藍花の花芽

束白心吏

「――それで、月乃つきのはいつ秋夜しゅうや君に告白するの?」

「へっ!?」


 放課後。通学用の鞄を肩にかけ、日誌を持って歩く月乃の隣を歩く千早は、突然そう切り出した。

 突然とは言うが千早にとっては何てことない――訳でもないが、大切な友人の恋路の話。気にならないと言えば嘘になるため、時折話題に出すことでもあるのだが、月乃は慣れないのか顔を夕日とは異なる朱に顔を染めて、視線を反らして早口でまくしたて始める。


「そっ、そのっ、兄さ……じゃなくて秋夜君とは告白とかはまだ早いといいますか、今の雰囲気が好きと言うか今のままでも満足してますからっ!

 もう少し……その、今のままがいいかなって」

「へぇ~」


 含みを持たせた「へぇ」に訝し気な反応をしてくる月乃に抱き着こうか迷っていると、千早は窓の外に噂の人物がいることに気付いた。


「どうしたんですか?」

「あれ、秋夜君じゃない?」

「え?」


 見つけた千早も驚き半分ながら、月乃もまた驚きを禁じ得なかった。

 特に月乃は千早がてっきり部活の時間を誤ったかと思ったこと、更に話題の人物でもあるため、千早の言葉に一瞬意識が真っ白になりかけたほどだ。

 秋夜――と呼ばれた中性的で細身な男子生徒は、後輩らしい女子生徒と対峙していた。離れているため会話内容は聞こえないが、月乃や千早の知っているなかにあの女子生徒はいない……それも加味して十中八九告白だろうと、二人は同時に結論付けた。


「はぇー、告白の現場なんて初めて見たかも……どうしたの月乃ちゃん」

「……なんでもないです」


 感心して窓の外を最後まで――秋夜と女子生徒が別々に移動してくのを見ていた千早に対し、月乃は不満げな様子を隠さずに歩き始めていた。

 千早は悪戯心を刺激されながら、月乃に早足で追いつく。


「それで、アレ見た今でもさっきと同じこと、言える?」

「……」


 返事は無言。しかしその顔には焦りが垣間見え先の言葉を言えないだろうことは想像に難くない。


「ま、秋夜君普通にスペック高いからねー。気遣い上手で家事万能、勉強だってできるし、隠れた優良物件ではあるよ」

「……千早ちゃんも兄さん狙いですか」

「私は月乃ちゃん一筋! あれ、もしかして私に秋夜君が取られるかもって嫉妬しちゃった?」

「違います」


 少し怒った様子を見せる月乃だが、千早はこれでは足りないかぁ。と一人待つ間に苦笑する。

 月乃は初心だが、頑固でもある。秋夜を好きなのは認めているが、今の状況で満足しているきらいがあってか、一歩踏み出すことにためらいを持っているのを千早は理解していた。勿論それだけが理由じゃないだろう。しかし長年の同棲――と千早が勝手に呼んでいる――をしているというのに、秋夜も月乃も清いままというのは思春期の男女としては些かまずいのではないかと思ってもいた。


「私、らしくないことしてるなぁ」


 更なる爆弾を投下する準備をしながらそう独り言ちていれば、日誌を置いてきた月乃が職員室から出てきて、千早に呆れた目線を向けた。


「……部活はいいんですか」

「だいじょーぶ。結構緩いの知ってるでしょ」

「まあ」


 部活に所属してない月乃でも、千早の所属してる部活――バレー部の緩さは知っている。

 別に大会に出たくないわけではないのだが、如何せん部員が集まらず試合もできないため、活動内容も割と緩かったりするのだ……それはさておき。

 一言で月乃を納得させた千早は先の会話を蒸し返さんと口を開く。


「――でも、ああして告白されるくらい秋夜君は隠れ人気が高いよ。私も狙ってるかもなーって人、知ってるし」

「え?」


 素っ頓狂な声を上げた月乃に「月乃ちゃんのことだよ」と悪戯に成功した子どものような無邪気な笑みを浮かべて囁く。そこでからかわれてることを自覚したのか、途端に顔を赤くした月乃の様子に、愛おしさと僅かな秋夜への嫉妬心が顔を出し始める。


「千早ちゃんは恋愛の話になると意地悪ですね」

「そうかなぁ〜、そうかも」


 聞かせる、というより愚痴るような呟きに、千早は内心「月乃ちゃん限定だけど」と注釈をつけて、更に言葉を続ける。


「奥手なのは月乃ちゃんの美徳だと思うけど、行動しないと後悔することもあると思うよ?」

「え?」


 月乃の目が大きく見開かれる。それを確認してから、千早はくるりと体を半回転させ、早足に来た道を引き返す。


「それじゃ、私は部活へ急ぐであります!」


 玄関では呆然と、千早の姿を見送る月乃だけが残された。


■■■■


 ――行動しないと後悔することもある。

 千早の言葉は異様なほど印象に残り、家についた現在でも月乃の脳裏で反芻されていた。


「ただいまー」


 答える声はない。日が傾き薄暗くなった玄関の灯りをつけたが、彼女の履く靴より二回りは大きい学校指定の革靴は見当たらない。

 更に家の中は明かりもついてない。秋夜はまだ帰っていないようだ。

 リビングへと真っ直ぐ向かった月乃は鞄を適当に放り、二人がけのソファーに制服のまま倒れ込む。

 その表情は暗い。家という気の緩む場所に帰ってきた弊害か、月乃の脳裏には先程の秋夜が告白されている光景が浮かんでいた。

 月乃は告白がどうなったのか知らない。こんなことなら見ておけば良かったと思っても後の祭りだ。その後悔に押されるように、思考は暗い方へと落ちるように転がっていく。


 ――兄さんはあの女性と付き合うのか。


 ――あの女性と付き合い始めたら、兄さんは私を不要とするのか。


 ネガティブな思考が悪感情を生み、悪感情がネガティブな思考を更に生み出す負のスパイラルに入った月乃は、気がつけば頬を濡らしながら深い眠りの底に沈んでいた。

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