第2話


 外に出た時、自分の鼻腔に香ってきたのは精液の匂いだった。不合理な匂い。全てを拒絶しながら、自分の世界だけで存在しうる、圧倒的なまでの利己的な性質の匂い。


 鼻をひくつかせながら、真新しいアスファルトを歩いていく。


 この遊歩道は先日、爆破事件のあったばかりの場所で、真新しい擬似地面が日光を反射して不愉快な白い光を反射していた。


 どこへ行こうかと思った時、自分の中に様々な彩りが生まれる。猫のプッシー。自分のことだけを考えているサラの事。自分のことしか興味のない自分自身の精神のこと。


 方向性を見出そうとする時に、邪魔になるのはいつだって自分の半生だった。自分が生まれて、死ぬまでの方向をある程度決定してしまって、本人には変えようのない気配を持っている許しがたいもの。


 俺はどこへ行きたいのだろう。懐から銀製のライターを取り出し、メントールを一服する。金を稼ぎ、女を得て、呼吸をして、それから……それから? 俺が辿り着ける場所なんてこの世に存在するのだろうか? 到底そうは思えないが。


 自分が生まれた時、自分は自分の誕生を喜べただろうか。だらしなく唾液を垂れ流しながら、生まれたくもない世界の外気を浴びせられて、ぐずついていただけではなかっただろうか。


 自分には秩序がいる。唐突にそう思った。カメレオンの矜持という奴なのか。自分は、何でもする。何だってして、生き抜くためには何だって出来るような、覚悟にもの似た気持ちが人生の早い段階からあった。俺にはその才能があった。


 生き抜きたいと思える才能が。


 冗談を言っている訳ではない。事実を言っているまでだ。俺にはそんな才能がある。生き抜けることに繋がるのであれば、人を殺すし、薬だって幾らでも売る。そういう稀有な才能だ。決して自殺なんていう安易な道を選んだりはしない。そういう選ばれた才能。ただ、収益には決して繋がらない無能の才能。


 飴玉がポケットに残っていたのを、弄っているうちに思い出して、包み紙を解いて口の中に入れる。お前が感じられる程よい甘味を提供してやるという厚かましさが、自分の中に舌を通じて全身へと流れていく。


 分かっているさ。こういうことは全部、自分にとってまやかしであり、赤ん坊におしゃぶりを与えるような物だということも。


 だが、俺にはこういう生き方しかできないんだ。こんな閉ざされた都市で、一人の身寄りのない男児として生まれてきた自分としては。


 気付けば俺は、お気に入りの美術館や、少女の売っている新聞屋の屋台やら、ビー玉をぶっつけあって喜び合っている子供達の憩いの集団なんかを抜けて、プッシーの待つ自分の家へと帰っていた。


 郵便が一通届いていて、郵便受けの中に憂鬱な姿勢で留まっている。俺は息をせずに郵便物を引き抜き、部屋の中に入り、ゆっくりと鍵を閉めた。まるで確かめるかのように。


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