第3話 『おっぱい』が落ちた日

 それは本当に偶然だった。


 たまたまその日の放課後は、元気とカラオケで盛り上がり、気がつくと夜の8時、もう家族のみんなは夕食を食べ終わっている時間。


 夜空に浮かぶ三日月が「はよ帰れ」とあまりにも俺を急かすので、森実駅前の公園をショートカットするべく、近くの雑木林に足を踏み入れたときだった。



「~~~~~ッ!? ~~~~~ッ!」

「うん?」



 突然、女の人のかなきり声のような甲高い音が耳に届いた気がした。


 俺は1度足を止め、もう1度声の在処(ありか)を探して耳を澄ませる。


 ……が、返ってくるのは風が吹き抜ける音だけ。



「気のせいか」



 そう思い、再び家路につこうとして、



「――殺してやるッ!」

「んなっ!?」



 今度はハッキリと聞こえた。


 瞬間、気がつくと声のした方へ全力で駆けだしていた。


 脇道に逸れ、3分ほど突き進んだところで、薄ぼんやりと3つの影を発見。


 よく目を凝らすと、影の1人の手元には、棒状の何かが握られているのが分かった。


 な、なんだアレ?


 月の光に反射され、それが鈍色の輝きを放った瞬間、背筋に冷たいものが走った。



「あんたが……あんたのせいで! 返して!? 佐久間さくまくんを返して!」



 ナイフを持った影が、2人居た影の片割れへと、大きくソレを振りかぶった。


 瞬間、俺の身体が何者かによって勝手に駆動していた。


 肩にかけていたスクールバックを、ナイフを持った影に乱暴に投げつける。


 軽い音を立てながら一瞬だけ体勢を崩したその隙に、ありったけの力をこめて身体を加速。


 矢のような速さでナイフを持った女子生徒に接近。


 影の正体が同じ森実校生とか、女子生徒だったとか、そのときはもう考えている余裕がなかった。


 ただ何とかしようとして、目の前の影を気絶させることに全神経を集中させていた。



「な、なにっ!? ――ぐぇっ!?」



 ナイフを持った女子生徒の注意が逸れ、間髪入れずに突っ込んだ俺のドロップキックが、女子生徒の腹部へと深々と突き刺さる。


 途端にゴロゴロと転がりながら、遥か後方へと吹き飛ばされる女子生徒。


 意識が飛んだのか、「カヒュッ!?」と変な声をあげ、糸が切れた人形のように身体から力が抜けたのが分かった。


 俺は「だ、誰……?」と、背後で困惑している2つの影を無視して、意識が飛んでいる女子生徒へと近づき、手に持っていたナイフを蹴り飛ばした。



「はぁ、はぁ……。だ、誰だが分からんが、大丈夫か?」



 俺は荒い呼吸を整えながら、背後の2人に声をかけつつ、振り返った。




「ぼ、ボクは大丈夫です……。め、メイちゃんは?」


「わ、わたしも、大丈夫です。どこのどなたかは分かりませんが、ありがとうございます。助かりました――って、お、大神くん?」


「えっ? ひ、古羊さんっ!? それに妹ちゃんまでっ!?」




 まさかの知り合いにお互いの思考が一瞬だけ停止する。


 その途端、彼女たちの背後で。



 ――ギラッ。



 と、何か棒状の銀色の何かが鈍く光った。



「ッ!? 2人とも、うしろっ!?」

「「ッッ!?」」



 俺の怒声に身体が勝手に反応したのか、2人は素早く背後へと振り返った。


 彼女たちの後ろ、そこには――ナイフを持ったもう1人の女子生徒が、古羊さんめがけて、今にも斬りかかろうとしている所だった。


 ヤバいッ、この距離じゃ間に合わないッ!?


 俺が駆けだすと同時に、振り下ろされる凶刃(きょうじん)。


 それが古羊さんの身体に突き刺さる。



「メイちゃんッ!?」



 寸前、妹ちゃんが、姉の身体をドンッ! と押した。


 途端に空を切る女子生徒のナイフ。


 妹ちゃんの顔に、安堵の表情が浮かぶ。


 が、その一瞬の心の隙を突くよう、にナイフを持った女子生徒の瞳が妹ちゃんを捉えた。



「邪魔を……するなぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」



 腕を跳ねあげるように、ナイフが真っ直ぐ妹ちゃんの身体へ向かう。


 サァッ、と顏から血の気が引いていく妹ちゃん。


 極限の集中状態のせいか、スローモーションのようにゆっくりと動くナイフの軌跡きせき


 そしてナイフの切っ先が妹ちゃんの身体に触れる。



「ッ!? 洋子、あぶないっ!」



 よりも先に、古羊さんが妹ちゃんを庇うようにして前に出た。






 瞬間、殺意の乗ったナイフが、古羊さんの身体を斬りつけた。






「そ、そんなっ!? め、メイちゃぁぁぁんっ!? うわぁぁぁぁっ!?」

「ふひっ♪ や、やった! やった! ザマーみろ、このアバズレッ!」



 胸元からザックリと斬られた古羊さんの華奢な身体が、力なく後ろへ倒れ込む。


 そんな彼女を、半狂乱のまま涙をポロポロと流していた妹ちゃんが、慌てて抱きしめた。


 ナイフを持った女子生徒は、満足そうな吐息をこぼしながら、耳まで裂けそうなほど唇を邪悪に吊り上げる。



「メイちゃん、起きてよメイちゃんッ!? ねぇ、メイちゃんっ!?」

「……うるさいなオマエ? 静かにしてよ? 静かに出来ないなら――死んでよ?」



 1度人を斬りつけた事でタガが外れたのだろう。


 もはや正気の瞳をしていない女子生徒が、妹ちゃんの首筋めがけて、大きくナイフを振りかぶった。



「じゃあね、バイバイ♪」

「テメェがな」



 瞬間、女子生徒がナイフを振り下ろすよりも早く、俺の右上段回し蹴りが彼女の顔面を捉えた。


 メキョッ! と肉を切り、骨を断つ感触が頭のテッペンからつま先を駆け抜ける。


 そんな嫌な感触と共に、悲鳴すらあげることなく、横に1回転しながら、激しく吹き飛ぶ女子生徒。


 ピクリとも動かなくなった女子生徒の姿を確認し、俺は慌てて古羊さんの方へと駆け出した。



「メイちゃんっ! 返事をしてよ、メイちゃんっ!?」

「古羊さん、しっかりしろっ!? おいっ!」



 声をかけるが、古羊さんから返事はない。


 それが余計に俺たちを恐怖のどん底へと叩き落とす。




「ど、どどど、どうしようっ!? メイちゃんが、メイちゃんがっ!?」


「落ち着け、呼吸はしっかりしているから、まだ助かるっ! まずは救急車だ。俺が止血するから、その間に妹ちゃんは救急車と警察を呼べ」


「う、うんっ! わ、わかった!」




 おぼつかない手つきで、ポケットからスマホを取り出す妹ちゃんを尻目に、俺はザックリと切り裂かれた彼女の胸元へと指先を伸ばした。


 見ているコチラが痛々しくなるほど、深く切り裂かれたシャツの胸元からは、月明かりに照らされた彼女の眩いばかりの真っ白な肌が、目に飛び込んできた。


 よほど深く切り裂かれたのか、露わになった淡い紫のブラジャーが視界に入る。


 おいおい、流石にコレは不味くないか!?


 ブラジャーまで切り裂かれているってことは、それだけ胸の傷が深いということで……クソッ!


 斬られてから、もう大分時間も経っている。


 今は1分1秒も無駄には出来ないっ!


 事は一刻を争うほど切羽詰っていた。



「クソッたれめ! このままだと古羊さんが出血多量で死んじまう……って、あれ?」



 素早く応急処置に入ろうとして、ふと気がつく。


 あれ? これだけ深く斬られているのに……出血がない?


 えっ、ない? 


 な、なんでっ!?



「た、確かに目の前で切られたハズなのに、なんで? 一体何がどうなって……あっ」 



 俺が驚き、首を傾げるのとほぼ同時に。





 ――ボトリッ。





 と、古羊さんのおっぱいが落ちた。

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