第42話 ワルキューレの晩餐会


【人類】



 イエルカはこの日の出来事を後悔する。


 水面に波紋が広がるように、それは偶然であり必然。石をとうじた己の責任。

 念を入れて、芽をむためにと、事を急いだことが完全な失敗だった。


 『情報が漏れる前に栓をしておけ』というのはワルフラの言葉だった。

 だから死んだニコトスの存在を危ぶみ、ニコトスの産み出した人間――無意識の諜報員を始末するため、調査で浮き上がってきたそれらを集めた晩餐会を開催したのだ。


 大広間に配置された席は全部で112席。招待客数は111人。既に全名が着席している。

 眩いシャンデリアの下には長卓ちょうたくが二つ並び、その奥には主催者と主賓の長卓が横に一つ。テーブル上には最高級の銀器と薄いグラスがセットされ、生け花や絵画が部屋を彩る。

 そんな豪華絢爛な晩餐会の会場が一変、礼装で着飾った客人たちは目を奪われた。


「あれがイエルカ様か」

「お美しい……」


 会場中が王の気品に魅了される。精巧な彫刻を見るように、こんなものがあるのかと見とれていた。

 イエルカは赤いドレスを身にまとい、長髪は垂れないように結い上げられ、化粧は元の優雅な顔立ちを活かしたものとなっている。歩く姿でさえ理想的で、至高と呼ぶに値する美しさだ。


 イエルカは主賓と握手をしてから主催者席に座る。その背後には一脚の玉座と王都の旗が構えている。


「酒は配り終えたか?」


 ウェイターに尋ねた後、イエルカは立った。


「ご来賓の方々、ご起立を」


 まずは挨拶。立ち上がった客人たちの目が集まる。

 会場の雰囲気は柔らかく、王の言葉がよく耳に入ってくる。


「この度、急な招待に応じてくださったご列席の皆様を厚く歓迎し、お礼を申し上げます。創造の神クァライラが築き、始まりの王アーティラートが育てたこの王都は現在、皆様のご尽力によりつむがれています。その事に私をはじめとした人間軍は感謝の意を示し、安心して王都を皆様に預けることができます。明日の朝、豊穣の地へ旅立てるのも皆様のお陰です。その前夜にこのような会を開けた事を喜ばしく思い、皆様のご期待に応えるべく、いっそうの献身に努める所存です」


 イエルカは一人一人に視線を送り、微笑を浮かべた。


「それではグラスを挙げ、皆様の御健勝と旅の安全を祈りましょう」


 イエルカと客人たちはグラスを持ち上げる。


 ここにいる客人は血の繋がった親を持たず、騎士王のことを様付けで呼ぶ人間たち。

 ニコトスに作り出され、洗脳の後に人間社会に放たれ、本人の知らぬ間に情報収集に使われている哀れなる者たち。


 彼らは芽。根っこニコトスが朽ちたからと放置しておけば、万が一の場合に毒となる。


 その前にまずは全員でグラスを掲げ、飲み干そう。


「乾杯」




 10分後、会場にいた全ての客人は絶命した。


 多くの者が吐瀉物としゃぶつに顔をうずめ、幾人かは扉の前で倒れており、全員が息をしていない。

 料理を一品も味わえず、溺れたような死の形相で黙っている。


 その奥に一人、ワインをたしなむ女がいた。


「ふぅ……」


 イエルカの作戦はひとまず成功。

 招かれた客人は毒に討たれ一網打尽。イエルカは事前に毒を克服していたので必然的に生き残った。


(ここにいる全員がニコトスに産み出されたとは、なんとも信じにくいが……私がやらなければならん)


 イエルカはワインを片手に警察大臣からもらった調査書を見て、すぐに畳んで卓に置いた。


(とりあえずは成功か。死体の処理にも問題はない)


 掃除のために会場を出ようと、主催者席の近くにある扉のほうへ。

 床に転がる貴婦人をまたぐと、赤いカーペットに染み込んだ血液がハイヒールに踏まれてじわりと滲む。


 扉の前には死体の小山がある。土や煙の匂いがせず、衣服も割りと綺麗で、イエルカは新鮮な気分だった。

 戦場とは違う。記録に残らない私的な死者たち。それらが池に投げられた石とするなら、背後からイエルカに触れるのは波紋の一端か。


「ぐっ………げほっ………………」


 かすかな音だった。蝋燭ろうそくの燃える音ともとれるし、考えすぎの幻聴ともとれる。

 それでもイエルカは尋常ならざる聴力で理解していた。何の音で、誰の声かを聞き分けていた。


 あの男の、息を吹き返した音だ。


 動く物も騒ぐ者もいるべきではないのに。陰湿で残酷な晩餐会で、イエルカは静かに唖然とした。


「招いた覚えはないぞ…………」


 このまま知らん顔で帰ってしまおうとも考えたが、放っておくことはできず、怒りを混じらせて振り返る。


「アネス……!!」


 こいつに驚かされるのは何度目か。イエルカの苦手な男が長卓に寄りかかっている。


「……ドア、開けてくれませんか。よければですけど……急用を思い出しましてね……」


 アネスは苦しそうなこと以外はいつもの様子で、何を考えているか掴めない。

 一つ確かなのは、アネスは精神的に落ち着いているということ。この殺人現場を前にしても取り乱さず、全て知っていたかのような振る舞いをしている。


 アネスの行動を紐解くため、イエルカは思考を巡らせる。


(呼吸音は先程まで無かった。それにあの顔と汚れ……あいつはワインを飲んだに違いない、が、回復魔法でも避けられない毒物をどうやって……)


 結論は意外とすぐ出てきた。


(そうか……アネスの外見を模倣する能力は、変身する時と元に戻る時に本体のダメージをリセットする。それで姿を偽って潜入し、毒殺を逃れたのか)


 つまりアネスは一度死んだということ。模倣能力の解除には10分を要する上、毒による死亡タイミングは不安定なため、彼は死後の能力の動きを知っていたのか、ただの賭けだったのか。


(何にせよ度胸のある奴だ……)


 イエルカは顔を上げ、語りかけようとした。


「アネス、ここにいる者は――」

「いや、いいんです。他言無用ですよね。あなたは今の時代に必要で、まだ私が介入すべきではない」


 アネスがとぼとぼと立ち去ろうとする最中、イエルカは「そうではない」と彼を呼び止める。


「都合が悪いんだよ、君も」


 目は暗く、表情は冷たかった。イエルカにとっては知られていることそのものが問題である。

 瞬間、長卓の上にあった銀のナイフが投げられる。


 ナイフはアネスの頬をかすめ、緊張感を一気に高めた。イエルカに向いたアネスの瞳は悲しげで、義憤ぎふんを抱いていた。


「そうですか……じゃああなたも、あなたの仲間も、ここから逃がすことはできない」


 イエルカは見下すように首をかしげる。


「……仲間? 何の事だ?」

「シェフやウェイターがいるでしょう。それに、この惨状は一人で隠しきれるものではない」

「何を言っているかわからんな……ここには最初から料理人も給仕もいない。君こそ、お仲間を連れてきたようだがまだ温存中か」


 イエルカは強気に歩を進め、アネスに近づくにつれ、長卓に置かれたナイフをさらっと一つずつ取っていく。


「……」


 アネスは眉をひそめていた。


「あなたの中に話し合いという手段は無いんですか」

「…………心変わりするとは思えんが」


 王から悪人になったイエルカを、アネスは真っ直ぐ見つめる。


「それでも私は話がしたい。私のために」


 彼の清純な様がイエルカは苦手で、心が沈むのに、何故か突っかかりたくなってしまう。


「……いいだろう」


 イエルカはナイフの束を置き、主催者席の後ろにある玉座に腰を下ろした。


「君も、座りたまえ」


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