第1話 古羊芽衣は女神である

 

 俺、大神士狼がこの県立森実高校に入学してから訪れた、2度目の春。


 世界を旅してきた春風に磨かれながら、校舎へと続く坂道を歩いて行く。


 両脇には「春爛漫」という言葉がシックリくるほど桜が咲き誇り、新入生を爽やかに出迎えている。


 別に花をでるほど上等な人間ではないが、その眺めには一瞬目を奪われた。


 でもそれは本当に一瞬のこと。



「なんや、なんや? 朝からシケた面して!」

「おっと……。よっ、元気。おはよう」

「はいよ、おはようさん」



 がばっ! と、背後から俺の肩を組んできたこの男は、猿野さるの元気げんき


 エセ関西弁を使いこなす岡山県と香川県のハーフである。


 バカと勢いだけが取り柄の同級生で、名前の通り元気だけはいい。


 ちなみに俺から5000円の借金があり、常日頃から踏み倒そうとするので、油断はならない小悪党でもある。



「それにしてもどったんや相棒? バカと元気だけが取り柄のおまえさんが、珍しく元気ないやんけ」

「……実はさ? 俺、昨日クラスの女の子から飴玉をもらっただろ?」

「ああ、そのことならよく覚えとるで。何度も繰り返しワイに自慢してきたから、ぶっ殺してやろうかと思ったくらいや」



 それがどうしたんや? と眉をひそめる元気。


 そう、俺は昨日クラスの女の子とお話しをしている最中、その女の子から特に理由もなく飴玉をいただいたのだ。


 もう間違いなく彼女は俺に気がある、脈アリだっ! と思った俺は、家に帰りそのことを嬉々として姉ちゃんに報告した。


 すると姉ちゃんは、ファッション雑誌片手に。




『おまえ、それ単に【テメェの話しつまんねーからっ! 黙ってろやカス。ほら、飴やるから】って意味なんじゃねぇの?』



「――って、知りたくもない真実を突きつけられてさ。今朝は最悪の目覚めだったよ」

「……どんまい」

「あっ、やめて? 優しい言葉をかけないで? 軽く惚れそうになるから……」



 ほんと今優しい言葉をかけないでほしい。


 うっかり惚れちゃうから。


 士狼のライフはもうゼロよ?



「うぅ……チクショウ。なんで女は、いつも男を勘違いさせるようなことをサラリと口にするんだ!?」



 向こうからしたら『意識してないからサラリと言えんじゃ~ん。ただの話題提供じゃ~ん。深読みしすぎ~☆ キモッ♪』とか思ってるんだろうが、ほんとやめてほしい。


 これ以上俺のような純情な青少年の心をズタズタにしないでほしい。



「もう女なんて信じない。女は全員腹黒なんだ。こっちがチラっと甘い顔を見せたら、夜盗よろしくズケズケと土足で上がり込んできやがって! マジで全員『俺の心をもてあそんだ罪』で逮捕されてほしい……」



 メシはもちろんのこと、相手が見たい映画、アクセサリーなんかの小物、その他もろもろを奢らされた挙句、結局なんの進展もなしに『いやぁ、いい暇つぶしができたよ! ありがとねぇ~、バイバ~イ♪』――とか言うくせに終電逃したら『迎えに来てちょ♪』とか、ふざけんなよっ!? 



 あいつらは小悪魔なんて生易しいものじゃねぇ、本物の悪魔なんだよ!


 ……まあ全力で迎えには行ったけどさ!




「いやいや相棒。確かに大半の女は腹黒いかもしれへんが『古羊はん』らは別やろ」

「ああっ、確かに彼女たちは別格だ。間違いない」

「――何が別格なんですか?」

「「うわっ!?」」




 突然背後から声をかけられて、元気とともに素っ頓狂な声をあげてしまった。


 慌てて背後に振り返ると、そこには朗らかな笑みを浮かべて、ちょこんとたたずんでいる、双子姫の姉の方、古羊芽衣さんがいた。




「こ、古羊はん……いつからそこに?」


「えっと……ついさっきですけど。なんだか驚かせてしまったみたいですね、ごめんなさい。通りかかったとき、ちょうど名前が聞こえてきたので」


「い、いやいや! こっちこそスマンのう、ちょっと大げさに驚きすぎたわ!」




 大げさに笑う元気の隣で、俺はボーッと古羊さんに見惚れていた。


 絹のように細い亜麻色の奥には、優しげな赤目のたれ目が隠れており、彼女の柔らかい雰囲気をより強調していた。


 それだけではなく粉雪のように真っ白な肌。ゆで卵のような輪郭。


 すっと通った鼻筋に、ぷるぷると潤んだ唇。


 まさしく俺が思い描いていた理想の女性そのものである。



「あの……大神くん? どうかしましたか?」

「ハッ!?」



 心配そうに俺の瞳を覗きこんでくる古羊さん(可愛い)に、トリップしかけていた脳が再び高速回転しはじめる。




「い、いや! なんでもない、なんでもないんです!」


「そうですか? さっきからボーッとしているように見えたんですが……もしかして体調でも悪いんですか? もしそうだったら保健室に――」


「だ、大丈夫! 体調も気分も絶好調だから! なんなら今朝はヤクルトを4本飲んできたから! 生きたまま腸内に達した乳酸菌がおおよそ4000万個いますよ!」


「……なんの話をしとるんや相棒?」




 ほんと、何の話しをしてるんだろうね?


 朝から女の子にする話しじゃねえよ、コレ。


 我ながら、テンパったときは何をするか分かったものじゃない。


 自分の脳細胞にガッカリしていると、クスクスと鈴の音を転がしたような笑い声が聞こえてきた。



「フフッ。相変わらず面白いですね、大神くんは」

「そ、そうっすか?」



 照れた顔を作りながらも、心の中でガッツポーズをとる。


 や、やったぞ! よく分からんが、好印象だったみたいだ! 




「それだけ元気があるなら安心ですね。それでは2人とも。朝は体育館で新入生歓迎の部活動紹介をしますから、遅れないように来てくださいね?」


「「は、はひ~♥」」

「ではでは~♪」




 ペコリッ、と可愛らしくお辞儀をし、軽やかに坂道を駆けて行く古羊さんの後ろ姿を、俺たちはいつまでも眺め続けた。


 好きだ――と思った。


 やっぱり彼女こそ、我がスィートマイ・ヴィーナスだったのだ。



「……結婚したい」

「ワイもワイもっ!」



 思わず心の叫びが、唇からまろび出てしまった。


 いやほんと、上品に言って結婚したい。


 下品に言うと、彼女のパンストになりたい。


 本当、なんていい子なんだ、あの子は?


 もうただの天使にしか見えない。


 神は彼女に二物を与えたというのか?




「本当、古羊はんは凄いで。頭もよぉて、めんこくて、偉ぶるどころか、人の心配までしてくれて」

「あんな完璧な女の子が、現実にいることが驚きだよな。ほんと世の中、捨てたモノじゃないや」


「んだんだ。おっとそうや、相棒。背中には気ぃつけぇよ? 今ので確実に『古羊クラブ』に目をつけられたで?」


「……ほんとだ。周りの男たちの目が、殺人鬼のソレになってるや」




 ふと周りを見渡すと、周りの男子生徒の瞳が、伝説のアメリカ最強のスナイパー【ホワイト・フェザー】ことカルロス・ハスコックの現役時代を彷彿とさせる凄まじい視線になっていた。


 もはや同級生に向ける瞳じゃない。


 おそらく今ここで1人にでもなったら、俺は間違いなく明日の朝日を拝むことは叶わないだろう。


 男たちの嫉妬の視線に身を焦がしながら、俺と元気はそそくさと校舎へと続く坂道を歩き出した。

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