4.もっと知りたい





「……ていうかさー、私この前ティックタックにダンスの動画あげたんだけどさー」


「えー?やばー超うまいじゃーん」


授業の合間にある、10分程度の休み時間。クラスメイトたちの雑談がざわつく中、私は顔を机に突っ伏して、寝たフリをしていた。


前まではこのざわつきに耐えられなくてトイレに逃げていたけど、教室の外へ行ってしまうと、帰ってくる時に扉の開け閉めをしなきゃいけない。その時に「がららっ」と音が出ると、クラスメイトに「先生が来たのか?」と勘違いされて、変に注目を浴びてしまう。


だから教室からは出ず、こうして自席にいる方が目立たずに済む。


(……中原くん)


目を閉じていると、暗闇の中に彼の顔が浮かんでくる。


今日も早く、カウンセリング部に行きたい。あそこだけが、私の安らげる居場所。


「うわー!お前なにそれダサー!」


「うるせーって!個人のジユーだろー?」


クラスメイトたちの喧騒が、より私の孤独感を深掘りする。


早く時が過ぎ去ることを祈りながら、私はただ貝のように口を閉じ、息をひそめて生きていた。










「……そうそう、俺もアニメ化されるとは思ってなかったな~」


待ちに待った、放課後のカウンセリング部。私はいつものように、中原くんとのお喋りに夢中になっていた。


「幻惑のイアンってすっごい面白いけど……知名度あんまりなかったもんね。私も望み薄だとおもってた」


「ねー、だからアニメ化されてホント良かったよ。あれのお陰で、作品を知る人も増えてくれた感じするしね」


「うんうん」


「あ、そう言えば西田さんって、単行本で追う派?それとも雑誌派?」


「私は単行本。まとめて一気読みしたいタイプなのもあるし、好きな作品だけか家にあるようにしておきたい」


「おー、なるほど」


「中原くんは、雑誌派?」


「そうなんだよね。結構俺は、すぐ続きが読みたくなるタイプでさ。それに雑誌だと今まであんま興味なかったジャンルも、意外と読んでみたら面白い……みたいなのもあったりするし、そういう出会い的なのを求めて買ってるかな」


「そっか、確かに早く読めるもんね」


「そうそう」


小さなテーブルを挟んで、二人対面になって話す。


テーブルの真ん中にあるお皿に盛られた一口チョコを、私たち二人で少しずつ食べる。


なんてのんびりした時間なんだろう。誰かと話せるってだけでも十分なのに、こんなに安らげていいんだろうか?って、そんな風にすらおもってしまう。


(……どうかな?いけるかな?この流れで……Limeの話……)


中原くんなら、私のことを拒絶しないと分かっているけど……やっばり、どうしても怖い。もし「Limeはちょっと……」って苦笑いされたりでもしたら、もう立ち直れないかも知れない。


(や、やっぱり……彼女がいるかどうかについて訊くべきかな?でも、それはそれで逆に突然すぎるっていうか……いきなり過ぎて気持ち悪がられないかな……?)


無様なほどに何も言い出せない私に対して、中原くんが「そうそう西田さん」と言って話題を振ってきた。


「『風の中のリバース』って漫画知ってる?」


「風の中の……?」


「風の中のリバース。web漫画なんだよね」


「ううん、ごめん」


「これね、幻惑のイアンの作者が昔、アマチュア時代に描いてたやつなんだ」


「へえ!そうなんだ」


「個人サイトで投稿してたやつで、あんまり知ってる人いないみたい」


「すごいね、読んでみたい」


「あ、じゃあそのサイト教えようか?」


「え?」


「俺、昨日そのサイトを見つけたから、URLを送るよ」


中原くんはポケットからスマホを取り出し、右手で操作し始めた。


「えーと、西田さんのLimeは……」


「……………………」


「あれ?俺って西田さんとまだLime交換してなかったっけ?」


「え?あ……そ、そうだったっけね?」


「そっかー。ごめん、よかったら交換してもいい?」


「う、うん。私は大丈夫だよ」


……見かけは平静を装って言っているけど、私は内心ドキドキしていた。


まさか彼の方から交換したいなんて言ってきてくれるなんて、思わなかった。しかも、もう交換したものだって思ってくれてるくらい、私と仲がいいって……そう考えてくれてるんだ。


「……………………」


「よし、交換完了。じゃあURL送るね」


「……………………」


「……?西田さん、どうかした?」


「え?」


「なんか、やけにニコニコしてるから。何かSNSで面白いものでも観てるの?」


「う、ううん。えーと……ま、漫画、中原くんから教えてもらった漫画、楽しみだなって」


「あーそっか、よかった嬉しい」


そう言って、彼はほがらかに笑った。









……家へ帰る途中、私は30分ほどバスに揺られる時間がある。


その間に、私は中原くんから教えてもらった漫画をスマホで読んだ。内容はもちろん面白いのだけれど、中原くんから教えてもらったという特別感が、より一層私を高揚させていた。


「次は、神宮前~神宮前~」


いつも降りる駅についた時、途中で漫画が中断される苛立ちを覚えながら、早足でバス停から家へと向かった。


「ただいまっ」


帰りつくなり、すぐ様自分の部屋にこもり、バスの中まで読んだ途中からまた読み始める。


その漫画は全45話で、読み終わるのに全部で2時間ほどもかからなかった。


「……ああ、よかった」


読み終わった時、私は思わず独り言が漏れてしまった。


主人公のリバースとヒロインのナターシャは、冒険の道中でかなり危険な目に遭い、二人は結ばれることができるのか本当に分からなかった。


でも最後の最後、ラスト二話前くらいでようやく結ばれた……。片方のどちらか、あるいは二人とも死んでもおかしくないという緊張感だったので、大団円を迎えたラストには思わず「よかった」と呟いてしまった。


「……………………」


読み終わった後の余韻に浸りながら、私はぼんやりと天井を眺めていた。


(あ、そうだ。中原くんにLime……しなきゃ)


そう、せっかく教えてもらったんだから、読み終わったことを伝えたら……お喋りのきっかけを作れる。


スマホを手に取って、Limeのアプリを起動する。中原くんのトーク画面に移って、そして……文字を入力し、送信する。


『漫画、教えてくれてありがとう。面白かった』


「……………………」


しかし、私はこの文を送った後に……なんだかモヤモヤしてしまった。


(あまりにも、可愛くなさすぎないかな……?味気ないっていうか、冷たい印象にならないかな?)


私はこの文の送信を取り消すことにした。だけど、このLimeってあまり使ったことがなかったから、どうやって送信を取り消せばいいのか分からなかった。なのでネットで「Lime 送信 取り消し」とか「Lime メッセージ 削除」とかで検索し、なんとか送ったメッセージを取り消すことに成功した。


(よ、よかった……危なかった)


このLimeは、私はほとんど家族としか使わない。友だちもいないし、連絡しあえる相手なんてほとんどいない。たまに通知が来ても、それは何かの公式アカウントからだ。


先輩と付き合っていた頃は、そもそもスマホを持っていなかったので、こんなに頭を悩ませて文を考えるって体験も……今日が初めて。


(じゃあ、改めて送り直そう。どういうのがいいかな……?)


私は再度ネットを駆使して、どうすれば印象がいいかいろいろ検索してみた。


(ふむふむ、可愛くするんだったら、絵文字とか顔文字を使うこと……か。うーん)


そうして、メモ帳アプリにたくさん案を書き出してみた。


『漫画、教えてくれてありがとう、面白かった(^_^)』


(……なんかまだ、微妙に変な感じ。もっとこう……ありがとうっていうのを表現したい。もっとはしゃいだ顔文字とか、びっくりマークとか付けてみようかな)


『漫画、教えてくれてありがとう!面白かった!(゚∀゚ 三 ゚∀゚)』


(……良くなった気もするけど、だ、大丈夫かな?ハイテンションすぎて引かれないかな……?もう少しこう……穏やかに……)


『漫画、教えてくれてありがとう!面白かった゚.+:。∩(・ω・)∩゚.+:。』


(…………ちょっと待って、どうしよう……迷走しちゃってる……)


スマホの見すぎで目が渇いたので、ぎゅっと目を瞑って、手の甲でごしごしと擦る。



ピロリン



その時、通知音がスマホから鳴った。


それは、中原くんからのLimeだった。


「中原くん……!?」


急いでトーク画面を開いて、どんな内容なのか確認する。


『西田さん、大丈夫?どうかした?』


(あ……そっか、私がさっき送ったのを消しちゃってるから、中原くんは内容が分からないんだ)


私はすぐに『ごめん、誤字があったから消したの』と返信した。


『漫画を教えてくれてありがとう。面白かった』


『良かった!西田さんはきっと好きそうだと思ってたけど、気にいって貰えて安心したよ』


『うん、ありがとう』


『いえいえ~』


……と、ここで会話が途切れてしまった。


(せ、せっかくなら……も、もっと話したい)


でも、どうしたら話を膨らませられるのか分からない。うーんうーんと唸りながら、会話の内容を探す。


(どうしよう……?私もお礼に何か漫画を紹介するとか……?で、でも中原くんが気に入らなかったらどうしよう……)


対面だとすんなり喋れるのに、Limeだと上手くいかない。


……いや、よくよく考えると、いつも話題を振ってくれてたのは、中原くんの方だった。私はそれに応じるだけで、こっちから中原くんに何か問いかけたことは……全然なかった気がする。


(うーん……話をしたいけど……でも、変なことも言いたくない。フランクな感じで……何か、何か話題を……)


「……………………」


私はひとまず、今考えていることをそのまま文面にしてみた。


『私、全然友だちがいないから、Limeの扱いとかよくわかんなくて。もし下手くそだなって思ったら、ごめんなさい』


……でも、この文を送るのはあまりよくない気がした。


(こんなの送られても、返信しようがないっていうか……ただ中原くんに気を使わせちゃうだけだよね。やっぱりこれは削除を……)


と、そう思って文面を消そうとした時、操作を誤って送信してしまった。


「わっ!?や、やだ!」


すぐにそのメッセージを消そうとするけど、残念なことに……もうそのメッセージに既読がついてしまった。


(ど、どうしよう……あ、謝ろうかな。えっと、へ、変な文を送ってごめんなさ……)


そうして私がパニクっていた時、中原くんから返信が来た。


『ごめん、ちょっと待っててね』


「………………?」


何のことか、よく分からなかった。彼の言おうとしている意図を、私はイマイチ掴めなかった。


(……何か、また追って返信するってことかな?と、とりあえず……言われたとおり待とうかな)


私は彼からの返信を待つために、スマホ内で好きな動画やアニメを観ることにした。


いつもなら夢中になって観れるその動画やアニメも、今日はなんだか頭に入らなかった。


頭の片隅には、いつも中原くんからのLimeの返信を待っていて、5分置きくらいにトーク画面を開いて、メッセージが来ていないか確認していた。


(……もうそろそろかな?)


(もうちょっとかな?)


(……そろそろたぶん来るかな?)


そうして、アニメを観てる時も、トイレに行く時も、ご飯食べる時も、お風呂に行く時さえスマホを持って、ずっと待っていた。


ご飯を食べる時に至っては、お母さんから「千尋、スマホはよしなさい」と怒られてしまった。


お風呂へは、透明のジッパーの中に入れてスマホが濡れないようにして持ち込み、じーっとトーク画面を見つめていた。


「……………………」


時間が経つにつれて、心臓の音がどんどん大きくなる。


(も、もしかして……私のことなんて、嫌になっちゃったのかな?それとも、忘れちゃってるのかな?)


そんな不安にかられて……気がついたら、もう夜の10時半。私はパジャマに着替えて、自室のベッドに腰かけていた。


(どうしよう……も、もう……耐えられないかも)


『ごめんなさい、私のこと嫌になった?』


私は彼に、そういう風に尋ねてみた。でもそのメッセージには、既読がつかなかった。


『私、何か嫌なことしちゃったなら、ごめんなさい』


だが、これにも既読はない。


「……………………」


先輩に裏切られた時の光景が、頭の中にフラッシュバックする。



『お前、まじでつまんねー。二度と俺の前に来んなよな』



「や、やだ……お願い、もうあんな目に遭いたくない……。中原くんには嫌われたくない。お願い、お願い、お願い……」


私はいよいよ、心臓が張り裂けそうなほど不安になっていたその時……スマホに着信が入った。


それは、中原くんからだった。


「中原くん……!」


私はすぐに出て彼の名前を呼んだ。


『西田さん!本当に遅くなってごめん……!ちょっと、トラブルがあっちゃって』


「ト、トラブル……?」


『一緒に住んでるおばさんが事故に遭ったって連絡が入って……すぐ病院に行ってたんだ』


「事故……!?だ、大丈夫?」


『幸い、怪我は大したことなくってさ。おばさんのお見舞いに行ってて、ちょっと返信できてなかったんだ。本当にごめん』


「ううん、気にしないで。むしろそんな大変な時に、おかしな連絡しちゃって……ごめんなさい」


『大丈夫大丈夫。俺も前もって言っておけば良かったね』


中原くんの優しい声を聞いている内に、私はだんだんと落ち着いてきた。


『あの……西田さん』


「うん、なに?」


『Limeのこと、気を使ってくれてありがとう』


「え?」


『ほら、下手くそだったらごめんなさいって送ってくれてたじゃん?俺に嫌な思いさせてないかどうか、気を使ってくれたんだなと思って』


「……う、うん。あんまりLimeとか……人としたことなくて。だから……もし私がよくないことしてたら嫌だから……」


『そっか、ありがとう。もちろん俺は、全然嫌な思いなんてしてなかったよ』


「よ、よかった……」


『個人的には、気を使いすぎて疲れちゃうこともあるだろうから、あんまりそこまで気にしなくてもいいとは思うけど……ぶっちゃけ気を使うなって言われても難しいよね。あんまり人とLimeしたことないっていうなら、なおさらさ』


「……うん、ありがとう。分かってくれて」


中原くんと話していると、いつも心があたたかくなる。自分の気持ちが大事にされてるんだって、すごく実感する。


「……中原くんって、どうしてそんなに優しいの?」


『……?』


「私……中原くんみたいに優しい人、見たことない。喋る時に『気を使わないでいいよ』って言う人はいるけれど、中原くんみたいに『気を使わないでって言われるのも大変だよね』って、そこまで気持ちを分かってもらったこと、なかったから」


『いやいや、大げさだよ。俺はただ、自分がされたかったことを人にしたいし、自分が嫌だったなと思うことは、人にしないようにしようと思うだけだから。ほら、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」ってやつ』


「……………………」


『おっと、もうそろそろ11時になるのか。ごめんねこんな時間に』


「ううん、こっちこそごめんね」


『また明日、風の中のリバースの感想とか、じっくり聞かせてよ』


「うん」


『それじゃあね』


「うん、じゃあね」


……そうして、通話が終了した。


「はあ……」


私はごろりとベッドに寝転び、スマホを胸に置いて、安堵のため息をついた。


(よかった……中原くん、私のこと嫌いになったんじゃなかった……)


中原くんと話していると、なんだか自分が元気をもらえている気がする。自分のことを肯定してもらえてるのがすごく伝わる。



『俺はただ、自分がされたかったことを人にしたいし、自分が嫌だったなと思うことは、人にしないようにしようと思うだけだから』



(……自分が嫌だと思うことを、人にしない。それは確かにそうだけど……でも、それができない人はたくさんいると思う。だからやっぱり中原くんは、優しい人だなって……)



─俺はただ、自分がされたかったことを……



その時、私は彼の言った言葉に、ある違和感を覚えた。


(“されたかったこと”……。なんでそれ、過去形なんだろう?自分が“されたいこと”じゃなくて、“されたかったこと”……?)


そうやって思い返してみると、彼と初めて会った時、カウンセリング部を始めた動機を聞いたら、こんな風に返していた。



『前にちょっと友だち……っていうか、クラスメイトの相談に乗ってた時に、『中原はカウンセラーに向いてる』的なことを言われて、それを真に受けてこんな部活を初めちまった……って、そんな感じですね』


『まあ、俺もなんだかんだ……それなりに今まで、嫌なことはありましたよ。だから、多少は人の苦しみが共感しやすいかも知れないです』



(嫌なこと……。中原くんも何か、嫌な思い出が……トラウマがあるのかな?)


もしそうなんだとしたら……私も、中原くんが元気になれるようなことを、言ってあげたい。


(……もっと、中原くんと喋りたい。もっと中原くんのこと知りたい。もっともっと……一緒にいたい)


そう想いながら、私は胸に置いてあるスマホを、両手でぎゅっと抱いた。




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