少々後悔していたところを、見知らぬ女性に急に話しかけられたのだ。


「……彼女はプログラマーで、会社から独立すると言っていました」


 夜空の説明に、正義感の強そうな警察官は相槌を打った。


「見た目も上品なのに気取っていなくて。すごく話が上手で、いつの間にか意気投合していたんです。それから何回か食事をしているうちにとんとん拍子でお付き合いし始めました」


 まさかこんな素敵な女性とつきあえるチャンスが、自分に巡ってくるとは思っていなかった。


「俺は身長だって低いですし、顔も下手すると可愛いって言われるくらい童顔で。だから、仕事ができるきれいな女性に優しくされて、舞い上がってしまったんです」

「詐欺師たちは、他人の心の隙間に巧みに入り込んでくるものです」


 警察官の言う通り。夜空が幸せだったのはそこまでだった。


「半年も付き合っていないのに結婚が決まったんです。もちろん、婚約指輪も買いましたし、嘘だとは微塵も思いませんでした」


 彼女は安物でもいいから、おそろいの指輪が欲しいと言ってきた。

 その謙虚さに心を打たれて、奮発したのは言うまでもない。渡した時は、泣いて喜んでくれたのに。


「……それからしばらくして、開業資金が間に合わないから融資してほしいって言われました」


 銀行から急に借入れ不可と言われてしまい、パニックになった彼女は夜空に泣きついてきた。これは一大事だと思った夜空は、地道にコツコツ貯めたお金を、ごっそり彼女に渡した。

 愛する人の将来のためならと、特にその時は気にもしなかったのだ。

 しかし、それから細かくお金をせびられるようになった。初めは小さい金額から、そしてそのうちに、だんだん金額が大きくなっていった。

 これは少しおかしいかもしれないと夜空が気になり始めた時には、もう全部遅かった。

 会社に結婚する報告を入れてから、彼女からの連絡がつかなくなった。

 携帯電話に何度電話をしても通じず、メッセージアプリも読まれた形跡はない。さらに悪いことに、彼女の元勤め先の会社に電話をしても、そんな人は働いていませんの一点張りだった。


「俺が結婚しようとしていたのは、実在しない人物でした。それで、騙されたんじゃないかと思って」


 警察官はうーんと唸る。


「断定はできませんが詐欺の可能性がありそうです。調書を作りましょう。もう一度、確認しながらお話を伺いますね」

「お願いします」


 警察官にどうするか聞かれ、夜空は被害届を出すことにした。

 許せない気持ちが、怒りとなっていた始めのうちはよかった。

 それが突然、ぽっかりとした虚無にかわる。そして、虚無の穴がだんだん日を追うごとに、心の内を食いつくしていく。

 思い出したくもないことを思い出し、証拠として色々な物を提出しなくてはいけない。たびたび呼び出され、そして彼女が置いていった私物を提出する。

 そうやってしばらく警察署通いをするうちに、心はぎゅうぎゅうに絞り切った雑巾のように、引き攣れてカサカサになっていた。


 二人でマンションに引っ越ししようと思っていたので、夜空のワンルームは今、段ボールだらけだ。

 虚無だけが出迎える自室に戻るのは悲しい。会社に結婚詐欺でしたと言うのも空気が悪くなるに違いない。

 あの頃の幸せが大きかったからこそ、夜空はもぬけの殻のようになってしまった。

 警察に呼び出されていたある朝、スラックスが緩くなっていることにびっくりした。

 痩せたいと思っていた時は叶えられなかったのに、たった数日でベルトの穴が一つ手前になっている。


 ――そこで、夜空の限界は越えたのだった。


「思いつめないでください。悪いのは人を騙す人です。ですから、一ノ瀬さんは、落ち着いてゆっくりしてください。ご家族とか、ご友人にこのことは……?」


 その日は、いつもの警察官とは別の、夜空と同じくらいの年頃の青年警察官が心配してくれた。


「両親はすでに他界しています、育ての祖父母ももう、天国へ行きました」


 仕事をする為に上京してきて数年。友達と呼べる人もいないまま、仕事に打ち込んだ毎日だった。

 そんな夜空を見つめながら、青年警察官は困った顔になる。しかし、きゅっと唇を引き結んだ。


「一ノ瀬さん。犯人は絶対に僕たち警察が捕まえます。ですから、気をしっかり持ってください」

「……はい」


 警察官には大丈夫と伝えたものの、夜空の気分が晴れることはない。警察署から外に出るなり、夜空は歩を止めてぎゅっとこぶしを握り締めた。


 世界で一番自分は不幸だと思いながら、夜空はあてもなく歩いていた。

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