秘書・氷上智花
「あっ……でも、あたし、ドレスを持ってきていないですね」
志帆が困ったような表情で言う。
最小限の荷物で来たみたいだし、当然だろう。
ただ、「持ってきていない」ということは「持っていた」ということだ。
そもそも普通の女子高生はパーティ用のドレスを持っていたりはしない。
今回の場合、普通の結婚式で来ていくようなドレスと比べて、かなりフォーマルなドレスが求められるからなおさらだ。
ただ、志帆はアイドルだったわけだし、実は名門・羽城家の娘なのだから、持っていてもおかしくない。
いずれにせよ、ドレスの用意が必要だ。
「なら、明日、一緒に買いに行く?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。休日だし。帝急の百貨店に行けば、ちょうどいいものがあると思うよ」
帝都急行電鉄は百貨店も経営している。渋谷に本店があるから、ここからは歩いていける距離だ。
小牧家の外商みたいな人もいるし、父の秘書を通せば話を聞いてくれるはずだ。
「兄さんとデートですね!」
「えっ」
「じょ、冗談ですよ?」
志帆が顔を赤くして言う。冗談でも心臓に悪い。
俺も頬が熱くなるのを感じた。
「でも、楽しみにしています」
くすっと志帆は笑って言う。
☆
翌日の午前、俺たちのマンションの前に一台の車が止まっていた。
黒のレクサスだ。
小牧家の秘書に迎えに来てもらったのだ。
外出するにしても、志帆が渋谷の街を歩いていたら目立ってしまう。
俺と志帆はそれぞれよそ行きの格好に着替えていた。
志帆はフリルのついたワンピース姿で、清楚で可憐、まさにアイドルといった見た目だった。
「どうですか、兄さん?」
志帆がワンピースの裾をつまみながら、くすっと笑う。
「すごくよく似合っているよ。えっと、その……めちゃくちゃ可愛いと思う」
「そ、そうですか! 良かったです。兄さんもかっこいいですね」
そう言われても、俺はシンプルに無地のTシャツの上にジャケットを羽織っているだけなんだけど。
まあ、でも「かっこいい」と言われて悪い気はしない。葉月になら、可愛いと言われているところだったし……。
相手が志帆なら、なおさらだ。
妹にかっこいいと言われれば、たいていの兄は喜ぶと思う。まあ、俺は妹ができてから、一日しか経っていないから、世の中の兄の気持ちはわからないけど……。
「ずいぶんと仲が良さそうね」
そんな俺たちに明るい声がかかる。
はっとして振り向くと、そこには長身のすらりとした女性が立っていた。
20代後半のすさまじい美人だ。
短めの明るい茶色の髪に、タイトスカートの灰色の高級スーツ。いかにも有能なキャリアウーマンという感じがする。
彼女はぱっと顔を輝かせると。
「久しぶり~! 公一君! 相変わらず可愛いね」
突然、彼女は俺を抱きしめた。
ぎゅうっと抱きしめられ、女性らしい身体と甘い香りに俺はくらりとする。
「や、やめてくださいっ! 智花さん」
「あっ、照れてるの? ほんとは嬉しいくせに」
そんなことを言いながら、彼女は俺の髪を撫でる。
この人は小牧家の秘書、氷上智花さん。東大卒、弁護士資格あり……という超有能な社員だ。
そんな彼女は帝都急行電鉄の幹部候補生として、今は社長秘書を務めている。
秘書といっても雑用をやっているわけではなく、経営のために重要な情報を収集し、社長をサポートする大事な役目だ。
俺の父からの信頼も厚いとか。愛人疑惑をかけられているぐらい親しいとも聞く。
そんな彼女は俺のことを過剰に気に入ってくれている。将来の小牧家後継者と親しくしておこうという、打算もあるのかもしれないが、しかし……。
「お願いですから、俺を愛玩動物か何かのように扱うのはやめてください……」
「えー、いいじゃない! なにかご不満?」
「いろいろ不満です」
俺が暴れると、「残念」とつぶやき、仕方なさそうに智花さんは俺を放した。
はあっと俺はため息をつく。
「智花さんも相変わらずで何よりです」
「まあ私が元気なのはいつものことだから! 今日も絶好調!」
「でしょうね……」
「それにしても、妹さんと仲良しみたいで安心したわ」
智花さんがふふっと笑う。
振り返ると、志帆がぷくっーと頬を膨らませている。
ど、どうしたのだろう……?
「兄さんが大人の女の人にデレデレてしている!」
志帆はそう言って、俺をジト目で睨んだ。
つまり、嫉妬されている……のかな?
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