第7話 少女と秘密基地
まだ日の光が出ていない早朝、私は山を登っていた。
昨日は良い商売が出来たと自負している。心も懐も暖かい。金貨や紙幣がパンパンに詰まった包みが外套の物入れにしまってある。非常に良い気分だった。
ルールさんにも、辛料を売りに行った業者さんにも利益をもたらした「三方よし」の商談だ。そう思うと気分がいい。
香辛料は大部分がはけて、残ったガラス工芸品は山の秘密基地へと運んだ。
今は早朝、まだ日が上っていない暗闇だった。街を外れて、山へと足を運ぶ。追手はいない、だいぶ前に巻いたからだ。
面倒だな、と思った。いつも監視の目がある生活にはストレスを感じていた。彼らも悪意を抱いて私に接しているわけではない。それは分かるが自由に生活ができないのは重圧に他ならない。
服を着るのも、ご飯を食べるのも、風呂に入るのも、街を歩くのも、どこかしらに付き人が存在し、人の目があった。そしてその人達が私に求める神話性みたいなのも、非常にしんどかった。
勘弁して欲しい、そう常々思っていた。
「あのウィスパー閣下の御令嬢なれば」、「あのアレガルド殿の妹君なれば」。『きっと素晴らしい存在で私たちを導いてくれるのだろう』という関心が波のように押し寄せてくる。そんな日常、とてもじゃないが耐えられない。
天道教という教えからすると、私や兄、父は『天の使い』という立ち位置らしい。
天道教とは、ここ覇国での主要宗教だ。国からの保護を受け、この大陸に権威を示している教えだった。三十年前に出来た新宗教で、鋼質有機体が世に出てくる前、旧諸国があった時代の『天蓋教』という伝統宗教、そこから派生した新宗教だった。
はた迷惑な話だ。生まれた時から私は『天の使い』として振る舞わなければいけなかった。
「天使さま」と呼ばれた。そういう風に扱われた。
「シロ様、お召し物です」と服を着させられ。「シロ様、お食事の時間です」と食事を口に運ばれ。「シロ様、お背中お流しします」と浴場に従者が付き添った。
それが普通じゃないと知ったのは一年前の十二才になったころで、自我が芽生え始めた時だった。思春期というやつである。たとえ同性の従者やメイドに世話されてたとしても、なんか嫌だし恥ずかしいのだ。
その時から「風呂ぐらい一人で入らしてくれよー」と思うようになった。
みんながそれを承知しなかった。
私たち一族は国の礎となる生物だ。「何か起こったら」では遅い。それをみんなが危惧していた。
メイドが「何も恥ずかしいことはございません。この世で最もお綺麗ですよ」と浴場からあがった私の体を拭きながら言った。「いや恥ずかしいよ!恥ずかしいとか、恥ずかしくないとか、決めるの私だから!みんなじゃないから!」と叫ぼうとしてやめた。言っても分かんないと思うし、みんなの気持ちは分かるからだ。
大切なものを扱うように、神秘的なものに触れるように。人は私に接する。
それならまだ良かった。
大切に扱われるのと同時に、『人外の何か』として嫌悪され距離を置かれ、殺されかけたこともあった。
憧れと同時に、殺意も向けられているのだ。
父が民衆への求心のために天道教を作り、兄はその絶大な信仰に実力を以て答えた。
そんな家族によって生じた『羨望』と『憎悪』、私はそれが嫌いだった。
だからちょくちょく家を抜け出した。悲鳴を上げるメイドや従者を横目に、厳重な警備を潜り抜け、城から放たれた追手を遮り、私は街を旅した。
何回も行われる私の脱走劇。それは城内だけの情報として封殺された。他に情報が漏れたら何をされるか分かった物じゃない。恨みを持っている人からすれば私は拉致の対象になるし、羨望も時には狂気に変わる。天使の肉を食えば、天使になれるとする邪教すらこの大陸には普通にあるのだ。
城を抜け出し、天使としてあるべき姿を演じず、国の礎となる責務を果たさない。
放蕩娘。そういう表現が私には正しかった。
父はそんな私に「好きにやりなさい」とも「それが力になる」とも言って、私への圧力を緩和させるように努めた。「お父さんが諸悪の根源なんだよ、分かってる?」とは言えなかった。父も父なりに、私たちに申し訳ないと思っているからだ。
兄は家出をする私に泣きながら言った「危ないことはやめてくれ」と鬼気迫られた。「お兄ちゃんがもうちょい手加減してたら、私もダラダラ出来るんだけどね」とは言えなかった。兄の心配する気持ちは分からなくもなかったからだ。
誰も悪くなかった。ただ贅沢な生活が出来ることと、畏敬の念から解放されること、この二つを天秤にかけて私は解放を選んだだけだった。
選んだからには私は自由を謳歌してみたい。だから自分で生計を立てていた。朝に城を抜け出し、昼に働き、夜に城に戻る。鍵をかけようが警備を増やそうが、朝に消えて夜に現れる私に城内にいる人間は疲れ果てるとともに、さらなる敬重をもった。遺憾だったが天使としての信仰力が増してしまったようだった。
後ろを振り向き、白い巨城を見た。兄も父も大陸各地に出払っていて普段はいないのに、あそこにあるだけで威厳があるように思えた。
「デカすぎでしょ」
大きな堀、高い壁、街を見下ろせる塔に、壁から出ている砲台の数々。
あそこにいれば外敵からは身を守ってくれるだろう。それは認める。
じゃあ内部の敵は?
あそこの城には私を殺そうとする人もいる。国家転覆か、それとも天使に恨みを持っているのか、分からない。ただあそこにいれば万事安全ということはなかった。
だから私は、私だけの秘密基地を作り、自分だけの領土をもった。子供騙しに見えるかもしれないが、そこが私の憩いの場所だった。
お金を貯めていくなかで、いい人とも巡り会えた。
ルールさん。良い人だなーと思う。天道教の教徒じゃないし、野心家だが誠実な一面が強い。そのため私が正体をバラしても他人にそれを言うことも無い。人に好かれる素質と、知恵と行動力がある。あの人は出世するだろうなー、とも思った。
いい距離感だった。敬遠しすぎて必要以上に距離をおく事もなく、欲望垂れ流しで必要以上に近づこうともしてこない。みんながみんなアレぐらいならちょうど良いなーと思う。
私は自分の正体を隠す『力』があった。『超能力』とも言っていい。そのおかげか、私の姿を見て腰を抜かす人は今のところ城外にはいなかった。
その中で私はルールさんに自分の存在を知らせた。あの人は正体を誰にもバラさないと、確信を持って言えたからだ。
だから私が城外にいることを知る人は極端に少ない。
だからゆっくりと自分の時間を謳歌できた。
森のなかを進んでいく、足音はたてない。草木の間を抜け、道なき道を歩き続ける。
秘密基地へと向かっていた。明確な道筋は作らなかった。道順を一本に絞ると往復を重ねるごとに足跡が増え、それにより登山道が可視化されることを避けるためだった。
誰にも知られたくない秘密基地だ。これぐらいはする。
そしてようやく辿り着く、自分だけの癒しの領域。木に囲まれ、私が手を加えたその場所は、何者にも侵されない不可侵領域だった。
「おはよう」
誰に言うわけでもなく、私はその空間に挨拶をした。もちろん返事は帰ってこない。
一礼をし終えてから日課を始めた。秘密基地の掃除。そして、昨日買ったガラス工芸の秘密基地に飾るためだった。
まだ日は登っていない。空に薄赤い色が広がっていく。それが朝日の予兆を告げていた。
朝焼けを目の前にして、木箱の中からガラス工芸を取り出す。ゆっくりと上る太陽に透かしてみた。
「綺麗・・・」
思わず心を奪われてしまった。素晴らしい、と感動した。
そしてそのガラスで出来た壺を椅子の上に置き、汲んで置いた水をその中に流し込んだ。
椅子も、小物も、この壺も、一から自分で用意した。お金を集めて、買ったり売ったり交換をしていきながら作り出してきた自分の所有物だった。
そんな所有物の一つである香木で出来たジョウロを、私は宝物置き場から取り出した。
ジョウロに液体を流し入れ、ジョウロを傾けて液体を地面にまいていった。
朝日が綺麗に顔を出す。光が木の隙間から差し込んで、水が入ったガラス壺がキラキラと光り輝いた。地面の水滴がまたもキラキラと揺れる。
壺や地面が光を反射して、秘密基地全体が光り輝いていると錯覚してしまう。
好きだった。この空間が、この場所が、この時間が。この輝きが、私は好きだった。
この光は私の希望そのものだ。そう確信できる。
いつまでもこの場所にいたかったが、そうも言ってはいられない。
私は移動の準備を始める。
今日は兄と父とが城に集まる、久しぶりの休日なのだ。
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