20.三人目「伊集院 南美」





……いつだってボクは、理性的に生きていた。


理屈と論理を重んじ、なるべく感情的にならないように努めていた。だってボクは生徒会長だ、感情的に仕事をしていたら後輩たちに示しがつかない。だからみんなをマネジメントするという意味でも、ボクはいつだって理性を保った人間でありたいと思っていた。


「……………………」


自分で自分のやったことを、まるで理解できていなかった。ボクはなんで、中原部長の手を握っているんだ?なんでボクは、彼の目を見つめているんだ?



『ボクのそばに、いて欲しい』



自分で口に出した言葉を思い出して、突然恥ずかしくなった。な、何を言ってるんだボクは。こ、こんなこと突然言われても、彼だって困るに決まってる。


「あ……え、えっと、すまない」


ボクは咄嗟に彼から手を離し、なんとか謝罪の意を述べた。


「と、唐突にすまなかったね、中原部長」


「い、いえいえ……お気になさらず……」


中原部長は苦笑気味に、ボクへそう言った。


しまった、ボクとしたことが。彼と変な空気を作ってしまった。


な、なんだか気まずい。胸がそわそわする。


理性を重んじてる生徒会長だなんて、これじゃ聞いて呆れる。こんなにも衝動的にしてたんじゃ、中原部長に迷惑をかけるだけだ。


キーンコーンカーンコーン


その時、ボクにとっては救いの鐘が鳴り響いた。それは、お昼休みを終えるチャイムだった。


「ああ、もうこんな時間なんだね。そろそろ戻ろうか、中原部長」


「そうですね」


ボクたちはお互いに空の弁当箱を抱えて、カウンセリング部の部室から出ていった。


二年生の教室へ向かう途中、ボクは部長へ話しかけていた。


「それじゃあ、放課後にまた生徒会室へやって来るのかい?」


「ええ、チラシと放送原稿を持って参ります」


「分かった、それじゃあ時間を開けておくよ」


「ありがとうございます。お世話になります」


中原部長はにっこりと、ボクに対して微笑んでくれた。


「……なあ、中原部長」


「はい、なんですか?」


「その、なんと言うか、ボクたちは同じ二年生だ」


「?ええ、そうですね」


「そんなにね、畏まった話し方をしなくてもいいんだよ?もっとフランクに、砕けた話し方で構わない」


「そうですか?」


「そうさ」


「……分かりました。じゃあ……」


中原部長はひとつ咳払いをした後、「これでいいかな?」とボクに語りかけた。


「あ、ああ……!もちろんだよ!」


「ありがとう。じゃあこれからは、砕けた話し方にさせてもらうよ、伊集院さん」


「うん!そうやって、気兼ねなく話してくれ!」


ボクの心は、不思議なくらい喜んでいた。中原部長にこうしてフランクに接してもらえるのが、ボクの胸の奥底をくすぐっていた。













「……………………」


放課後。ボクは生徒会室にあるテーブルに座して、中原部長を今か今かと待ちわびていた。


左腕にしている腕時計を眺めて、時間を確認する。現在、午後4時ちょうど。放課後になってから30分が経過したところだ。他の部活動も本格的に始まっている時間帯だろう。であれば、カウンセリング部もここへそろそろ来てもおかしくない。


「会長~、なんか今日そわそわしてますね~」


後輩の木下 杏くんが、ボクの様子を観てそう告げた。ボクは彼女に向かって「そ、そうかな?」と、少しどもった言葉を返してしまった。


「そうですよ~。何回も時間確認してますし、珍しく落ち着きないですし。なんか今日あるんですか?」


「ああ、カウンセリング部の部長から、部活の宣伝についての相談を受けていてね、今日打ち合わせる約束をしているんだよ」


「へー!カウンセリング部!最近話題になってる部活ですよね?」


「話題に?君たち一年生の間でも、カウンセリング部が話題になっているのかい?」


「ええ、ちょっと前にカウンセリング部の人がめちゃくちゃ暴れた時があって、それで何かと話題になってます」


「暴れた?どういうことだい?」


「あれ?会長知りませんか?カウンセリング部の北川って人が、毒島先生を殴ろうとした話」


「先生を!?」


「それで教室中をめちゃくちゃにして、机とか椅子とかをひっくり返したんですよ。それで、カウンセリング部の人はちょっとヤバい人がいるって噂が流れてて」


「……………………」


「まあでも、珍しい部活って言う理由で、話題にもなってますけどね。ウチの友だちも、悩み聞いてもらって良かったって言ってましたし」


「……………………」


「……?伊集院会長、どうかしたんですか?」


「え?い、いや、なんでもないよ」


「ウチ、放送部に用事あるんで、ちょっと行ってきますねー」


「ああ」


そうして、木下くんは生徒会室を出ていった。


……毒島先生と騒動を起こした一年生がいるというのは聞いていたが、まさかカウンセリング部の部員だったとは……。


北川くんというのは、あのオレンジ髪のツインテールの子だな。確か中原部長がそう言ってたはず。そうだったのか……毒島先生と騒動を。


「……………………」


ボクは口許に手を当てて、しばらく考え込んだ。


今回の部活の宣伝、思ったより慎重にしないといけないかもな。


今、カウンセリング部に対するイメージが落ちている。ここから挽回するには、なるべくクリーンなイメージになるような宣伝をしていくしかない。下手に遊びを入れた宣伝だと、「ふざけている」と取られて、余計にイメージダウンに繋がる可能性が高い。遊びを入れるには、ある程度信頼を得ていなければならない。


カウンセリング部のためにも、チラシと放送原稿はしっかり目を通しておかないと……。


コンコン


その時、生徒会室の扉がノックされた。おそらく、中原部長が来ただろう。ボクが「どうぞ」と言って答えると、「失礼します」という言葉とともに、その扉が開かれた。


中に入ってきたのは、ボクが想像していた通り、中原部長だった。


そして、そんな彼の後ろには、カウンセリング部の部員である円香くん、西田くん、そして北川くんの三人がいた。


「……………………」


……そうか、そうだよな。この前だってみんなで来ていたんだ。中原部長一人だけ来るはずがない。それはボクも理解しているはずなのに、なぜか少し残念な気持ちになってしまった。


「やあ中原部長、そしてカウンセリング部のみんな。どうぞいらっしゃい」


「やっほー伊集院さん!チラシと放送原稿、持ってきたよ!」


「ああ、待っていたよ円香くん。さ、好きなところに座ってくれ」


そうして、この前と同じように、ボクが左側に、そしてカウンセリング部のみんなは右側に並んだ。


「はい、伊集院さん。これがみんなで作った放送原稿とチラシだ」


「うん、さっそく拝見しよう」


中原部長からその二つを受け取ったボクは、穴が空くほどに中身を凝視し、吟味していた。




「……うん、いいんじゃないかな?」


10分後、ボクは中原部長へそう告げた。


北川くんの暴走事件があった後だ、カウンセリング部の更なるイメージダウンにならないよう、言い回しや表現の仕方をかなり細かくチェックしたけど、特に気になるところはなかった。うんうん、さすが中原部長だ。ボクなんかが心配することなんて、全然なかったな。


「特に問題ないと思う。このまま使っていいんじゃないかな」


「よかった。ありがとう、伊集院さん」


「チラシを貼れる場所については、こっちで探してみるよ。放送原稿も、ボクの方から放送部に連絡しておく」


「おお、何から何までありがとう」


「いいんだよ、これがボクらの仕事さ」


ボクはそう言って、中原部長へ微笑みかけた。彼の方も、ボクに対して笑みを返してくれた。


「あれ?なんか伊集院さんと中原くん、仲良くなってない?」


そんな時、円香くんが鋭い指摘をこの場に放り投げてきた。ボクは……別に何も悪いことをしてないはずなのに、ギクッ!と肩が震えてしまった。


「ま、円香くん……。どうして……そう思ったんだい?」


「えー?いや、なんかフィーリング?あと、中原くんがタメ語になってるし」


「……………………」


さ、さすが円香くんだ、目ざとい。よく観察している……。


「お昼、たまたま俺、伊集院さんと会ってさ。タメ語でいいって言ってもらったんだよ」


中原部長がそう言うと、円香くんは「なるほどね!」と言って、納得した様子を見せていた。


「やっぱり私の見立てた通りだ!伊集院さんも中原くんも、二人は波長が合う気がしたんだよね!ふふふ、嬉しいな♪」


円香くんはやけに嬉しそうに、ニコニコと笑っていた。


そうだ、円香くんはやたらとボクと中原部長を会わせたがっていたっけ。彼女の何がピンッと来たのか分からないけど、でも確かに……ボクは、中原部長と会えてよかった。



『弱くてもいいんです。全てが強い人間なんて、この世にはいませんよ』



彼は聡明で、真面目で、そして……とても優しい。彼はボクが欲しかった……いや、欲しがっていたもの以上の言葉をくれた。大袈裟な言い方かも知れないが、自分の人生が大きく変わったような、そんな気持ちにかられた。


出会って間もないはずなのに、ボクは中原部長のことを気に入っている。できることなら、一緒に生徒会役員として働いて欲しい。ボクの近くにいて、補佐して欲しい。そうだ、彼には副会長を努めてもらいたいな。彼にだったら何でも相談できそうだ。


「それじゃあ、俺たちは部室に戻るよ。今日は何人か相談者の予約が入っているから」


「ん?ああ、そうなんだね、分かった。じゃあこれで打ち合わせは終わりにしよう」


「ありがとう伊集院さん。チラシと原稿、お願いするね」


「ああ、大船に乗ったつもりでいてくれ」


そうして、ボクは生徒会室の扉を開けた。カウンセリング部のメンバーたちが、そこからぞろぞろと出ていく。


最初に出ていったのは、西田くんだった。彼女はボクの顔をちらりと観た。そして……どこか悲しそうに目を伏せて、うつむいていた。


(……?なんだろう?なぜ彼女はあんな表情を……?)


そう思っているのもつかの間、次は北川くんが生徒会室から出ていった。彼女は西田くんと対照的で、ボクのことをずっと睨んでいた。眉間にしわを寄せて、鋭い視線をボクに刺してきた。それはまるで、獣が敵を見つけた時みたいだった。


(この子が例の北川くんか……。なぜかは分からないが、ボクはこの子から嫌われているらしい)


先生へ襲いかかったというくらいに乱暴な彼女だ、ボクも用心して接しないとな。


「じゃーねー伊集院さん!相談乗ってくれてありがと!」


そして北川さんの次が、円香くんだった。彼女は変わらず元気だ。明るく弾んだ声でボクにそう言った。


「ああ、またいつでも来ておくれよ」


「うん!何かあったら、頼らせてもらうね!」


円香くんは目を細めて、にっこりと笑った。さすが、アイドルを目指していた円香くんだ。彼女の見せる笑顔に、ボクもついほころんでしまう。


「それじゃ、伊集院さん。今回は相談に乗ってくれて、ありがとう」


そして最後、中原部長が出ていく番になった。ボクは「ああ、部長ちょっと待って」と言って、彼を引き留めた。


「あの……例の話は、考えてくれたかな?」


「例の話?ああ、生徒会役員への立候補の話だね?」


「そ、そう!どうだろう?選挙に出てもらえないだろうか?」


「……………………」


中原部長は、少し苦々しい顔をしていた。口をへの字に曲げて、眉をひそめていた。この顔を観た時に、ボクは彼の回答が粗方予測できてしまった。


「……すまない、伊集院さん。せっかく誘ってもらって恐縮だけど、立候補は遠慮させてほしい」


「……………………」


「俺は、カウンセリング部に集中したい。なにせ、俺がやりたくて立ち上げた部活だ。俺が主となって活動を進めていきたい」


「……………………」


「弓道部の部長をしながら生徒会長もやっている伊集院会長からしたら、『そんなことで断るなんて』と思われるかも知れないけど……でも、俺はどっちもを両立するのは厳しい。あなたほど、俺は器用じゃない。会長直々に立候補して欲しいと言ってくれたのは本当に嬉しかったけど……ごめん!今回は断らせてほしい!」


彼はそう言って、ボクに頭を下げていた。


「……中原部長、頭をあげておくれよ」


「え?」


「ボクの方こそすまなかったね。急にあんな話を持ちかけてしまって。いや、君の言う通りだ。どっちもを両立するのはとても大変だからね。ボクもそのことは、凄くよく分かっているつもりだ」


「伊集院さん……」


「ありがとう、中原部長。真剣にそのことを考えてくれて。もし気が変わるようなことがあったら、その時また、教えてくれ」


「ありがとう……伊集院さん」


そうして、彼は生徒会室から出ていった。


「……………………」


ボクはしばらくの間、この誰もいない打ち合わせのテーブル席に座って、ぼーっとしていた。


どうやら、自分で思っていた以上に、ショックだったみたいだ。


彼に、生徒会へ来て欲しかった。ボクの無彩色な毎日も、彼が来てくれたらきっと……鮮やかに彩られていくんだって、そう思っていたんだ。


周りの人には見せられない弱さを、彼にだけは見せられる気がしたんだ。だから……だからボクは……。


(……いや、彼は至極全うなことを言っている。部長と生徒会を兼任するのは、実際とても大変だ)


ボクも正直、毎日が忙しくて仕方ない。みんなの期待を無視してどちらかを辞められるのなら、すぐにでも辞めたい。


すぐにでも……。


「……………………」


その時、ボクの頭に……突然ある閃きが舞い降りた。


それは、決して美しい閃きではなかった。むしろ汚ならしくて……黒く愚かな閃きだった。


でも、これなら中原部長を、生徒会役員に連れて来られる。こっちに引き込むことができる。


「……………………」


ボクは彼らから貰ったチラシと放送原稿を、手に取った。指先がぶるぶると震えて、紙が小刻みに揺れた。



『俺は、カウンセリング部に集中したい。なにせ、俺がやりたくて立ち上げた部活だ。俺が主となって活動を進めていきたい』



(……い、いや、ダメだ。何を考えているんだ、ボクは……)


彼はカウンセリング部を愛している。自分で立ち上げたものであり、自分がこれから大きくしていきたい……大切な部活なんだ。


そんな彼の部活を“汚す”ようなことを、ボクなんかが……していいはずがない。


やはり、こんなこと止めよう。ボクらしくないし、何よりずるい。彼を傷つけるようなことは、ボクだってしたくは……。



『生きる意味だとか、使命だとか、そんなものなくていい。何の目的がなくても、生きていていい』



「……………………」


先日の中原部長の言葉が、頭の中に反響する。



『自分に正直に、自由でいたい。だから生きる意味はいらないと、そう答えたんです』



(……自分に、正直に)


ボクは、長い間逡巡していた。ボクのあらゆる理性が、この手を止めようと必死になっていた。


理性的であれ。感情的になるな。


その気持ちが、なんとか黒い閃きを防ごうとしていた。津波を止める防波堤のように、押し寄せる感情が溢れないようにしていた。


しかし……


(……でも、そうだ。これは……これは“正しいこと”なんだ)


ボクはごくりと、生唾を飲んだ。


(ボクはあくまで、客観的に正しい判断を下したんだ。これはカウンセリング部のためにやったんことなんだ。だから、だからボクは……なにも悪くない)


「……………………」


ボクは、目をぎゅっと瞑った。そして……


ビリビリビリッ!!


彼らのチラシと放送原稿を、その場で破り去った。


「……これで」


ボクは、震える声で呟いた。




「これで彼は、ボクのそばに来てくれる」




……理性は、感情によって都合よく筋道を変える。結論ありきで、理屈がねじ曲がる。


津波は今、防波堤を突破した。











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