2章 (ここから展開が変わっています)
第9話
あなたに会いたいという口車に乗せられて、ついつい来てしまったバス停前。
日差しの強い午後3時はあぶくの様な蝉の声に包まれて蒸し風呂のよう。僕はアスファルトにできた逃げ水をなんとなく目で追いながら、これからのことに想いを馳せてため息をついた。
「やれやれ、面倒な事になった。氷月さんと付き合うだなんて……ていうかゆめさんが氷月さんだったなんて……今でも信じられない。話があるって……絶対に脅しだろ。電話口では濁していたけど、内容なんて聞かなくても分かるぞ。社会的地位を人質にとられるか首輪を付けられて飼い殺しにされるか。ああ、どっちも嫌だ」
僕は頭を抱えてうんうん悩んだ。その脳内に氷月さんに飼われる図が描かれる。
鎖に繋がれて首輪を付けられた僕は氷月さんにご飯をねだる。朝から何も食べさせてもらえずお腹を空かせた僕は帰宅してきた氷月さんに追いすがるのだが、しかし、冷たい目をした彼女にあしらわれてしまうのである。
「躾けのなってないワンちゃんね。お腹が空いたの? なら、何をすればいいか分かるよね? 分からない? なら、ご飯は抜きよ」
……ちょっといいかもしれない。そう思ったのは内緒だ。
僕は頭を振って性癖まじりの妄想を打ち消した。
「しかし、しかしだ。やらかしたのは氷月さんも同罪。あっちが強くでるなら僕だって同じカードを持っているのだから同様に強くでられるはずだ。そうなると昨日の交際の事実も無くすことができるのではないか? 人間味の感じられない氷月さんと付き合うなどまっぴらごめんだ。僕はもっと綺麗なお姉さんと付き合いたいのだ」
そうだ。僕にだって恋愛の自由はあってしかるべきだ。そう声に出すと勇気が湧いてきた。今度はもっと声高に叫んだ。「僕は綺麗なお姉さんと付き合いたいのだ!」
そこへ身も心も凍るような冷ややかな声がかけられる。
「平日の昼間っからなに馬鹿な事を言ってんのか」
「できれば黒髪の麗しき乙女であれ! ……うん?」
「私も一応黒髪なんだけどね」
「……………」
「……………なに?」
沈黙の一瞬。肩掛けカバンがずり落ちる。
いつの間にか氷月凜が隣にいた。隣にいて、冷たいジト目で僕を睨んでいた。
僕は大声を出して時刻表の裏に隠れた。
「ぎゃあああ! なんで! 君は隣町に住んでるはずじゃあないのか! なぜここにいる!?」
「なぜってたまたまよ。たまたま、ふと思い立って降りた所がここだっただけ」
氷月さんはさらっと言うが、僕には信じられなかった。氷月さんの町から僕の町に行くには、指定したショッピングモールとは逆方向のバスに乗る必要がある。そもそも待ち合わせをしているのに思い立って別の場所で降りるなんてことがあるか。
これからバスに乗って会いに行く予定の相手である。バスの中で冷静になれば性欲に流されない話し合いができるだろうと思っていただけにこの
彼女は僕の動揺を誘って話し合いを有利に進めるつもりに違いない。なんて計算高くて狡猾な女なんだ、くそぅ!
「それで、たまたま会っちゃったからショッピングモールに行く必要もないわね。どっかに適当に入ってそこで話しましょ」
「そんなこと言っても騙されないぞ。絶対に2人きりにはならないからな。誰に何と言われようと僕は自分の身が可愛いのだ」
「さっきからなんなの……取って食ったりしないし、逆じゃないの? 普通」
そこから出てきなさいよ、と氷月さんに腕を引っ張られ、僕はしぶしぶバス停の裏から出た。そこへ氷月さんが腕を絡めてくる。
「なに。付き合ってるんだからこれくらいするでしょ」
「あの、あの、当たってんです……ケド」
ふいに感じた女の子の柔らかさに僕はドギマギした。
向かっているのはチェーンのレストラン。その道中を氷月さんと腕を絡めたままいくのだからたまったものではない。
腕は骨が無いのかと思われるほど柔らかく、指先までしなやかな手のひらが僕の手を包む。氷月さんが肩が触れんばかりに引き寄せるせいで胸が押し付けられて、小さいながらも弾力のある健全さが背徳的なエロスを醸し出す。
「何が……べつに、付き合ってるんだからいいでしょ」
「た、たとえ付き合っていてもこういう事には段階があるんだ!」
「八重山が恥ずかしがるから私まで恥ずかしくなってきた」
「じゃあ離せよ!」
しかし氷月さんはどうあっても離さなかった。こうやって話し合いを有利に進めていくつもりらしい。
陰キャ界1のジェントルマンを自称する僕として振り払うに払われず、さりとて自然に距離を離す
「そういう事をされると、僕のような男は勘違いするんだぞ。性欲と好意を勘違いした男ほど醜い物はこの世に存在しない。氷月さんも女性なのだから自分の身を大事にしたまえよ」
「それもそうね。興奮して襲い掛かってこられるのは勘弁だわ」
氷月さんは僕を解放した。
肩をくっつけたままでは歩きづらかったらしく、離れた途端にさっさと歩いて行ってしまう。
「ほら、まだまだ距離があるんだからね。早くしないと日が暮れるわ」
「いくらなんでも速いって!」
僕が必死に追いつこうとすると氷月さんはさらにペースをあげる。もはや徒競走と変わらないペースである。「なんだってそんなに急ぐんだよ!」
「だって、いまあなたの隣にいたら私まで勘違いしそうだから……」
「あーー? なんか言った!?」
氷月さんの言葉は聞こえなかった。
ほどなくして目的のレストランが見えてきた。
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