第三膳 牛肉ど真ん中

お土産はオリーブオイル

 どうして葉月がうちに来るんだろう?

 昨日、俺は葉月に振られたばっかりだ。


 普通なら顔を合わせづらいと思う。


「開けてくれる?」


 葉月にそう頼まれ――俺は断ることができなかった。

 まだ俺は葉月のことが好きだ。その葉月が俺の家に来てくれるなら、断る理由もない。


 俺は志帆を振り向く。


「ごめん。客が来ていて、応対に出ないと」


「インターホン、女の子……の声でしたよね?」


 志帆が警戒するようにつぶやき、そしてなぜか不満そうに頬を膨らませている。

 俺は肩をすくめた。


「幼馴染の葉月が来てるんだよ」


「その人って、その……」


「俺が告白して振られた相手だよ」


 志帆は「そうですか……」と言ってなにか考え込む。昨日、葉月との経緯を話したとき、志帆は自分のことのように悲しみ、憤慨してくれた。


 そのことが俺は嬉しかった。


 振られたのはかなりショックだったし、いまも引きずっている。でも、志帆が来たおかげで、くよくよと考え込む暇もなかった。

 もし志帆が家に来るというビッグイベントがなかったら、昨日の夜も今日も俺は塞ぎ込んでいただろう。


 俺は深呼吸する。葉月に向き合わないと。

 振られたのは仕方ない。だから、気持ちを整理して前へ進まないと。


 葉月と友人としての関係をちゃんと取り戻せれば、またチャンスもめぐってくるかもしれないし。


 玄関まで赴いて、チェーンロックを外す。

 扉を開けると、そこには制服姿の葉月がいた。


 廊下を吹き抜ける風が、葉月の黒いロングヘアを揺らした。

 葉月は困ったような顔をして、大きめのガラス瓶を抱えている。


 ガラス瓶……?


 もともと葉月の家とうちの家は、同じタワマンの隣同士だ。


 すぐにでも来られる距離で、だからこそ以前は夕食を一緒に食べていた。


「これ……コウ君に渡してってお母さんから言われたの」


 葉月はそう言って、俺にガラス瓶を渡した。瓶は緑色で外側にラベルが貼ってある。

 これは……!


「エクストラヴァージンオリーブオイル!」


 イタリア料理やスペイン領に欠かせない植物油。それがオリーブオイルだ。

 そのなかでも、もっとも酸度が低く、風味や香りが強いのがエクストラヴァージンオリーブオイルと呼ばれている。


 俺は思わず顔がほころぶ。こんな良い食材をもらえるのか。そんな俺の様子を見たせいか、葉月の硬い表情が少しやわらぐ。


「イタリアの、えーと、トスカーナ州のなんだって」


 トスカーナ州はイタリア中部の地方で、芸術で有名な花の都フィレンツェがある。

 

 オリーブオイルの産地として世界的に有名だ。しかも、ラベルを読むとオリーブの品種は高級なレッチーノ種を100%使っていると書いてある。


「弥生さんがお土産で買ってきてくれたんだ?」


「うん。そうなの。コウ君なら美味しく使ってくれるだろうって」


 葉月の母・弥生は四大法律事務所の弁護士で、海外案件を手掛けることが多く世界中を飛び回っているとか。


 めったに家には帰ってこないのはうちの父と同じだ。ただ、俺に冷徹な父と違って、弥生さんはちゃんと葉月に愛情を持っている。

 弥生さんは俺のことも可愛がってくれて、ときどき海外土産をくれていた。


 葉月がうちに来た理由がわかって、俺は少しほっとする。


「ね? どうやって使うの?」


 葉月が興味深そうに俺を見る。

 俺は「うーん」と考える。


「オイル漬けやアヒージョに使ってもいいだけど、良いオリーブオイルは生で使う方が風味がわかってよいはずだから。サラダのドレッシングでも美味しくなると思うし、あとはフォカッチャを塩とオリーブオイルにつけて食べるのもきっと絶品……」


 俺はそこまで一気にしゃべって、ハッとする。

 葉月が俺を上目遣いに見て、くすっと笑う。


「コウ君って、料理のことを話しているとき本当に楽しそう」


「実際、楽しいからね」


 俺は照れて言う。葉月はくすくすっと笑った。


「コウ君の料理はすごく美味しいよね。わたしも大好き」


 そして、葉月はバツが悪そうにうつむく。


「昨日はごめんね」


「べつに葉月が謝るようなことは何もないよ。誰を振るのも葉月の当然の権利だと思うし」


「でも……」


 気まずい沈黙が訪れる。

 そこに爆弾が放り込まれた。


「小牧さん?」


 その可憐な声に、俺はびっくりして振り向く。葉月も目を点にして、志帆を見つめる。

 志帆が完璧な可愛さの微笑みを浮かべて、そこには立っていた。


「初めまして、香流橋葉月さん。あたしは小牧さん・・・の同居人の、羽城志帆です」








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