ずっとずっと一緒だよ。

凛道桜嵐

第1話ずっとずっと一緒だよ。

2005年初夏頃私、伝田百合香とティンクは足立区にある公園で出会った。

私は小学校五年の時に動物と暮らす生活を送りたいと突然思った。

どうして動物と一緒に暮らしたいと思ったのかは覚えていない。

テレビの動物特集を観てからなのか、それとも動物と一緒に暮らす友人の話を聞いたからなのか。

そんなきっかけは私にとっては特に重要では無く、ある日突然私は犬が欲しくなったのだ。


私は生まれた時には猫が傍に居た。

猫の名前はティサ。

母が学生時代に行ったオーストラリアのホームステイ先に居た女の子の名前がティサで可愛い名前だと思い、結婚を機に父と一緒に購入した猫にその名前を付けた。

でも、ティサと名前を呼ぶのは思った以上に噛んだりして言いにくかった為、あだ名のティーと呼ぶようになっていた。

そんな父と母とティーの元に私が生まれた。

ティーは最初は母が私に構いっきりの生活に対し、赤ちゃん返りをしたりして母の気を引きつけて居たらしい。

私が寝返りをうったり、ハイハイ出来るようになった時にはすっかり私のお姉さんになっていた。

ティーの性格はツンデレそのもので母に甘えてきたと思ったら触ろうとした瞬間にダッシュで逃げたり、人が来れば姿を物陰に隠れたり、気に入らないことがあるとシャーと家族にも威嚇していた。

ただ、私には凄く優しかった。

私がティーのお腹を枕にして寝ても彼女は黙ってお腹を貸してくれ、窓の外を眺めるティーが尻尾をぶらんぶらんと床の方に投げ出しリラックスしている状況に私がその左右に振り子のように動く尻尾を思いっきり右手で握っても、

「誰じゃ、ゴラ!邪魔すんな!」

とキッと睨み付け尻尾を掴む犯人が私だと分かると、

「しゃーないな、お前か。ほんなら我慢したるわ」

と少し溜め息を着いてまた窓の外を見たり、私が少し手を離すと尻尾をすかさず私の手から避けたと思ったら、また私の視界に尻尾をぶら下げ

「ほら、掴めるんなら掴んでみ。やれるんか?あ?」

と何度も尻尾を掴もうとする私を横目に上手く尻尾を操って私の手をかわすという遊びをしてくれた。

私が昼寝をしている時にも決して人間の傍で寝ないティーは、

「あんた昼寝してるんか?母さん今忙しそうやからなしゃーないから一緒に寝たるわ」

と私の枕元にぴったりとくっついて寝てくれた。

そんなティーは私が幼稚園の年中さんの時に亡くなった。

元々性格上我慢強いティーは身体が辛くても何も言わなかった、しかし日に日に食欲が無くなくなり元気が無くなっていった。

母はそんな姿にただ一時的な食欲不振なのかと思い気が付かなかったらしい。

しかし、いつもの日課のようにティーのトイレを掃除した時に血尿が出ているのに気が付きすぐに近くの動物病院に連れて行った。

診察の間ティーは大人しかった。

もしかしたら、身体が痛かったり辛かったのかもしれない。

それでも母に心配させないように涙目になる母の目をジッと見ながら、

「母ちゃん心配せんでええよ。大丈夫や。」

と伝えていただろう。

診察の結果、癌だった。それも末期の癌だった。

母は動物病院の先生の話を聞きながらその場に蹲って泣いた。

先生は母を心配しながら、もうティーが長くないことを伝えた。

ティーはその光景を見て何を思ったのだろうか。

自分の身体のことはきっと分かっていただろう。それでも、私は大丈夫と言わんばかりに母の目を母が泣く姿をきっと見守っていたに違いない。

それから間もなくティーは家族に見守られながら天国に旅立った。

私はまだ幼く、死という事に対しての知識が無かった。

昼寝をしている時と変わらない姿勢で横たわるティー。

ほんのりまだ身体が温かいティー。

私はいつものように寝ているティーに一生懸命に呼び掛けた。

「ティー、もうそろそろご飯の時間だよ。起きて、遊んで」

そう言いながらティーのおでこを撫でた。

するとティーは舌をチラッと出して引っ込めたのだ。

私はティーが最後の力を振り絞って答えてくれたのかもしれない。大きくなってからも本気でそう信じている。

ティーは最期の最期まで私の声を聞いてくれたのだと。

それから数年が経過し、ティーを失った悲しみは少しずつ過去になった。

私が小学生になるときには新しい環境に慣れるのに必死だったのでティーを思い出す時間が減った。しかし、私は家に居るときは必ず抱きしめていた人形があった。それはティーにそっくりな猫の人形だった。

その人形を抱きしめると傍にティーが居る気がした。

学校で嫌な事があってもティーを抱きしめると安心した。

きっと黄色いつり目で学校の愚痴を言う私に

「そんなグチグチ言うてんと今日の宿題したんか?明日学校の先生に怒られても知らんで」

と言ってくるだろう。

きっとティーの事だ慰めはしてくれない。叱咤激励されるに決まっている。

そんな日々が続き、両親が離婚した。

元々父は家に帰ってくる事が珍しい人だった。

要は遊び人だったのである。

夜遅くまでキャバクラに行ってはお金を使い、色んな女性に手を出していたのだ。

母はそんな父でも私の為に我慢してくれていた。

しかし、私が小学校3年生の時に父が浮気相手に本気になり母に離婚してくれと言ってきた。

久しぶりに家に帰ってきた父の態度は冷たく、父とは思えない冷めた目で私と母を見て私には一言も声を掛けずにこの家から出て行ってくれと要件だけ伝えるとまた何処かに行ってしまった。

母は結婚したのが短大卒業後すぐだったのもあり、社会経験が全く無かった。

父に別れを言われ悲しみに暮れる暇を神様も父も与えてはくれなかった。

母は一人になるとこっそり泣きながらも必死に仕事を探した。

私一人を育てられるくらいにまた、引っ越しが出来るようにと必死に探した。

そんな状況を母の両親は黙っていなかった。

大阪の広い広い土地を購入し住んでいた祖父母が私と母の為に東京に出てきてくれたのだ。

弁護士を交えて話し合う場にも祖父母は母に寄り添ってくれた。

父は弁護士に対して

「俺は精神病を患っているんです。すみません。症状が出てきたので薬を飲んでもいいですか?」

等と言いわざと弁護士の前で病弱をアピールした。

しかし、母の弁護士と父の弁護士が部屋を退出すると

「あいつら俺の演技に絶対騙されてるな。お前の弁護士も俺の味方だ。お前には誰も味方なんていないんだよ。」

と病弱の姿一変に意地悪そうにニヤニヤと母を見下した。

私は小学生という年齢でもその場に出席する事は許されなかった。

しかし、私は父のその姿は知っていた。

父が私の母を苦しめようとしている姿は話し合いで帰ってきた母の姿を見れば一目瞭然だった。

父をここまで憎いと思ったことが無い以上に私は日々父に対して殺意の気持ちを心に抱えた。

そして、父と母の離婚が正式に決まった。

慰謝料は父が女に貢いでしまった為金が一銭も無いと言い放ち養育費も父は金無しなので父の兄が代わりに払うという話になった。

実際は養育費もすぐ払って貰えなくなり連絡しても返事が無かった。

現在父と父の兄がどうしているのかは知らない。

ただ、2022年の昨年父が生活保護の申請を出して娘である私に品川区から通知が来た。

私は長年の恨みをその紙に書いた。

「私の養育費も母に払う予定だった慰謝料も一銭も払わず、社会経験が未熟の母に上手いことを言って恋心を抱かせておきながら、自分は家族の中の父としての役割を全うせず遊び呆けていた。少しでも糖尿病も含め病気が発覚した時にどうして貯金をしなかったのでしょうか?大人として父として自覚は無かったのですか?お金を貯めるという事が考えられなかったのでしょうか。そんな父を持つ私は恥ずかしくて仕方ないです。そして計画性が無いことを棚に上げて国民が払ったお金で生活をしようと思うなんてどんな考えなのでしょうか。生活保護は本当に必要としている人にだけに使用して頂きたい。父のような人間には使用して欲しくないです。私はこれから父は死んだものと考え生きていきます。貴方が例え死んでも線香も含め葬式も行いません。貴方の介護も含めて一切するつもりはありません。貴方は孤独になるべき人間なのです。」

そう役所から来た手紙に援助しない事を答えないといけないため、援助しない事と一緒に私の長年の気持ちを紙に書いて父に伝えて貰うように文を添えて役所に封筒を出した。

私は冷たい人間なのかもしれない。

しかし、私が幼い頃から現在まで味あわされた出来事と比較すればこんな手紙一枚で終わる訳では無い。ただ、私も大人になった。

父に対する殺意を込めた憎しみや、叔父への憎しみ、また父方の祖母に対して当時私達の味方を一際せず父を全力で応援し、引っ越しの日に私が祖母に当てた祖母の絵と手紙を破り捨てた、そんな三人に対する気持ちは怒りから呆れを通り越し現在では私の完全な過去になった。

一生忘れることは出来ないが私にはもう関わりの無い過去の人間なのだ。

肩書きだけの父親など私にはいらないのだ。

いつかこの小説を父の知り合いが読んでくれたら良いのにと密かに思っている。

そして私の恨みを知れば良いと。あの時父と一緒になって家族を壊した女にも密かに私達にした事が返ってくれば良いと思っている。

きっと人にこの話をすると、もう忘れなよと言う人も居るだろう。

ただ私は思うのだ。許すも許さないも、憎むも憎まないも経験した人しか分からない。

苦しめてきた人間に対してどんな感情を抱くかは本人の自由なのだ。と

父と母が離婚し、私と母は母方の祖父母と一緒に暮らすことになった。

最初は私が転校しないように今まで暮らしていた地域で家を探していたが、なかなか決まらず結局学校が変わる知らない土地を購入し家を建てることになった。

私は転校する前にクラスの皆全員に別れを述べた。

離婚については言わなかった。言うなと母に言われたからである。

転校を知った友人達は涙を流す者も居れば何処に行くのかと気になり聞いてくる者も居た。

私は私の机に群がる友人達と離れるのが寂しかった。

しかし、引っ越しの日は近づき小学校3年の春休みに私は新しい土地に足を踏み入れた。


私は祖母に連れられて新しい土地にバスで向かった。

母は叔母と私の従兄弟と共に引っ越しの荷物を業者に渡すために別行動だった。

いつも見慣れていた景色をバスの窓から見ながら段々知らない景色になっていく様は、ジブリの千と千尋の最初の方の場面で千尋が父が運転する車に乗って移動する時のような私自身が千尋になったかのような気持ちになった。

もしかしたら、このバスがワープし千尋が体験した世界に繋がるかもしれないと思うと知らない土地に行くという不安や緊張よりも新しい冒険が始まるようなワクワクが私の心をいっぱいにした。

バスの乗り換えも含めて一時間少しが経過した頃私は新しい家に着いた。

そこはマンションで祖父母が購入した家はまだ建設途中だった為完成するまではマンションに住む事になっていたのだ。

私は初めて新しい家に入ったとき今までの家の中の匂いと全く違い家具も何も無い他人の家にコソッと入ったような気持ちになった。

新しくない家なのに新しく感じる家に何とも言えないドキドキ感を感じ、私は靴を急いで脱いでは家のあちこちを探検した。

ここにはキッチン。ここはトイレ。ここは部屋。ここも部屋。扉をどんどん開けては今日からここで生活することを確かめるように母が来るまでそうして何度も部屋の扉を開けては確認した。

暫く転校してからは苗字が変わりテストや提出物に名前を以前の苗字で提出しかけて慌てて修正するという日々を過ごした。

最初は苗字が変わったことに対して、以前の私は死んだのだと思い新しい学校では両親が離婚したことはもし虐めに繋がったらいけないからという大人達の考えに従ってバレないように必死に隠していた。

新しい学校の友人達には父の仕事の転勤で引っ越したのだとそう嘘をついた。

時には嘘をつくことに対して心苦しく思う事もあり、また前の学校や友人達を恋しく思っては夜布団の中で涙を流した事もあった。

転校なんてしたくなかったと思ったことも沢山あった。

理由は同性からのいじめである。

転校した最初はどんな人が転校してきたのか他クラスにも噂が回り休み時間に私の姿を見に来る人達で教室のドアは溢れていた。

しかし、日にちが経過するとそこまで興味を持たれなくなり私の姿を見に来る人は居なくなった。

しかし、私はなかなかクラスの仲間に馴染めずに居た。

理由は私が転校してきた学校は小学校3年と4年はそのままクラス替えをせずにエスカレーター式だったからである。

私が転校して友達を作ろうにももうクラスではグループが出来ていた。

私はその輪の中になかなか入れず一人で居ることが多かった。

時々女子達と話せても会話の半分は分からない内容でいつも何処か取り残された気持ちだった。

そんな姿を見てからなのか、クラスの男子達が私の席に休み時間に集まって話しかけてくれるようになった。

学校の帰り道も一緒に帰ろうと誘ってくれるようになった。

私は初めて友達が出来て心から嬉しかった。

今まで学校への道が歩いても歩いても着かないように思えていたが、友達が出来たことによって学校までの距離が凄く近く感じ笑顔で過ごす日も増えてきた。

ただその一方で同性からは、ぶりっ子や良い子ぶっている、男好きと言われ嫌がらせを受けるようになった。

私は特に男子だとか女子だとか何も考えずにクラスの友人という考えしか思っていなかったのに女子達には私が男子に媚びを売っていると思われていたのだ。

日に日に嫌がらせはエスカレートし、暴言を言われては泣かされる日が多くなった。

一方家では離婚後私の学費や生活費を稼ぐために必死に仕事をし、家事をこなす母の姿があった。

私もそれなりに手伝っていたが、母に学校での出来事を弱音を吐くことは出来なかった。

そんな日々が続き私はマンションから一軒家に、また新しい家に住むことになった。

学校生活は相変わらず女子達の嫌みを言われることもあったが、男子達や女子の中でも仲良くしてくれた子達によって耐えることが出来た。

新しく建設された家は木の匂いでいっぱいだった。

壁も真っ白で床はピカピカで靴下でその上を歩くとツルツルと滑るほどだった。

私は新しい家にまた興奮し、部屋をまた一つ一つどんな部屋なのかどんな天井の形をしているのか。

家具も何も置いていない家を冒険した。

そうして遊んでいるうちに夕方には引っ越し業者が荷物を運んできた。

業者が荷物を家の中に次々と入れていく作業中に祖父母が大阪から東京に出てきた。

祖父と母が冷蔵庫の位置や食器棚の位置などを指示していくのを横目に私は祖母と二人で家の床をツルツルと滑って遊んでいた。

全ての家具が家に収まり、最初に見た家の広さがかなり狭く感じた。

段ボールだらけの家に私は圧倒されながら夕ご飯を新しい家で母と二人だった生活に祖父母が新しく加わり、新しい生活の始まりを近くのコンビニで買ったお弁当でお祝いした。


新しい生活が始まり家の中が片付けに追われている中、私は小学校5年生になった。

クラス替えがあり、新しい教室に今まで一緒に過ごしてきたクラスの子達と離れたりまた一緒のクラスだったりとクラス発表の紙を見て友人達とギャアギャア騒ぎながら新しい教室に向かった。

5年生になるとある程度の地域の事や学校の校則や建物の構造、そして先生達の性格も全てを覚える事が出来た。

ほぼ、友人達のお陰でもあるがスパルタに道を覚えさせられて放課後に遊びに行っては色んな店、公園、土地に触れた。

私はそんな毎日を過ごす中突然犬が欲しくなった。

ティーの事をふと思い出したのかも知れない。

それとも、家に帰っても祖父母は居てくれているが母が仕事で居ない寂しさがあったのかもしれない。

それとも、母と祖父母の性格が合わなくしょっちゅう喧嘩しているのを見ていたからかもしれない。

祖父が私に対して口答えや自分の意見を言うなと怒鳴り、時には手を挙げられていたからかも知れない。

ただ、ここで勘違いをして欲しくないのは祖父は決してDVをしていたわけでは無い。

私も最初こそはビックリして怖くて祖父に怯えていたが、祖父が実はそこまで強くないこと威勢だけだと理解してからはよくやり返していた。

よく二人で殴り合いの喧嘩をしていた。それこそ今はお互い大人になり祖父も歳を取ったため殴り合いはしなくなったものの、言い争いはしょっちゅうしている。

また祖母は当時私を自分の思いのままにしようと必死だった。

宿題があれば祖母が勝手にやっていたり、美術の宿題で自分の気持ちを人型に色で表現するという宿題では真っ黒に塗った私の絵を見てギョッとしたのか上から紫やら黄色やら色んな色を混ぜて違う作品にしては私に宿題の提出物を変えてやったと自慢げに報告してきたり、私の友人達が遊びに家に来た日にはずっと友人達の傍に座り私が学校で起きた話を家で家族に話している内容を最初と終わりだけは事実でもほぼ祖母の中で話が変わっており作り話をあたかも私がそう祖母に伝えたようにして話し、私が友人達にそんな事を言っていないと伝えても、祖母は私を友人達の前で私は嘘つきだと嘘つきの人間なのだと言いふらし困らされていたからかもしれない。

私はとにかく私を愛してくれる生き物に傍に居て欲しかった。

ティーのように私に無償の愛をくれる動物に出会いたかった。

私はそう覚悟を決めると実行に移った。

最初のターゲットは祖父である。

私は祖父の性格を観察していたので知っている。

祖父は実は動物が大好きなのだ。

興味が無いフリをしては、テレビで動物特集があると口をぽかんと開けながら瞬きも忘れるほどに集中してみる。

そして家族に見られていないと思っているのかニヤニヤしていつもは吊り上がった目がデレデレの顔になるのだ。

そして祖父は孫にも甘い。祖父は一喜一憂する性格だが私がおだてると上手くいけば味方になるのは間違いなしだった。

そこで、私は祖父にペットショップのチラシを祖父の見える席や枕元に置くことにした。

そして、それが続くと祖父にチラシを手にしながら

「このワンちゃん可愛いよね~おじいちゃんどのワンちゃんが好き?」

と聞くのだ。

祖父は最初こそは冷たい態度だったものの、柴犬が良いと言い始めとうとう私の計画の犠牲者になった。

そして、祖父が私の手に落ちたのを確実にした後の次のターゲットは母だった。

母は幼い頃から動物が好きで、小学生の頃野良犬を拾って持って帰ってきたり他人の家の犬を触ったりしていたのを祖母から聞いていたので私は母にそれとなく犬が飼いたいと思わせるように仕向けた。

母は最初はそれこそお金の問題もある、誰が散歩に行くのか。また責任持って世話が出来るのかと質問攻めしてきたが、もはや時間の問題だった。

私には祖父が居る。

祖父はもう犬を飼う気満々だった。

私は祖父と一緒になって犬が居たらきっと楽しいよね~と二人でタッグを組んで母に毎日のようにおねだりをした。

そんな日々が続くと母も折れ里親なら良いよと認めてくれた。

そうして出会ったのがウイルシュコーギー・ペンブローグのティンクである。

たまたま母が探していた里親さんで弟と一緒に貰ってくれる方という内容で里親を募集されていた。

私は最初に写真でそのコーギーを見たときに可愛いと思い、この子が良いと母に話した。

そして一匹で良ければ譲渡して欲しいと母がその飼い主さんに連絡をすると最初は二匹一緒にと言っていたが話し合いの末、姉のコーギーを譲渡してくれることになった。

私は大喜びした。

どんな子なんだろう。

飼い主さんの話によればまだ五ヶ月の子犬らしい。

きっと小さい子犬なんだと毎日その子を思って妄想していた。

どんな性格なんだろうか。

名前はどうしよう。家族で一緒に食べる夕飯はその話で持ちきりだった。

名前が決まったのは譲渡の約束日の二、三日前だった。

ディズニーのピーターパンのティンカー・ベルからティンクにしようと決まったのだ。

あのツンデレの可愛い妖精さんのような子になりますようにと願いを込めて決めた。


譲渡日

晴天だった。蛇のようなジトッとした暑さが私の身体を巻き付いてくる。

その暑さが初夏を感じさせたが、私はこの日をずっと楽しみにしていた。

前の晩は興奮して眠れず、飼い主さんが送ってくれた写真を何度も枕元に置いて見ては明日のこの時間にはここに居るのだと思うと不思議なソワソワした綿飴のような感覚が私の心臓をいっぱいにした。

当日は今か今かと時計を見ては気持ちが落ち着かなかった。

母が運転する車で祖父母と一緒に約束した足立区の公園まで行った。

公園は広く緑の芝生が一面と広がっていた。

約束の時間になってもそれらしき人が現れなかった。

祖父は少しイライラしたように公園をグルグル歩き母は飼い主さんにメールを送り返事が来るのを待った。

約束時間から15分少しに紺色のTシャツにハーフパンツを履いた少しぽっちゃりした20代後半くらいの男性がグレーの大きな籠を右手に重そうにしながらこちらに歩いてきた。

私達はその男性の姿を見たとき、約束していた人なのだろうかとヒソヒソ話し右手に重そうに運ぶ籠を見ながら

「五ヶ月の子犬だよね?でかくない?」

と話した。

飼い主さんは私達の前に立つと額の汗を拳で拭いながら

「お約束した方ですよね?いや~遅くなってしまってすみません。」

と挨拶をしてきた。

顔はまん丸で目がとても優しそうな人だった。

そして私達を見渡した後

「おじい様もおばあ様もご一緒に来てくださったのですね!リードしてなくて首輪もしていないので逃げないように少しだけ今ワンちゃん籠から出しますので近くに寄ってきて貰えますか?」

と言われ私は真っ先に籠の目の前に陣取った。

祖父母も母もその言葉を聞いて籠を覗き込む。

飼い主さんは籠を地面に降ろし、籠を開けると中からソロリソロリと金髪に近い茶色の毛並みをした犬が出てきた。

足は短く、耳は大きく耳の中がはっきり見えるくらいで目はクリクリした黒い目で鼻も真っ黒で地面の匂いを嗅ぎながら私達の前に現れた。

ただ、私はこのワンちゃんを見て驚きが隠せなかった。

理由は五ヶ月にしては体格が成犬並みに大きかったのだ。

母は私と同じ感情だったのか飼い主さんに

「五ヶ月ですよね?結構大きいんですね」

と聞いた。

飼い主さんは

「そう思いますよね!実はこの子も弟君もご両親が大きい体型で多分中型犬だけれども大型犬に近い体重や体型になるってペットショップの店員さんに言われたんですよ~」

と何も問題が無いようにそう答えた。

コーギーは本によっては小型犬として分類されることもあるがこの子は大型犬くらいになるという。

「なんと!」

と私はつい本音が漏れた。

飼い主さんは私のその表情に大笑いしながら

「この子はね僕はジンジャーって呼んでるんだよ。弟はペッパー。君はもうこの子の名前決めた?」

と目線を私に合わすようにして話しかけてきた。

私は

「ピーターパンに出てくるキャラクターのティンカー・ベルから取ってティンクにしようって話し合ったんです。」

と答えると

「ティンクか。可愛い名前だね。ジンジャー、これからこの人達がお前の家族だよ。幸せに長生きするんだよ。」

とさっきまで優しそうな目に溢れるくらいの涙を溜めてジンジャー兼ティンクに話しかけた。ジンジャー兼ティンクは飼い主さんの姿をクリクリの黒い目で見上げながら飼い主さんのその姿にこれから起きることが分からない、どうしたの?というような表情をしていた。

そんな二人を私は黙って見つめていた。

私は犬が欲しいという気持ちだけを心をいっぱいにして、少しもこの二人が離れ離れになることについて一切考えていなかったのだ。

このままこの子を連れて帰って良いのだろうか。

私の心にはグレーの不安の色と濃い紫色のようなそれでもこの子と一緒に過ごしたいという自分勝手な気持ちが入り交じり台風のような強い風を吹きながら私の心を渦巻いた。

暫く母と話す飼い主さんを横目に私は再び籠の中に入れられたジンジャー兼ティンクの黒い鼻を籠の扉の編み目の隙間から人差し指でツンツンとしてみた。

ジンジャー兼ティンクは私の指に怯えることも無く匂いをクンクンとし、私の人差し指にジンジャー兼ティンクの鼻息が少し早めのリズムでかかった。

ジンジャー兼ティンクの鼻は少し濡れていた。私は以前祖父母の家に居た柴犬の事を思い出した。あの子は確か鼻は濡れていなかった。祖父母の家に遊びに行くたびによく遊んでいたが、鼻が濡れていると思ったことが無かった。逆にカサカサと乾いていた印象の方が強かった。

私は濡れているジンジャー兼ティンクの鼻をツンツンとした。

私の手足も母方の祖父の遺伝で多汗症なのでお揃いのように思え、出会ってまだ数分なのにお揃いの所がある事に少し嬉しさなのか心がムズムズした感情が口元まで広がった。


母と話し合った飼い主さんがそろそろ失礼します。と言い出した。

「これ以上一緒に居ると離れるのが辛いから。写真も動画も送って頂かなくて大丈夫です。優しさには感謝しますが、きっと僕は写真を見てしまったら離れたこの日のことを思い出して寂しくて耐えられそうに無いから。」

と籠の上からジンジャー兼ティンクの事を撫でた。

ジンジャー兼ティンクは撫でられたことは分からないけれども、何かを感じ取ったのだろう。籠の上を見上げるようにして少し緊張なのか飼い主さんの寂しいという感情を読み取ったのか、先程まで長くピンク色のベロが口の中に綺麗に仕舞われて少し表情も固くなった。

飼い主さんは暫く撫でた後、私達にもう一度

「ジンジャーをお願いします。幸せにしてあげてください。」

と頭を下げた後来た道を引き返し行った。

私達は暫くその後ろ姿を見つめ、その背中が見えなくなる頃にティンクを連れて家に帰った。

車に初めて乗るティンクは落ち着きが無く、ソワソワしていたが私が何度も

「大丈夫だよ。怖くないよ。お別れ辛かったね。頑張ったね。これから一緒に暮らす人間だよ。初めましてだね。震えなくても大丈夫だよ。これから私が絶対守るからね。」

そう籠の中でガタガタと震えるティンクを籠ごと抱きしめながら私はティンクが少しでも落ち着くように何度も何度も話しかけた。


その日から私とティンクの生活が始まった。

ティンクは最初からお手もおかわりも、伏せもお座りも全て出来ていた。

それは前の飼い主さんがしつけ教室に通わせていたからだった。

ただ一つ気になったのが吠えないのだ。

寂しくてキューンキューンと泣く事はあり、寂しさかと思って行くと前足後ろ足にいっぱいウンチを付けてあちこちの壁に付けたりして悲鳴を上げたこともあった。

ティンクはとにかく寂しがり屋で家族の姿が見えないのが不安なのかしょっちゅう誰かをキューンキューンと呼んだ。

私達は話し合った後現在ティンクが居る玄関前のケージが置ける唯一の場所よりも一番家族が一緒に居る時間が多いリビングにティンクのケージを移動させることにした。

ケージをリビングに移動させてからは寂しくて鳴くことも、ウンチを踏み荒らす事もしなくなった。トイレもきちんとトイレシートに出来るようになっていた。

私はそんなティンクが愛おしくて仕方なかった。

ただ私達には少し誤算があった。

ティンクの身体の大きさが思っていた以上に大きくケージが何ヶ月持つのかという事だった。

五ヶ月にしては大きいティンクはそんな少し小さめのケージに大人しく入っていたが、私と母は夜中に二人でこっそりケージから出して遊んでいた。

祖父母が自分達の部屋に寝に行ったのを見届けると母が

「開けちゃおう、開けちゃおう」

と言ってケージのドアをこっそり開けるのだ。

ケージを開けると勢いよくティンクは出てきた。

嬉しい嬉しいと全力で私と母に飛びつくのだ。

「やっぱりケージの中は狭かったんだね。」

と話す母と祖父母に内緒で悪いことをしている事に心を躍らせながら私はイヒヒと笑いながらティンクの頭を思いっきり撫でた。

しかし、そんな日々も長くは続かなかった。

祖父にバレたのだ。

いつものように祖父母が寝に行ったのを確認してケージの扉を開ける私。

母がティンクの遊び道具のボールを持ってきて遊ぶ準備をしていたら、祖父がまだ寝ていなかったらしくリビングに怒鳴り込んできた。

「何してるんや!何でケージから出してるんや!」

と怒る祖父に私はバレたーと笑った。

母も同じくお腹を抱えて笑っていた。祖父一人だけプンプン怒り私と母は笑っているという変な場面をティンクは不思議そうに見ていた。

しかし、その数ヶ月後にはケージは撤去された。理由は避妊手術をしたティンクの頭に着いているエリザベスカラーがあるとケージの中では過ごしにくいだろうという祖父の意見がありティンクは家の中を自由に動き回ることが出来た。

ティンクとの日々は毎日が楽しかった。

散歩は母と一緒に行く練習をし、ティンクは特に道路に対しても車、自転車に対しても怖がることは無く難なく歩くことが出来た。

ただ犬に対しては怯えすぐに降参ポーズのお腹を出してゴロンと寝そべったり、人間は大好きなので色んな人に甘えに行ったりした。

しかし、吠えることの無い大人しすぎる性格に私達家族は心配した。

この子は吠えない性格なのかそれとも吠えられないのか。生活環境が変わった事によるストレスが原因では無いのかと考え、吠えて良いんだよ。自由な感情で過ごして良いんだよ。と教えた。

その教え方が悪かったのかティンクは大人しく弱々しい子という性格からオラオラ系になった。

家の中では今まで大人しくキューンキューンと鳴いていた姿が嘘のようになり、人間がご飯を食べていると「その飯くれや!おらぁ!」と激しくワンワン吠えては前足で人の腕をカリカリと引っ掻くようになった。

痛いと言っても聞いてくれず逆に相手にする度にワンワンと吠える頻度が増した。

また外では今までは他の犬に合うとお腹をすぐ見せて降参ポーズをしていたが、段々性格が変わり避妊手術をした後からは他の犬が遊んでいるボールを見ては自分の物だと追いかけるようにあり、気に入らないことがあると他の犬を追いかけ回したり喧嘩を売ってきた犬に対しても「負けるか!ボケ!」と言わんばかりに吠えるようになった。

ただ唯一変わらなかったのが人間の事が大好きなところだった。

人が散歩をして通り過ぎる度に可愛いね~と褒められると、その言葉が分かるのか

「そんなん言われんでも知ってる、何?私の可愛さにやられたんか?しゃーないな、ほら触らしてやってもええで。」

と何かと上目線からの態度で接するようになった。

ただ小さい子は苦手だったらしく来るとウーと唸ったりはあり、よく小さい子が来そうになると私がティンクとその幼い子の間に入りゆっくりと歩いてくる母親に

「このワンちゃん少しだけ小さい子には人見知りなんです~。来てくれてありがとうね。」

と言って万が一噛んだりしないように(ほぼそんな心配は必要なかったが)、吠えてビックリさせないように配慮した。

また、家の中での私とティンクの関係も変わっていった。

それまでは私がお姉さん、ティンクが妹だった。

それが段々と逆転していきティンクがお姉さん、私が妹になった。

話が違うと何度も立場についてティンクと口論したことがある。

これを読む人にはどういう事だろうかと疑問に思うかもしれない。

しかし、本当に口論をするのだ。

例えば私が使いたかった色鉛筆を出しっぱなしにしていたとする。

すると私が少しその場を離れている隙にティンクはその色鉛筆を玩具にして囓りボロボロにするのだ。

大人になった今なら出しっぱなしにしていた私が悪いと考えられる。

しかし当時まだ小学生だった私にはそれが我慢できず、ティンクに怒りをぶつけた。

「ティンちゃんどうしてこんなボロボロにするの?」

「ワン!!(そこに置いてたお前が悪いんじゃ!)」

「ここに置いてても噛まないでよ!見てよボロボロじゃん!」

「ワン!!!(知るかボケェ!自分がそこに置いたんやろがぃ!)」

「酷いよ!これじゃあ宿題出来ないよ!どうするの?」

「ワン!!!(んなこたぁ知るか!無い頭で考えろや!)」

「なんでそんな酷いこと言うの?なんでそんな事言うの?」

「ワン!!!(せやから最初からお前がそこに置かんかったら良っかたやん!何泣いてんねんアホが!)」

「うわーん!お母さん!ティンちゃんが虐めるー(大泣き)」

という喧嘩が繰り返された。

また他にも二人で仲良くロープの玩具で遊んでいるときも、最初は楽しく引っ張り合いをするのだが途中から本気で取り合いになる。

「ティンちゃんはーなーしーてー!!」

「ヴゥーーーガウガウ」(ロープを噛んでいるせいで唸り声しか出せない)

「ねぇ、ロープ貸して一回離して!」

と無理矢理ロープを取り上げた時はティンクは私の顔面に突進してくる

「痛い!なんでバンってするの!なんで?貸してって言っただけなのにどうしてそんなことするの?」

「ワン!!!(お前が取り上げたからやろが!)」

「なんで!今貸してってずっとお願いしてたじゃん!」

「ワン!!!(知るか!ボケェ!力ずくで取り上げんなやゴラァ)」

「なんでそんな言葉使いするの?」

「ワン!!!」と吠えながら私の手や腕をカジカジと噛む。

「痛い!噛まないで!お母さんティンちゃんが噛んだぁ。ロープ貸してって言うただけなのに怒って暴言言うのー。しかもあちこち噛むの」

「ワン!!!(ぬぁに母ちゃんにチクっとんじゃガキが!チクるな!)」

「だって、ティンちゃんが最初に怒ってきたんでしょ?私貸してって言っただけだもん」

「ワン!!!(力ずくで取り上げたのはお前やろが!)」

とこんな風に言い合いが毎日行われた。

祖父母も含め母も何でそんなに犬と本気で喧嘩をするのかと言わんばかりに呆れ、八割以上は私が怒られ、本気で悔しくて部屋の隅で泣いた。

そんな日々が続き、私は中学生2年生になった。

喧嘩は相変わらずしていた。散歩に行くときにも私は左に行きたい、でもティンクは右に行きたいと両者の行きたい場所が違く外で喧嘩をする事はしばしばあった。

その時は外であっても関係なく喧嘩をした。

「ティンちゃん左!もうお家帰るの!」

「ワン!!!(まだ行かなあかん所があるんや!黙って着いてきたらええねん!)」

「違う!もうお家に帰るの!そっちもう行かない!」

「ワン!!!(何言うてんねん!まだ散歩一時間しかしてないやろ!他にも行かなあかんところがあるんや!もうお姉ちゃんに黙って着いてきなさい!)」

「ダーメ!もう帰るの!一時間だよ?たっぷりもう遊んだでしょ?帰ろうよ。お腹空いたもう帰ろう!」

「ワン!!!(まだこんなに明るいねんから夕飯までまだもう少し時間あるやろが!甘ったれんな!ほら行くで!)」

とティンクが満足するまで散歩が続くのだった。

こんな喧嘩はやはり声が大きいのもあるからなのか公園内の散歩コースで会う人会う人にはいつの間にか知られていて、今日はどっちが勝つのかと噂をされるようになった。

時にはティンクが勝つ。すると少し離れた所から

「今日は犬の勝ちだぞー!」

と公園の道で集まる高齢者のグループが盛り上がり、時には私が勝ちティンクを強制的に抱っこして家に連れて帰ろうとすると

「あぁーー!今日は強制送還だー!」

と笑いが起こるのである。

私達の存在は散歩コースでは少し有名になっていた。

私とティンクが通れば

「あの犬本当にでかいな!」

という声と共に私達の喧嘩がいつ起こるのか楽しみにしているのだ。

そんな私は少しずつ散歩の時間が減った。

学校が忙しくなったのもあるが、中学2年の5月頃から虐めを受けるようになった。

始まりは虐めの主犯の水木さんの勘違いから始まった。

私の友人の爽が同じクラスの喜納くんと付き合いだしたのが始まりだった。

喜納くんの元カノが水木さんで、水木さんはまだ喜納くんの事が別れてもなお好きだったのだ。

私はその日は委員会の集まりの帰りだった。

同じクラスのあかりと途中まで一緒に帰ろうと約束をしていて、私の方が先に委員会の集まりが終わってしまったのもあって教室の前であかりを待っていた。

そこに爽が委員会が終わり、喜納と一緒に帰るために教室の前に来た。

私達はそれぞれ待っている人が分かると委員会終わるのが遅いねと二人でそれぞれの待ち人を待った。

暫くして喜納が来た。

私に気が付くと

「伝田さんも誰か待ってるの?」

「うん。あかりを待ってるの。」

「そしたらあかりが来るまで俺達ももう少し待とうよ。」

「え?良いの?私一人で全然待てるから帰りな?」

「爽、今日急がないといけない用事ある?無いなら一緒に待ってあげよう。一人は寂しいし。」

爽はそんな私達の会話を聞きながら笑顔で

「うん!一緒に待とう!あかりもすぐに来るよ。」

と言ってくれた。

内心少しホッとした。何故なら放課後の学校はいつもの騒がしさが無くどこか違う場所に来たように思える程昼間とは全く違う建物、空間に感じるからだ。

二人には申し訳ないが一緒に居てくれるという心優しい言葉はとても嬉しかった。

あかりを待って暫くすると、喜納が私達の教室の中に誰かが居ることに気が付きその人達の行動に注目し始めた。

私は喜納が何かに気が付いたのは分かったが、何に気が付いたのか何にそんなに集中しているのか分からなかった。しかし、それを聞く暇も無く喜納が教室の中にドカドカと足音を立てて入っていった。

喜納は170後半くらいに大きく全体的にがたいが良いため、少しの行動も160センチの私でさえも巨人を思わせる程大きく感じられた。

教室に入っていく喜納の後ろ姿を見ながら私と爽は何が起きたのかと二人で寄り添いながら教室を恐る恐る見た。

すると喜納は二人の生徒に怒鳴り声を挙げていた。

一人は南雲くんという別クラスの子で、もう一人は水木さんだった。

二人の背中に隠れている黒板には白いチョークで

「私、石田爽は男好きです!男募集してまーす!ケー番は○○です!電話待ってまーす!」

と大きく黒板の真ん中に書かれていた。

私は現状に着いていけず教室の入り口で立ち尽くし、爽はその文字を見て泣いていた。

喜納は二人に今すぐ文字を消すように言うと水田さんは急いで黒板消しで文字を消すと南雲と一緒に教室から出て行った。

出て行くときに私は水木さんと目が合った気がした。

何故か睨まれた気がしたが、こんな状況に生まれて初めて遭遇し虐めを題材にしたドラマのワンシーンのような出来事にどんな反応をして良いのかもどんな行動を取ることが正解なのかも分からずただ呆然としていた。

どれくらいの時間が経過したのか、あかりが教室に来て私と爽に話しかけてきた事によって私達は現実に意識が戻った。

爽はまだ涙を流し、喜納は少しまだ怒りの感情が収まらないのか少し苛立った表情で先に帰った。

私は起きた出来事をあかりに話した。

あかりはその話を聞いて「こわっ」と小さく呟くと私達も早く帰ろうと言った。

私達は下駄箱に急いで向かうとそこに水木さんと南雲がいた。

待ち伏せされていたのだ。

私の姿を見ると南雲が

「お前、喜納にチクっただろう!」

「何言ってんの?」

「お前しかいねーんだよ。あの時お前がチクったんだろーが!死ねよ!」

「何で私が喜納に言わなくちゃいけないのよ!」

「死ねよ!お前!ぜってぇ許さねーから!」

と言うと二人は何処かに行ってしまった。私は意味が分からない言いがかりにイライラしながらも下駄箱から靴を出して履き替えた。

あかりと二人で今起きたことに対して何が起きたのかと話しながら正門に出ると、そこには水木さんの他にバレー部の子達が居た。

バレー部の子達との関係は私が中学1年の秋頃まで私はバレー部に所属しており、そこで殴られたりするという虐めを受けたことがきっかけで部活を辞めた経験があり、その頃には虐めをした事を部活のかつての仲間達は認め謝罪してくれていた。しかし、心の中ではまた何かをされるのでは無いかと思い、私生活ではなるべく関わらないようにしていた。

しかし、今正門の所には水木さんとバレー部の派手な子達が腕組みをしながら私達の、いや私の事を集団で睨んで待っていた。

その集団は異様な雰囲気で誰一人話すこと無く、私の行動をジッと睨み付けていたのである。

そんな所を通るのは凄く怖く、また1年の時に味わったみたいに殴られたりされたらどうしようかと思うと足が進まなかった。

あかりもその異様な光景を見て言葉を失っていた。

私が

「あかり、ごめん。落合先生の所に行きたい。助けを求めよう。」

と震える声で伝えると、あかりもすぐに同意してくれた。

今正門を通ることは正解では無いと二人の考えが意見が一致したのだ。

そして私達は急いで職員室に走って行った。靴を急いで脱ぎ両手に片方ずつ持って廊下を走って職員室に向かった。

職員室には沢山の先生が居た。その中で私は必死に担任の先生である落合先生を探した。

落合先生は50代半ばくらいの女性の先生で担当の教科は国語、沖縄出身の先生で怒ると時々方言が出る先生だった。

落合先生を見つけ先生に声を掛けた時私は緊張の糸がプツンと切れたかのように涙が溢れて止まらず、その場に蹲ってしまった。

落合先生とあかりはそんな私の姿を見て驚き、落合先生はどうしたの?と何度も聞きながら私の背中を擦った。

私は涙を流した事によって呼吸が乱れながらも今あった出来事を話した。

先生は出来事の触りを聞き、詳しく聞くために職員室の近くにあった空き教室に私達と一緒に移動した。

空き教室は普通の授業で使う教室とは違って長方形の長い机にパイプ椅子が四つ横並びに置いてあり机はそれぞれ向かい合うようにして四角形に置かれていた。

そのパイプ椅子にあかりと共に座り、落合先生に私達は今あった出来事についてと何故水木さんがこんな行動を取ったのかについてを話した。

落合先生はその話を聞きながらメモを取っていた。

そして職員室に来たまでの理由を話すと落合先生は私達に

「怖い思いをしたね。大変だったね。」

と労いの言葉をくれた。

私はその言葉を聞いてまたホッとしたのか涙が止まらなかった。

泣き続ける私の背中を落合先生は傍に来てくれて擦ってくれた。

暫く落ち着くまでそうした後に落合先生と共に正門に一緒に行った。

さっきまで居た水木さんとバレー部の子達の姿は無く、それにまたホッとし落合先生も安心したのか気をつけて帰るようにと言い、私達を見送ってくれた。

私とあかりは帰り道にそれぞれ怖かったねと言いながらそれぞれ帰宅した。

帰宅してからティンクは私の異変に一目散に気が付いた。

私が涙の後が頬についていたのかティンクは帰ってきた私の頬を舐め回しながら

「どないしたんや!大丈夫か?」

と言わんばかりに飛びつき、家族にも

「ワンワン!!!(この子に何かあったで!いつもの帰ってくる時と表情が違うで!母ちゃん!ジジババはよ来てやって!見てあげて!)」

と吠えては皆を玄関で靴を脱ぎながらまだ、泣いた後のボーとした頭で家に無事に帰ってきたことを実感している私の元に集めてきた。

母と祖母は私の泣いた後の顔に気が付きすぐに何があったのか聞いてきた。

私はリビングに向かいながら今日あった出来事を話した。

制服を部屋着に着替えながら、手洗いうがいをしながらも話す私に母と祖母は一生懸命聞いてくれて落合先生が対応してくれたのだったら大丈夫だろうと判断し、私が帰宅してから吠え続けるティンクにもう大丈夫だよと何度も慰めた。

ティンクは暫く私の傍に離れず、「私が居るから大丈夫やで」と何度も頬を舐めてくれた。

私はティンクに鼻をくっつけながら

「ティンちゃん、ティンちゃんだけはずっと一緒に居てね。ずっと傍に居てね。」

と言った。ティンクはただ私の頬を舐め続けた。

その次の日から私は警察をも巻き込む大きな虐めを経験した。

次の日私はいつものように登校した。

いつもと同じ時間に家を出ていつものように学校に向かう途中で水木さんと清久さんが待ち伏せをしていたのか、よく分からないがいつも居ない二人が何故か登下校の道に立っていたのだ。

そして私の姿を見ると二人して睨み付けて来て私が通り過ぎる頃に

「死ね!」

と大声で水木さんが叫んだ。

私は何事かと思い振り返ったが二人は会話をするのでは無く、私の事を睨み続けてきた。

私は意味が分からなく、ただその時は聞き間違いか空耳だろうと思っていた。

しかし、そこから水木さんの過激な行動がエスカレートした。

私が教室に居ると必ず教室のドアを思いっきり開けて大声で私に向かって

「死ね!伝田死ね!」

と言ってきた。

クラス中が私に注目する。私は突然の出来事に固まった。

何で朝から暴言を言われないといけないのかと考えても分からない。

そして廊下で水木さん、清久さん、バレー部の子達にすれ違うと死ねはもちろんの事消えろ等と言われることが多くなった。

私は意味が分からず、家に帰ってから母に相談した。

母は虐めじゃないかと判断し、早めに対策をした方が良いだろうとの事で落合先生に電話をしてくれた。

落合先生は以前に起きた出来事を聞いてくれていたのもあって話を理解してくれることに時間は掛からなかった。

落合先生は他の先生にも伝え水木さんを含めて他の生徒達がそういう暴言を含めて行動をしていないのか注目してくれると言ってくれた。

私は母伝えで落合先生の言葉を聞いて早く今の状況が終わると信じていた。

しかし、まだこの時の嫌がらせは序章にすぎなかったのだ。

その日から水田さんと清久さんの待ち伏せはもちろんの事他に人が居ようが関係無しに朝から死ねと暴言を吐かれることは毎日で、とうとう二週間も過ぎないうちに先生達に私と爽と喜納の三人が呼び出されて話を聞かされることになった。

私は、落合先生の他に中川先生、川島先生とそれぞれ清久さん水木さんの担任の先生である二人に落合先生に話したこと全てと話した後に起きた出来事を全て話した。

爽は、私がされてきた他にもブログに自分の悪口が書かれていることを話した。

そのブログはパスワードが掛かっており、誰もが見れる状況では無かった。

しかし、喜納は水木から教えられていたらしくパスワードは知っていた。

それを二人は放課後などを含めて読んでいたらしい。

私はその話を聞いてとても不安になった。私の事が書かれているのでは無いかと思ったからである。それは落合先生も同じ事を思ったらしく爽達に伝田さんについて書かれていないのかと尋ねた。

すると爽は少し気まずそうにして

「多分百合香の事だと思う事が書かれていた。死ねって書かれていた。」

と言い出した。

私は目眩がした。朝からの嫌がらせの他にも私は攻撃を受けていたのだ。

それを先生三人は確認した後に先生達だけで話し合うという事で家に帰させられた。

私は家に帰ってからすぐに爽に連絡を取り、水木さんのブログのURLを送って貰った。

パスワードも一緒に送って貰い私は水木さんのブログを見た。

そこには呟きが出来るページに飛べるリンクが張ってあり、私はそこをクリックするとそこには朝から晩までの時間にビッシリ書いたのだろう、私だと思える人物と爽に対する悪口が書かれていた。

死ねとか消えろの他にもあいつ今日廊下すれ違った時マジで殺そうかと思った等書かれていた。私は母が仕事から帰ってきた後にその話をした。

母は驚きパソコンからそのページにアクセスしたり、爽のお母さん、喜納のお母さんに電話したりして現状何が起きてどこまで他二人は把握しているのかを確認していた。

私はそんな母の姿を見ながら私の部屋の端っこでひっくり返って寝ているティンクの顔におでこをくっつけながら今日あった話と明日から怖いよと話した。

ティンクは黙ってその話を聞いていた。


次の日から水木さんの嫌がらせはエスカレートした。

そして先生達との話し合いもほぼ毎日に変わりとうとう親が学校に来ることになった。

理由は水木さんがブログで私に対して名指しで殺し方を書いたのだ。

「まず最初に顔をボコボコに殴る、そんで思いっきり後頭部にコンクリートのブロックで何回も殴って血だらけにしてやる。そんで、指は一本一本反対側に折ってやって爪も一枚一枚剥がしてやる。そんで残りは足。勿論膝の皿は剥がす。そんで足の爪も剥がして血だらけになった所を指を折ってやる。まじで殺してー毎日伝田の顔を見る度に殺したくてたまんねー」

と書いてあったのだ。私の母も流石にこんな事を書かれて黙ってられなかった。

また爽に関しては住所、名前、電話番号が書かれていたり、机の中にあったルーズリーフや物が無くなって居たりしたらしい。

確証は無いが今の状況で物を盗んでゴミ箱に捨てたりする行為をしそうな人物は水田さんの他に居なかった。

そして私を含めそれぞれの保護者を含めた六人と中川先生、落合先生、川島先生は話し合いを始めた。

水木さんの親御さんに今回の話し合いに参加するように電話で話しても

「子供達の事に何で親が入らないといけないんですか?子供同士の事でしょう?」

と言って今回の話し合いに出席しなかった。

私達は毎日行われる嫌がらせや恐怖について先生に訴えた。

落合先生は私達に対して全力で味方になってくれてこの事は余りにも普通の虐めでは無いことまた、水木さんの持ち物に先日持ち物検査をしたところカッターナイフが入っていたことを含めて危険すぎるという事を考慮して校長先生にも伝えるべきだと話しをした。

中川先生と川島先生は何かお互いモゴモゴ言いながらも水木さんと清久さんのお母さんに必ず伝えこれ以上の行動を止めさせるように伝えると言ってくれた。

そしてその日はお開きとなった。

私達は先生がここまで動いてくれるならもう大丈夫だろうと水田さんのお母さんの態度は気になるが大丈夫だろう。もう虐めは終わるだろうと思い久しぶりに爽と私は笑顔で話した。


しかし、その日を境にしても虐めはどんどんエスカレートするだけだった。

毎日の死ね!という暴言は当たり前に行われ、すれ違う度にも言われた。

そして帰宅後にブログを読むとそこにはビッシリと私に対する悪口や殺し方が書かれていた。そして水田さんのブログだけでは無く、バレー部のブログの呟きにも少しずつ私への悪口が書かれるようになった。

母親が学校に呼び出されて行った日には

「あの女の母親学校に来てんだけど、マジで親子揃ってうざっ」

「てか、マジで伝田死ねよ。あいつが学校に来ると思うだけで吐き気しかしねー」

「あいつ自殺してくんねーかな。自殺しても誰も何とも思わねーから」

と書かれる日が多くなり私は食欲不振になり、160センチにして39キロまで体重が落ちた。

それでも私は毎日学校には行った。家に居ても良いよと家族は言ってくれたが、家に居る方が何をブログに書かれるのかまた学校の持ち物に何をされるのかと思ったら怖くて立ち止まれなかった。

そんな私の変化にティンクはもちろん気が付いていた。

仕事から帰ってくる母の様子が変なのも、家の中が今荒れていることも私が毎日帰ってきては泣き、夕飯もそこそこに食べずに痩せていっている事も分かっていた。

ティンクは静かにずっと傍に居てくれて1人じゃ無いよと何度も言ってくれていたのだ。しかし、自分の事で頭がいっぱいだった私はティンクのメッセージに気付けずにいた。


ある日私が下校しようと正門に向かっていると仕事が休みだった母がティンクと一緒に迎えに来てくれた。私の姿を見たティンクは前足を上げて歓迎の喜びを全身で表した。

私は凄く嬉しくて走ってティンクと母のところに行った。

ティンクは私の膝に両手をタッチして全力の笑顔でおかえりをしてくれた。

私は嬉しくてティンクの頭を撫でた。

それから毎日母が仕事の日は祖父がティンクを連れて毎日正門に迎えに来てくれた。

ティンクは同じ制服を着ている人達の中で私を見つけるとリードを引きちぎるのでは無いかと思うほどおかえりの歓迎の舞をしてくれた。

私はティンクが迎えに来てくれる度に教室から正門までの道が怖くなくなった。

それから暫くしてまた先生達に呼び出された。

現状が何も変化が無く、ブログに呟く悪口も含めて良くなっていないからである。

母はたまたま仕事で参加できなかった為祖母が代わりに参加してくれた。

その話し合いは今でも一生忘れない酷い内容だった。

現状を報告し合い、それぞれ虐めが始まった日から酷くなっていることも含めて水田さんと清久さん、今では私に関してはバレー部の子達もブログに私の悪口を書いていること、また廊下でバレー部の子達とすれ違うと必ず「死ね」と言われることを伝えた。

すると川島先生が

「死ねって今の若い子達は挨拶みたいなものだから気にするな」

と言ってきた。

私は何を言っているのだと怒りで涙が止まらなかった。

あれだけ毎日言われてこんなに体重も減って毎日授業中も含めて怖い思いもして、すれ違う度に水木さんにカッターナイフで刺されるのでは無いかと恐怖に思っている気持ちは挨拶程度だと言うのか?

何を言っているんだと私は目から涙を流しながら中川先生と川島先生を睨み付けた。

落合先生は

「何を言っているんですか!死ねと言われて平気な人など居るわけ無いでしょう。そしてなんで前回の話し合いから何も進歩していないんですか!中川先生と川島先生は本当に清久さん水木さんのご両親にお話しされたのですか?」

と顔を真っ赤にして怒りを中川先生と川島先生にぶつけた。

その話を聞いて中川先生と川島先生はさっきまでの表情とは一変し二人とも俯いたのだ。

「まさか、水木さんと清久さんに伝えたと私達に話しておきながらまだ話していなかったのですか?それで先程の発言ですか?」

と落合先生が言うと中川先生は俯きながら

「校長先生に止められているんです。」

と話した。

落合先生もその発言にポカンとして呆れた顔をして

「何故そこに校長先生がそんな発言をするのですか?校長先生が清久さんと水木さんのご両親に今回の出来事についてお子さん達の行動を止めるように伝えて貰うことに何故反対するのですか?」

と言うとモゴモゴと何を言っているのか分からない言葉を発した。

祖母は堪忍袋の緒がキレたのか普段そこまで怒らない祖母が顔を真っ赤にして

「先生達は死ねや殺す等の発言が挨拶なのでしょうか。貴方たちはこの状況を含めて何も思わないのでしょうか。それでも教育者なのですか?子供達に何を毎日教えているのですか!!」

と怒鳴り声をあげた。

私はそんな祖母の姿を涙を流しながら見ていた。

中川先生と川島先生は祖母に圧倒されたのか黙っていた。

ただそこでこちら側も黙っていられなかった。

「先生、本当に死ねとか殺すとかカッターナイフを持ち歩いていつ刺されるかもしれない状況は挨拶程度なのでしょうか。私はなんでこんなに苦しいのでしょうか。」

と伝えた。それが精一杯だったのだ。何度も裏切られた。

私はもう何度も虐めはもう終わると思っていた。

それでも何も行動を先生達は何もしてくれなかったのだ。

極めつけは私が我慢するように言い出したのだ。

私の発言に二人の表情は完全に固まっており、爽のお母さんや喜納のお母さんも同じように信用していたのに何をしていたのかと二人を責めた。

中川先生と川島先生は話し合いの最後の方にはもう一度校長先生にお話ししますと言うだけで、情けない姿だった。

いつも私達生徒の前で教育について学問について語る姿は何処にも無かった。


私と祖母は仕事から帰ってきた母に出来事を話した。

母は怒り心頭に話を聞いた。そして教育委員会に電話をしたのだ。

「先生が動かないのであればこちらが動くまで」

そう言って警察の生活安全課の伊藤さんと教育委員会に電話をした。

生活安全課の伊藤さんはこの話を聞いてとても激怒していた。

今回の出来事は見逃すことが出来ないという事、事件性の可能性がありながらも放置している学校側に対して怒りの感情を持ちすぐに学校側と話す事を約束してくれた。

また教育委員会も同じだった。

しかし、生活安全課の伊藤さんとは違いなかなか腰を上げずあまり大事にしたくないという態度だったが、こちらがもう警察に相談をしている事を話すと仕方ないという感じで学校に視察する事を約束してくれた。

母は警察の伊藤さんのアドバイスを元にブログをコピーすることにした。何かあった際にはこれを物的証拠として利用するようにと。

ただ、パスワードが掛かっているのでちゃんとした証拠になるかと言われると厳しいが何かしら相手側が手を出した際には利用できる可能性もあると言われた。

教育委員会と警察から連絡、視察を受けた学校側は私に対して怒りの言葉をぶつけるようになった。

特に校長先生の宮澤先生である。後1年で定年退職というのもあって虐めなどの問題を起こしたくなったのだろう。虐めが起きているのは伝田のせいだと中川先生と川島先生、また落合先生に言うようになった。

職員室で

「あの伝田の母親が警察と教育委員会に訴えたのだ!あの親子は何してくれているのだ!!!」

と叫びあちらこちらに怒鳴り声をあげた事を落合先生から私は聞いた。

そして私の母親を電話で呼び出し、母は警察の伊藤さんにアドバイスを貰ってコピーをした私への中傷的な言葉達を纏めて持っていくと、宮澤校長先生は母親の前でその資料をゴミ箱に捨てたのだ。

そして何をするんですか?!と怒る母と落合先生を横目に

「伝田さんの所は母子家庭みたいですね。あーだからあんな娘さんが育ち、お母さんもヒステリックになられるのですね。」

と言い放ったのだ。

その発言に母は涙が止まらなかった。落合先生はゴミ箱に捨てられた資料を拾い宮澤校長先生の前に音を立てて置き

「今の発言はあまりにも失礼すぎます!撤回してください!」

と言ったのだ。

母と落合先生が怒る姿を見ながらも宮澤校長先生は頑なに私が全て悪いと認めろと何度も言ってきた。

私は授業が終わった後たまたま落合先生に会った。

その時には母は帰宅していた。

落合先生は今母が来たこと、また校長先生に母が侮辱された事を伝えてきた。

私はどんなに私に対して言われようと我慢は出来た。

水木さん、清久さん、バレー部の子達が私に対して何を言おうとも怖くても耐えた。中川先生と川島先生が私達を裏切ったり「死ねは挨拶なのだ」という言葉も私は耐えた。

そして最近ではクラスの女子達が言い返すように水木さん達に言い返すように怒ってきても、落合先生含め警察の伊藤さんが言い返さないことその事で本当に刺されるかもしれない事を考えたら我慢して耐えて欲しいと言われているのでクラスの女子達にはそれは伝えずに居ても耐えた。

それをひっくり返しても母を侮辱した宮澤校長先生については絶対に許せなかった。

私は落合先生を追い抜かし校長室に入ろうとした。

「殺してやる」

その気持ち一つで宮澤校長先生の部屋に入って宮澤校長先生の首を絞め殺してやろうかと思った。よくも私の母を侮辱したなと母を泣かせたことが一番許せなかった。

私の事は構わない。しかし、女手一つで私を引き取り社会経験が無い母が一生懸命学費を稼ぐのに働き仕事から帰ってきては私の虐めの事について調べてくれたり動いてくれる様子を見ている。迷惑を掛けて本当に申し訳ないと私は毎日母に思っているのに宮澤校長先生は何をしてくれたのだと思うと心から頭の先まで真っ黒くて血のような赤黒い感情が私の身体を支配した。

私の尋常なら無い姿に落合先生は必死に私を止めた。

「伝田さん落ち着いて。」

と止める声が遠くから聞こえる。それでも私のどこから出てくるのか分からない地鳴りのような声が廊下に響き渡った。

職員室からは他の先生も出て来て私を必死に止めた。

私は何度も喉が潰れるほどに叫んだ

「あの野郎、ぶっ殺してやる!出てこい!クソ野郎が!よくも私の母を泣かせたな!隠れてないで出てこい!今すぐテメーの首をへし折ってやる!」

と。

それから私の母は離婚以降連絡をしていなかった私の父に電話をした。

私の父は話を素直に聞いてくれたのだ。話を詳しく聞くために家に一度来ないかと言ってきた。私は小学校3年生以来に私が生まれて育った家に行くことになった。

小学校3年だった頃と中学2年になった頃とは家の印象は少し違った。

どこか空気の流れがあり何か見えない物が動いているような少し不気味に私は感じた。

そして私は久しぶりに父方の祖母と父に会ったのだ。

久しぶりに訪ねると祖母はとても喜んでいた。

最初は普段私が何をしているのかとかを聞いてきた。

父は中学生になった私を見て大きくなったな~と言った。

そして暫く世間話をしてから、今回の事について私から話を切り出したのだ。

離婚した当時、転校した当時は憎くてたまらなかった当時と比較しても宮澤校長先生と中川先生と川島先生に対する憎しみと水木さん、清久さん、バレー部の子達への虐めについて対応の方が何倍も気持ちが強く、この為なら父に頭を下げても良いと思った。

父は黙って話を聞いた後に

「爽さんと喜納くんに対しては学校はちゃんと対応しているのは父親が出てきたからなんだな。そうか。学校の先生からは二人は謝罪を受け百合香は逆に虐めの原因にされたんだな。」

と冷静に語った。

「百合香、お父さんから一つアドバイスがある。それは水田さん達からの暴言や何かをされた時の為にボイスレコーダーを持っておきなさい。そうすればもしそこに音声が入っていたら水木さん達に対して、宮澤校長先生や他の先生達にもその証拠を出せば何も言えなくなるよ。いいか、ペンタイプのボイスレコーダーでも良い。お父さんも仕事で何か契約や営業するときには使用しているんだ。言った言わないの世界は大変だからな。だから、必ず持ち歩きなさい。そして録音できたときにはお母さんに言いなさい。そしてお母さんはそれを必ず落合先生に渡しなさい。落合先生は唯一守ってくれる先生なんだろ?ならば大丈夫だ。何かあったときに必ず味方になってくれる。それにお父さんも今回宮澤校長先生と直接話をしよう。そうすればきっとこれ以上の事は起きない。」

そう言ったのだ。

少し悔しかった。あれだけ自分勝手にして私達の事を捨てた父に頭を下げなくてはいけない程、片親には発言権が無いのかと。

世の中の片親に対する偏見は多いに間違っていると私は父の話を聞きながらそう思った。

父親が出ないと私は一生悪者なのか。虐めが無くならないなんて変だと。

どちらが虐めている側でどちらが虐められている側なのかそれくらい一目瞭然なのにそれを大人達は片親だからと言う理由で非難するなんてなんてふざけた世の中なのだと思わずにはいられなかった。


それから事は早かった。

私が授業中に父と母が宮澤校長先生と中川先生と川島先生に会いに来たのだ。

私は全く予定を知らなかったが父が宮澤校長先生にアポを取って予定を組んだらしい。

宮澤校長先生は父が来たことに対してとても怯えていたらしい。

それは今まで散々母の事を貶していたからだ。

それが両親揃って出てきたものだからいつも母に対して偉そうに怒鳴り声をあげていた姿は何処にも無く父が話の流れを作り時々先生達にこの事に間違いはありませんよね?と聞くという形で話し合いが行われた。

ただ、父はやっぱり父だった。

途中から宮澤校長先生が死ねとかそういう言葉で落ち込み警察や教育委員会を巻き込む程なのかと言ったとき父は

「確かにそこまで大事にしなくても良かったかもしれませんね。」

と言ったらしい。

父にどうしてここまで話が大きくなったのか説明したはずなのだが理解が出来ていなかったのか、宮澤校長先生の話にただ男として乗っかったのか分からないがその言葉は今まで憎んできた父の姿を改めて思い出させた。

そして母に対して宮澤校長先生以外は謝罪をしてきた。

宮澤校長先生は最後まで頑なに非を認めなかった。

ただもうどうでも良かった。父の姿を見て静かになり少しでも恐怖を感じたのであれば私はどうでも良かった。

あれほど憎み殺してやろうかと思ったが後1年で定年退職だ。

いつかはこの話をどこかで書いて復讐すれば良いと思い私は宮澤校長先生に対する憎しみを水に流すことにした。

その後、水木さん、清久さん、バレー部の子達に対して落合先生の元話し合いが行われた。

水木さんは私をターゲットにしたのは羨ましかったという理由からだった。

何が羨ましいのか未だに分からないが彼女の中で私に対して何か思うところがあったのだろう。

清久さんはただ水木さんの取り巻きにすぎず、特に水木さんが何もしないなら私もしないと約束をしてくれた。

バレー部の子達に関しては何を水木さんから聞いたのかという話しか聞けず、特に収穫は無かったと落合先生から電話で母に話した。

私はその次の日に学校に行くと水木さんはいつも通りに私のクラスのドアを開いて

「死ね!!!」

と言ってきた。

私は落合先生に話してもなおまだしてくるのかと思ったその時に同じクラスの江沢君が

「てめーが死ねよ!デブ!」

と言い返したのだ。

水木さんが私が言い返したのだと思ったのかまた教室に戻ってきて

「テメーの方がデブだろうが!!!死ね!!」

と言い返してきた。

しかしこちらも負けておらず

「デブはテメーだろ!」

と言ったのだ。私は何が起きたのかと思った。

今まで黙っていたクラスメイトが私の代わりに言い返してくれたのだ。

私は江沢君にありがとうと言うと

「何が?あのデブ毎日マジで死ね死ね言ってきてウザいと思ったから言い返しただけだよ。」

と何でも無いかのようにして言ってくれたのだ。

私は私が今まで耐えていた姿を見てくれた人が居たことに深く感謝した。

そしてそこから大変だった。

水木さんがバレー部の千春と大喧嘩したのだ。

千春は私がバレー部の時に仲が良かった。

でも水木さんの今回の出来事に何を吹き込まれたのか分からないが、千春は他のバレー部の子達に私が水木さんにした事について話をしていたらしい。

しかし、朝江沢君に言い換えされたからなのかそれとも先生から注意を受けたからなのか分からないが女子トイレで同じクラスの子に

「あぁ、伝田マジでウザい。あいつの事もっと虐めねーと気が済まねー。千春に何今度言おうかな。あいつ馬鹿だから私が伝田にやられたっていう嘘の話を信じてバレー部とか他の子達に言ってくれるから助かるんだよね。」

と話して居たところを女子トイレの個室の中に居た千春が耳にして大喧嘩になったらしい。

その噂はクラスメイトの男子達が大騒ぎをして教室に入ってきたので知った。

最初は何事かと思っていたら

「やべーよ。あいつら伝田の事で嘘の情報を千春に言ってそれをバレー部に流させたとかで今女子トイレで殴りあいしてんぞ。」

そう言いながら興奮しながら話す男子達にそれを見に行く生徒まで居た。

私は昨日までとは180度変わっていく出来事に対して受け入れるのに時間が掛かった。

それほどまでに物事が変わったのである。

それから暫く日にちが経過し、千春が私の所に来た。

それは謝罪だった。

「水木の言うことを100%信じて百合香の事を信じなくてごめん。普通に考えたら百合香が人をハメるなんてあり無いよね。本当にごめん。謝っても許されることじゃないのは分かってる。でもバレー部の私が話を広めた子達にはもう訂正しといたし、百合香にもう言わないように伝えたから。それだけ言いたかったの。」

と言ってきた。

私はかつて部活の仲間として友人として過ごした日を思い出しながら聞いていた。千春は良くも悪くも仲間思いなのだ。そこが彼女の長所なのだ。私はそんな千春が大好きだったから1年生の時に一緒に居たのだと思った。

「謝ってくれてありがとう。もう大丈夫だよ。千春、無理しちゃ駄目だよ。私の事を気にしすぎくちゃ駄目だよ。ちゃんと仲直りしてね。」

と伝えた。千春は気まずそうに笑うと教室に戻っていった。

それから暫くは水木さんからの虐めが止まった。そして噂では水木さんが逆に女子達から虐めを受けていることを知った。

私の虐めがやっと終わったのだと思いいつ刺されるかもしれないという気持ちが、張り詰めた気持ちが一気に抜けた。

その日の正門にはティンクと祖父が私の帰りを待っていた。

私の姿を見つけてワン!!!と鳴くティンクの元に私は走って駆け寄った。

それから2ヶ月後水木さんはあかりにターゲットを変えて虐めをしようとしたが、あかりは強く水木さんが何か言ってくる度に倍に言い返していた。

私も一緒に行動していたが、あかりに言い換えされて豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした水田さんの顔は可笑しくて仕方なかった。

まだこのクラスに執着しているのかと皆が思っていたが深刻には思っていなかった。

もう水木さんが何かをして来ても私は何も思わなくなっていた。

下校するときはティンクと祖父が迎えに来てくれるし、朝も最近は少しずつ減ってきたがそれまでは水木さんと清久さんから何か言われないかと心配して毎日学校に一緒に祖父母がそれぞれ交代で来てくれていたのだ。

今はクラスメイトの女子達と一緒に学校に行ったりすることが出来て私は前向きに気持ちが変わっていった。

そんな日々を過ごし、合唱コンクールの日が近づいてきた。

私達のクラスは最初は男子達が声変わりも含めて恥ずかしかったのか真面目に練習する子が少なく女子達にしっかり練習をするように怒られるという合唱コンクールの練習の時にあるあるの出来事が練習をする度に行われていた。

ただ、途中から男子達も必死に練習をするようになり皆で必ず最優秀賞を取ろうと約束をした。

本番はとても緊張をした。私の学校は二日間合唱コンクールが行われた。

一日目はStepというサークルのような毎週水曜日に音楽室で行われる合唱グループで土日には老人ホームに行ったりしてはお爺さん、お婆さんと一緒に歌や楽器を演奏したり、地域の音楽活動に参加したりする少しボランティア活動をするグループに私は友人の紹介で夏頃から所属していた。

歌は楽しく、合唱コンクールではミュージカルをするのだ。

今年はメリーポピンズで私は煙突掃除屋の役だった。

私服を衣装にして着替えて歌や台詞を全学年の前で行うのはとても緊張していたが私は必死に練習通りに何とかこなす事が出来た。

クラスメイトも含めて友人達には好評だった。

とても上手だったと落合先生含めて他の保護者の人達にも褒められたときにとても嬉しかった。

二日目はいよいよ本番の合唱コンクールクラス対抗。

私達はとにかく緊張していた。

次々と1年生から始まる発表に少しずつ近づいてくる順番に全員が緊張していた。

そして2年生の番になり私達より先に組が歌う。

どのクラスも上手だった。皆この日の為に練習を本気で頑張ってきたことが分かった。

私は緊張で掌が手汗でいっぱいになった。

とうとう私達のクラスの番が来た。

端から順に舞台に上がっていく。全員の顔が緊張の色で染まっていた。

私も皆に連れられて余計に緊張する。

指揮者の子とピアノの子が準備をする。その間に私達は指揮者が見えやすいように立ち位置を少し動いたり足を揃え両手を指先まで真っ直ぐになるようにして身体の横に持っていき何度も呼吸を整えた。

そして指揮者の子が構える。私達は一斉に左足を肩幅くらいの広さに広げて歌う姿勢を整えた。

指揮者の子が腕を振るう。そのタイミングでピアノの音がする。

音楽がいつもよりも少し重く、緊張からくるからなのか練習の時よりも軽い音ではないように感じた。

そして歌声がピアノの音に合わせて始まった。

歌を歌ってからは緊張は無くなっていた。男子の声もしっかり聞こえ、ソプラノ・アルトの声もしっかり聞こえた。

私は皆が一つの輪になるのを感じた。練習の時よりも力強く綺麗な円になっているように感じた。

今私のクラスは一つになっているのだ。体育館に響き渡る私達の歌声がシロイルカが水槽の中で何個も水の輪っかを作るように他のクラス、他の学年の人達、先生達に私達の歌声とピアノが指揮者に先導されながら音楽の輪を何個も作り出していた。


全学年の発表が終わる。採点者の集計が終わり、発表が行われる。

1年生からの最優秀賞の発表があり2年生の番になった。

私は掌を合わせて鼻の高さまで持っていき目を瞑って強く祈った。

アナウンスが入る。

「2年生最優秀賞は・・・」

そう言葉の後に流れた曲は私達のクラスの曲だった。

クラス全員が立ち上がった。

「うぉーーーー!!!!」

という雄叫びと共に男女関係無しにハイタッチをした。

私達の練習の結果はとても最高の思い出に変えたのだ。

その日の帰りの会はその話で持ちきりだった。

私は家に帰ってからも家族にどれだけ凄い経験だったのかと何度も話し、ティンクにも賞を取ったことを何度も話をした。

ティンクは

「そうかい、そうかい。良かったな~。もう少し寝かせてくれや。」

と言わんばかりに大きなあくびをしていた。

その日の夜、母がたまたま水木さんのブログを読んでいた。

虐めが収まったもののまだ何かと絡んでくる姿に母はもうあんな酷い文が書かれていないかどうか知るために時々チェックしていた。

すると何か動きがあったのか私を大きな声で呼んだので、私とティンクは急いで母の元に駆けつけた。母は水木さんのブログのコメント欄の所を私に見せてきた。

ブログには

「あいつの組はズルをした。あいつと仲が良い先輩が採点者だった。私はあいつが絶対に優勝できるようにお願いしたに違いない。じゃなかったらあの組が優勝するわけが無い。絶対に許さない。最近調子に乗ってるあいつも許さない。」

と書いてあったのだ。どの組に対しての文句なのかは一目瞭然だった。

「何これ。言いがかりにも程があるでしょ。」

と私は言うと母が

「ここ見て」

とブログの足跡とコメントが書けるリンクを開いた。

そこには沢山のコメントが書かれていて炎上していたのだ。

「意味の分からない文を書くのは止めてください。迷惑です。」

というコメントから始まり

「お前まだこんなこと言ってんのかよ。だせーな」

「お前毎日怒鳴り声あげるなよ。迷惑だから」

「ちょっと~皆~仲良くしなさいよっ!落合先生よ!」

「あらっ私こそ落合先生よ!真似しないでくれる?」

「いやん、ばかん!あたしが川島先生よ!ばかん!」

「何言ってるのよ!皆してふざけないでよ!!そうあたしが本物よ!」

と沢山コメントが書かれて荒れていた。

水木さん本人も炎上しているのが分かっているのか時々コメントをしているようで

「いい加減にしろよ。意味分かんねーこと書いてんじゃねーよ!」

と書いていたがすぐさま

「皆お止めなさいなっ!意味が分かることしか書いてないわよ!いやんばかん!」

「ほんとよね~おバカさんなの~?やだ~」

「本当!本当!お前がまず喧嘩売ってきたんだろ?なぁ俺一世なんだけどこれ皆どうやって匿名でやってんの?」



「・・・・一世?ってあの一世?」

と私が読みながら一つのコメントに気が付いた。

「一世君ってあのやんちゃな子?」

と母親は私に聞いてきた。

「うん、一世だね。あ、水木さんに一世バレたわ。」



「一世テメー本物だろ!お前の機種表示されてんぞ!」

「俺?一世だよ!ちょっと待って。皆どうやって機種バレしないようにしてんの?真面目に教えて!」

「少し黙りなさい坊や!あなたは帰りなさい!」

「オウムよ森へお帰り!ブォンブォン」

「え。マジでこれ水田にバレてんの?マジで?終わったわ~」

「凹むのはまだ早いわよ。今なら大丈夫帰りなさい!」

「大丈夫なわけねーだろ!てめぇマジで学校で覚えとけよ!」

「なぁ、俺一世なんだけど俺なんかコメントしたっけ?」

「一世本当にもうコメントするの止めなさい!月に変わってお仕置きよ!」



「駄目だ。一世完全にバレたね。ていうか誰が他にコメントしてるんだろう。」

と私はどんどん更新されるコメントを半分笑いながら読みながら誰が書いてるのか気になった。

母は一世の天然炸裂なコメントに涙を流しながら笑っていた。

「一世大丈夫なの?学校で虐められない?」と言っていたが、一世なら大丈夫だ。彼を虐める子は居ないだろう。ただ本人は本気で足跡や機種やバレていることに恐怖を感じているらしく本気でコメントから焦りが伝わってきた。

ティンクは久しぶりに母と私が笑っているのを見て嬉しかったのか何度も飛びついて来て撫でて撫でてと言ってきた。

私は思いっきりティンクの頬を両手で包みムニュムニュとして撫でた。

長い時間心配かけてごめんねという気持ちを込めて撫でた。


振替休日後の学校では水木さんのブログについて話が持ちきりになっていた。

なんとあの時に一世以外にコメントを書いてくれた子達は私のクラスメイトと私の男友達がしてくれていたのだ。

その中の一人が放送で職員室に呼び出された。

職員室から帰ってきたのを私はすぐさま駆け寄り大丈夫かと尋ねた。

すると本人は

「全然大丈夫だよ。伝田さんが虐められてるときに俺ら何も出来なくてさ、ずっと機会伺ってたんだよ。それで合唱コンクールのコメントで俺達のクラスについて侮辱されたから言い返しただけだよ。」

「ねぇ、ブログにはパスワードが掛かってたでしょう?どうやって読んでたの?」

と聞くと何でも無いかのように

「あれくらいなら解除は簡単だよ。他の奴がパスワード解除して、足跡が付かないように自分達のパソコンに見えないように鍵みたいなのをかけてコメントをしてたんだよ。」

と言ってきた。

私はパソコン等の機械類について得意では無いのでほぼ理解が出来なかったが凄いことをしてくれた事はよく伝わってきた。

「でも、職員室に呼び出されたよね?大丈夫だったの?」

「あー、あれね。あれは大丈夫。なんか校長室に呼び出されたけれども、伝田が先生達に味わされた事から比較したらどうってことないでしょ。」

「え、私が先生達と話し合いしてたとか知っているの?」

「うん、もちろん。クラスの殆どが知ってるんじゃない?部活とかで学校に残ってた奴らがたまたま伝田の母親と父親が来たりしてたの見てて噂になってたし、あれだけあからさまに先生も話してたり、水木の虐めも分かりやすかったから。それで今回先生達は俺を代表で呼び出したらしくて高校の推薦とか成績に影響があるかもしれないぞって脅してきたから、今まで虐めを長い時間どうしようも出来なかった人達が言える台詞ですか?て言ったんだよ。まぁ、それ以上言ったらこっちも学校側が嫌がる虐めの証拠とか学校の裏の情報とか流しますよって言ったら教室に帰れって言われたんだけどね。」

「校長先生にそこまで言えるなんて凄いね。私全然言えなかったのに。」

「それはあれだけ毎日嫌がらせされたら精神的に言えなくなるよ。仕方ないでしょ。でも、俺には他にも仲間が居たから言えたわけで、伝田さんみたいに一人で戦ってないから。」

と言うと授業が始まるチャイムが鳴り彼は自分の席に座った。


私の虐めはこの日にやっと終わりを迎えたのであった。

水木さんも含め、宮澤校長先生には最後まで謝罪は無かったが私には辛いときにずっと傍で見守ってくれていた仲間が居たことを知れて私はこの虐めは失った事も沢山あったが得たものの方が遙かに大きかった。


私は中3になり、無事に高校受験も終わらせることが出来た。

高校受験は大変だったが推薦で行け、何とか終わらせることが出来た。

卒業までの日数はクラスメイトと友人達との別れが寂しく一日一日大切に過ごした。

高校が始まるまでの春休みはクラスの半分以上が同窓会に参加し公園で鬼ごっこをしたり、缶蹴りしたり、色鬼、氷鬼、沢山遊んだ。

男女共に仲良しの最高のクラスだった。

高校生になり私の生活は一層忙しくなった。

朝は早く、硬式テニス部に入部し1年生の夏頃からは遊びすぎた結果成績が余りにも悪かったので塾に通わされた。

毎日が目まぐるしく動いていく。

朝6時に起床して学校に行く準備をする。

8時ピッタリに家を出て学校に自転車で向かう。

午後7時まで学校の授業と部活をこなす。

その後は塾に向かう。塾の近くにあるマックやコンビニ、ケンタッキーで夕飯を済ませ11時まで塾の授業を受ける。

帰宅後は制服のTシャツを手洗いし脱水を掛けながら夕飯をもう一度食べてお風呂に入る。その後は午前3時まで塾の宿題はもちろん学校の宿題テスト勉強をする毎日を過ごした。

その忙しさと引き換えにティンクと過ごす時間が急激に減った。

だからなのか、ティンクは私のテニスラケットが入る鞄(ラケバ)に玩具を入れるようになった。

私は学校に着いて鞄から教科書を出そうと鞄を開けるとティンクの玩具が何回も入っていたことがあった。

私が入部した硬式テニス部は使えなくなったテニスボールを持って帰って良いと言われていたのでティンクの為に何個か持ち帰ったことがある。

ティンクはそのテニスボールで遊ぶのが大好きだった。

家ではテニスボールで遊ぶ時間が多くなり、私も時間を見つけては遊ぼうと誘ってくるティンクの為に一緒に遊んだ。

散歩は時間上の問題で全然行けなくなってしまったが、ティンクのお風呂担当や歯磨き、耳掃除の担当になった。

お風呂は楽しく、一緒に入った。

私が髪の毛を洗っている間にティンクは伏せして待ち、コンディショナーを髪に浸透させている間にティンクの身体をリンス イン シャンプーで一気に洗う。

ティンクは私とのお風呂を楽しそうにしていた。一緒に身体を洗ってキャアキャア騒ぐ時間は小学生に戻った気持ちになった。

そしてお風呂から出て乾かし、爪を切っては歯磨きをする。

耳掃除も終わって、よし良いよ!と言うとティンクはガウガウと言いながら家の中を走り回る。

私はこの行動をするティンクをガウガウ星人と呼んでいた。

ティンクとの暮らしは毎日一緒だった。家に帰ってきては汗だくの私に飛びついて汗でベタベタになった腕を舐めたりするのだ。

下手すると靴下を取られて足全体を舐められる。

膝裏等はくすぐったくてティンクの舌を避けるとふくらはぎに甘噛みをしながら

「ワン!!!(何動かしてんの!舐められへんやろ!動かさんといて!)」

と怒られふくらはぎをガッチリ捕まえて動けないようにされた。

私はそんな毎日が楽しくて仕方なかった。

また、朝学校がない日は遅くまで寝ている時間があり祖父と散歩に行ったティンクがまだ寝ている私の姿に腹が立ったのかお腹の上でガウガウ星人になる日も増えてきた。

そんなある平日の夕方母に無理矢理連れられてティンクの散歩に一緒に行った。

家ではトイレが出来なくなっていたティンクは玄関を出ると一目散に公園に向かって走る。私は部活で鍛えられているとは言え強い力で引っ張られるので転びそうにまた横を走るティンクを踏まないように必死に走った。

ティンクは公園の草むらに尿をする。

トイレをしながら公園の木やを見上げるティンクの顔には

(危なかったわ~ほんま、漏れる寸前やったで)

と言っているかのような表情で尿をしていた。私はそんなティンクを見つめていると穏やかな風が私の顔を通り過ぎた。

その風には公園にある草花の青々とした匂い少し離れた場所にある道路を走る車のガスの匂い、土の暖かいホコホコしているけれども虫が中に居るような匂いがした。

私は忙しい毎日を癒やすかのようにしてそのそれぞれの匂いを胸いっぱいに吸い込んで味わった。

様々な匂いを味わっているとその中に異様な匂いがあった。

なんだ、この匂いは。鉄が混じったような血生臭い匂いが様々な匂いの中に存在していた。

私は不思議に思い、その匂いの元を探った。

呼吸を肺まで入れずに鼻の奥までに空気を入れて何処で血生臭い匂いがしているのか探した。するとその匂いの元はとても近くにあった。

ティンクの所からその鉄の血生臭い匂いがするのだ。

私はティンクが怪我をしているのかとティンクの身体のあちこちを注視しながら匂いを嗅いだ。その匂いはお尻の近くからした。

ティンクが尿を出し切り移動した。私はティンクのトイレをした所をジッと見る。

そこには黄色くてサラサラの尿とは違って血液がドロッと混じった尿が草花に広がって土に染みこまれていた。

私はティンクのリードを掴んで草や土を匂い嗅いでどこの犬が匂い付けしているのかとチェックしている様子を見守っている母に大きな声で焦りながら声を掛けた。

「ティンちゃんのおしっこに血が混じってる!」

母はその言葉を聞いても最初はあまりピンと来ていなかったのか私の言葉を上手く飲み込み理解するのに少し時間を要した。

私の焦りを余所に他の犬の尿、マーキングを探すティンクを引っ張りながらティンクが尿をした場所に母が来てティンクの尿の色を見る。

私が最初に見た時よりも草には鮮血が着いていて他は土に吸収されていた。

母は急いで地面に片膝を着いてティンクを抱っこする。

18キロ近くあるティンクの身体を持ち上げるのは結構大変だが、ティンクがどこか怪我をしているのでは無いかと確認する。

しかし、何処も怪我をしている様子は無い。

でも明らかにティンクが尿をした所には血が混じっているのだ。

私達はお互いの顔を見合わせて意見は一致した。

すぐさま散歩コースを変更し近くの動物病院に急いで向かった。

ティンクにとって動物病院は避妊手術とワクチン以外は通院をしていなかったが、避妊手術で怖い思いをしたからか動物病院は大っ嫌いだった。

ティンクを誤魔化しながら動物病院に連れて行くが動物病院の近くの道路に近づくと勘づいたのか、違う所に行こうやと言わんばかりに公園に戻るようにリードを引っ張る。

最終的に私がティンクを抱っこして強制的に病院に連れて行った。


たまたま、母が財布を持っていたので診察券を出して待合室のソファに座る。ティンクは落ち着かないのか、まだ逃げられると思っているのかハァハァと大きくて長いピンクの舌を出しながら涎を床にボタボタと落とし何度も出入り口のドアに向かって歩こうとしたり、座っている私の太ももに(はよ、帰ろうや。こんなとこ用はないはずやで)と訴えてきた。

私は大丈夫大丈夫と撫でながら嫌な予感が胸に広がっている。


診察室からティンクの名前が呼ばれた。

ティンクは名前を呼ばれただけでは無く、名前を呼ばれたことで私と母がソファから立ち上がったのを見て最後の力を振り絞るようにして必死に出入り口の方にリードを引っ張った。私はそんなティンクを抱っこして無理矢理診察室に入る。そして診察台に乗せる。

ティンクのリードをすぐに看護師さんに渡すとティンクは私と母の姿が一瞬見えなくなったからか心配になって私達の姿を必死に探す。そして二人の姿を見つけては必死に何が起きるのかと不安な表情で大きなクリクリした目で訴えてきた。

暫くすると奥の方から動物病院の院長先生が来た。

おじいさん先生で患者でも職場の仲間にもかなり厳しく物事を言う先生でよく怒鳴り声を挙げていた。待合室にまで聞こえる先生の声に何度か驚きはしたものの、私と母には優しく特に私は先生の3番目の娘さんと似ているからかそれとも小学校からこの病院にティンクを連れて通院しているからなのか気に入られており、厳しいことを言われることも無く行く度に他の獣医さんに見ている状況でも世間話をする為に奥から来ては笑顔で話しかけてきた。

私は院長先生にティンクの尿について話した。

先生は黙ってその話を聞くと少し緊張した顔つきに変わり、ティンクのお腹を聴診器を当てながらジッと様子を見る。暫くティンクの下腹部を中心に音を聞いた後に先生はティンクの腎臓辺りを触った。

少し異変があったのか

「今からティンクごめんねだけど、エコー撮るね。おい、エコーの準備しろ!」

と先生にティンクに話しかけた後奥に居るスタッフに声を掛けた。

エコーの準備が出来たとスタッフが言うとティンクを連れて院長先生始め看護師さんも慌ただしく動き始めた。

ティンクはドナドナドーナードーナー子牛を乗せて~とBGMが流れるようにエコーが出来る部屋に連れて行かれた。

暫くしてティンクは看護師さんに連れられて戻ってきた。

ティンクは疲れ果てた顔で

(偉い目に遭わせくれたな、こりゃあ高いお菓子でも貰わな許さへんで)

と言わんばかりな目で私の事を力無しに睨み付けていた。


エコーの画像が印刷されるまで待ちティンクは診察台に再び乗せられて恐怖心もあってなのかあちらこちらに涎を垂らしまくり、看護師さんの腕をビショビショにしていたので母がすみません、すみませんと言いながらティンクの便を包むように持って来ていたトイレットペーパーを鞄から取り出し診察台を拭いていた。

ティンクは看護師さんに抑えられながらもジッと私の事を静かに疲れ切った表情で恨みを込めて睨み付けてきていた。

私は何度も

「ごめんな、せやけど血尿出てたら怖いやろ?な?」

と話しかけるものの全く効果無しの状態が続いていた。

そんな時間を過ごしていたら院長先生がエコーの写真を持って診察室に戻ってきた。

少し表情が固めの院長先生の様子を伺いながら先生がエコーの写真を光に当てながら話し始めた。

「ティンクなんだけれども、困ったねー。尿石が溜まっててそれが原因で血尿が出てることが分かったよ。確かにこれだけ太ってるからねー。この間した健康診断の結果もう一回見たけれどもその時は異常が見られなかったんだけれどね。

健康診断をした後くらいから尿石が出来るようになっちゃったんだね。これはオシッコする時に痛かっただろうね。ティンクがトイレするときに痛がったりしてなかった?」

と聞かれた。私は生まれて初めて尿石、血尿という単語を聞いてあまり理解が出来ていなかったが、先生の最後の言葉だけを理解して

「痛がっている様子はありませんでした。いつものようにトイレが間に合わないと焦っていたのか走って公園まで行っていたくらいです。昨日のご飯も様子も普通でしたし、さっき外でした便の堅さも色も普通で血が混じっている様子も無かったです。ただ尿だけが色と匂いが違くて・・・」

と言うとウンウンと頷きながら院長先生は私の言葉を聞いてくれ

「そうか。他には異常が無いんだね。少し薬を飲んで様子見するしかないかな。」

「様子見。」

「うん、石を綺麗に取り除く為の薬を渡すからそれを暫く飲んで散歩の時に見て欲しいんだ。それでもしまた尿に異変があったら教えてくれるかな?」

「分かりました。」

そう言って診察室から出るとティンクはもう終わりだと分かったからか一目散に病院の玄関扉に向かって走り出し

「今すぐ開けろや!!」

と言わんばかりに扉の外の匂いを嗅いでは落ち込む私に飛びついて訴えてきた。

私と母は無言だった。

どうしてこんな病気になってしまったのか、いやさせてしまったのか。考えても答えは見つからない。

そんな私達の事をお構いなしにティンクは

「はよ、帰ろうや!!」

と急かすのだった。

その日からティンクの闘病生活は始まった。

毎日薬を飲んでは尿の確認をする。暫くして病院に行くと石が綺麗に無くなって居た。

しかし一度無くなって安心したもののまた再発の繰り返しだった。

ティンクは今まで食べていたご飯から病院食に変わった。

再発が繰り返され本人も痛いだろうに散歩に行く度に

「ボール出せや。持ってんの知ってんねんぞ。」

と吠え

「ティンちゃん今日血尿出てたから大人しく帰ろう。」

と言うと

「なんでやねん!!出せ言うてるやろうが!私は遊ぶんや!邪魔すんなボケ!」

と怒られる日々。

ティンクの病気が無ければ微笑ましい二人に見えるだろうが、私はティンクがお腹が痛くないのか心配だった。

尿は血尿の時もあれば普通の時もあった。

血尿が出ればすぐにそのまま散歩のフリをして病院に連れて行きティンクに何度も怒られた。

病院でエコーを撮ると石が見つかり度々薬治療となった。

それでもティンクは病院から出るとダッシュで

「ここにはもう用は無いで!!帰るで!!」

と言って家まで一目散に逃げるのだった。

ある時祖父母が京都に行く時があった。

私はティンクと二人でお留守番をしていた。散歩は私が主になったがティンクは私だと不安だからか

「お前じゃ不安じゃ。」

と言っては散歩用のリードを持って来るとワンワン吠えては逃げ回った。

「ティンちゃん一緒に散歩行こうよ。」

「何でお前みたいな小童と行かなあかんねん!一人で行けや!」

「本当に一人で行っても良いんだね?ティンちゃん一人でお留守番だよ?」

「行けや!私はここに居る!」

「本当だね?じゃあティンちゃん一人でお留守番しててね~」

と言って私はワザと玄関の扉を開け閉めして出かけたフリをした。

すると私が居なくなったと思ったのか

「アイツ、ほんまに一人で行きよったで!!腹立つな!!もう少し粘ったら行ったっても良かったのに!!アイツ一人で行きよった!!」

と怒ってガウガウと言いながら2階の部屋をグルグル走り回った。

暫くソッとしていたら玄関に向かって2階からワンワン!!と吠えて

「ほんまに行ったんか?ほんまにおらんのか?」

と確かめの吠えに変わる。

私はソーと音を立てずに2階に上がってティンクを見ると私と目が合ったティンクはまた吠えて

「騙したな!!!」

と言わんばかりにまたガウガウと2階の部屋を走り回るのだった。

それから無理矢理リードを付けて散歩に行くと今度はワガママが始まる。

「ボール出せや。一緒に走れ。追いかけっこしろ。」

この三つがお決まり文句だった。

そんな日が続いてティンクが11歳になった。

ティンクの闘病生活はずっと続いていた。

ある冬の日ティンクが珍しく腹痛を訴え始めた。

私に震えながら訴えるティンクは弱々しく私はティンクのお腹にソッと触れた。

何か足の付け根辺りが腫れている。

「すぐに病院行こうね。」

と言って病院に連絡して迎えに来て貰った。

その時はバギーと呼ばれる車椅子を買って居らず私も車の免許を持っていなかったので病院から車を出して貰って迎えに来て貰ったのだ。

看護師さんが来ると

「ティンク吐いたりしました?」

「いえ、吐いては居ないのですが震えが止まらなくて。」

「分かりました。一緒に来れますか?」

「ええ。一緒に行きます。」

と言ってティンクと一緒に車に乗って病院に向かった。

いつもなら病院の匂いを嗅いだだけでも吠えたり逃げたりするがその日は全く微動だにしなかった。

病院に着くとティンクは看護師に抱っこされて病院の中に入っていった。

私は荷物を持って一緒に付いて行く。

ティンクはグッタリしていた。

病院の中に入ると院長先生が待ち構えて

「ティンクいつからグッタリしてるの?」

「今朝からです。」

「ご飯は?」

「食べてました。」

「急に腹痛訴えた感じ?」

「はい。」

「分かった。少し様子見るから待合室で待ってて。」

と言われて私は呆然と待合室で待っていた。

暫くすると診察室に呼ばれた。

ティンクはお座りする姿勢で私を力無く見ていた。

「いつものように血液検査してエコーも見たけれど、石が溜まっているみたい。」

と言われた。

石が溜まっていたにしてはグッタリ感がいつもとは違ったようだったが私はそれが言えなかった。もしここで言っていたら結果違ったかもしれないと今でも後悔している。

「とりあえず、薬出すから様子見て。」

と言われて私とティンクは家に帰された。

ティンクは家に帰ってからもグッタリしていた。

薬を飲む時は大好きなチーズに薬を混ぜて貰うから元気になるがそれ以外はグッタリしていた。

ただ、食欲があるだけが救いだった。

それから散歩はバギーが必要になった。

急いで買いに行ったバギーはティンクの体重を考えると大きくとても重かった。

それに乗せて散歩する日が続いた。

ティンクは拾い食いが出来ないのが不満そうだったがバギーから降りると何も病気を持っていないような顔でフンフンと公園の地面の匂いを嗅ぐ。

血尿は薬のお陰で止まっていたが腹痛があるからかお腹を触らせてくれなくなった。

それまでボール遊びをしていたのも長くは遊べなくなり鬼ごっこだけになった。

それでも他の犬への喧嘩は止めなかった。

バギーには小さな小窓が着いていてそこから景色を見る。

それが日課になっていた。

ティンクが12歳になった頃様態は急変した。

下痢が続いたのである。

いつもなら家ではしないのに家の中で催すようになり、色も水っぽくなった。

それが気になり病院に連れて行くと

「ティンク石があるわけじゃ無くてもしかしたらガンかも。余命わずかかもしれない。」

と言われた。

私は目の前が真っ暗になった。

急いで母に連絡すると余命わずかだという文を書くのに涙が止まらなかった。

院長先生は私が待合室で泣きじゃくるのを見て毎日ティンクを連れて来るように言って看護師さんにバギーも一緒に乗せて車で家まで送ってくれた。

私は家に帰ってからティンクに話しかけた。

「ティンク、居なくなるの?」

「何言うてんねん。」

という顔で見るが目に力が入っていない。

「ティンク余命宣告されたけど死なないよね?嘘だよね、すぐ良くなるよね?」

「あんたの世話せなあかんのになんで死ななあかんねん。」

「そうだよね、息苦しそうだけど大丈夫?」

「大丈夫なわけあるか、少し休ませて。さっきまで嫌いな病院に行ってたんやからストレスが溜まってんねん。」

「おう、それは気付かんかった。ごめんね。」

その日からティンクはご飯を食べる量が激減していった。

ティンクは毎日朝早くにバギーに乗せられて動物病院に連れて行かれるようになった。

朝早くから歩いて途中でトイレを済まし病院に向かう。

そして夕方六時頃に迎えに行くのだ。

ティンクは迎えに行くと行きとは違って元気な姿に戻る。

まるで余命宣告されたのが嘘のようだった。

私は夜中もティンクが息をしているか不安で何度も確認しにティンクの寝息を聞きに傍に行った。

ティンクが寝息を立てていると安心して布団に戻る毎日で寝不足の日々が続いた。

私はいつこの日常が終わるのか恐ろしかった。

「ティンク、愛してるよ。」

「ティンク、ずっとずっと一緒だよ。」

「ティンク、ずっと傍に居てね。」

「ティンク、これからもずっと一緒だからね。どこかに行っちゃ駄目だよ。」

そう毎日時間を見つけては傍にくっ付いて耳元でささやいた。

ティンクは溜め息で返事を返されたが

「分かってる」

とただ一言言っているようだった。

それから間もなくだった。

ティンクは7月17日午前3時頃、息を引き取った。

珍しく寝る前に私にキスをして寝床に着いたその翌日にティンクは死んだ。

ティンクの異変に気が付いたのは母だった。たまたまふと目が覚めた母がティンクの様子を見ると息をしていないのに気が付いて私を呼んだのだ。

私はまだ暖かくて目に濁りが無いティンクの身体を抱きしめて大声で泣いた。

嘘だと言ってくれ。

嘘だと。

ただ騙したくて目を開けたまま寝ているのだと言ってくれ。

そう思ってもティンクの身体の温かさは冷たくなるばかりで身体も硬直していった。

生き物は死ぬ時最後まで耳が聞こえているらしい。誰かがそう言ったのをふと思い出した。

私は泣き叫びながらティンクに、天国に昇っていくティンクに最後に

「愛している」

と叫んだ。

「愛しているよ。世界で宇宙で、1番愛してるよ。」

届いたのか分からない。でもティンクは静かに天使になったのだ。

それから葬儀まで時間は早かった。

火葬される姿は耐えられなくて見に行かなかった。

死んだのは嘘だと思いたかった。

棺に入る姿はまるで人形のようで毛並みもどこか作り物のように見えた。

ティンクは骨になって家に帰ってきた。

骨になったティンクは小さくて私は蓋を開けて見た。

小さい頭がちょこんと乗っていた。

私はその頭にキスをした。

小さい小さいティンク。

私の可愛い可愛いティンク。

愛していると何度呟いても足りないティンク。

ずっとずっと一緒だよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ずっとずっと一緒だよ。 凛道桜嵐 @rindouourann

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ