第38話 騎士の一日


 王都の郊外にある人間軍の演習場。そこでは多くの兵士たちが訓練にいそしみつつ、横を通るイエルカを遠目で眺めていた。


「あ、陛下だ」

「え! 本物!? スゲー」

「おい、キヴェール様が見てるぞ……!」


 彼らがギクリとした途端、訓練の指揮をしていた円卓騎士キヴェールが堅い顔で告げる。


「隊形変換訓練、100回追加だ」


 寒空の下、兵士たちの悲鳴が響いた。




 演習場である原野の端にある武器庫の手前には、アーチ構造の大きな屋根を持った訓練場がある。

 風通しのいい開放的な作りをしていて、外で鳴っている足音もよく聞こえる。


「アネスはいるか」


 少しの護衛を引き連れ、訓練場にイエルカが顔を出した。

 広い訓練場にはポツンと2人の男がいる。


「ここにいま――」

「何のつもりだイエルカ。訓練が終わるまで待ってろ」


 アネスの嬉しそうな姿をさえぎったのは、威圧的で茶色い肌の大男。

 彼の名前は『グリフトフ』。かつては将軍として活躍し、ここ20年近くは円卓騎士の育成を担当している60歳の屈強な軍人だ。


「グリフトフ」

「お前の頼みでコイツを鍛えてんだぞ。それを中断すんのか」

「……君は昔から言う事が変わらないな」


 当然イエルカもグリフトフの鬼畜な訓練を受けたことがある。


「どうせ訓練内容も同じだろう。今やってるのは最後の模擬戦か」

「それがどうした」

「私と代われ」


 近くにあった訓練用の木槍を抜き取ったイエルカを見て、グリフトフはニヤリと笑い、立ち位置を明け渡した。


 イエルカは上着を脱ぎ捨てて槍を右手に持つ。


「アネス、かかってこい」


 自然と始まりかける王との試合にアネスは嫌そうな顔をしていた。


「それ本気で言ってます?」

「本気でなければ訓練の意味がない」

「え~……」


 パシッ!――瞬間、アネスが振り上げた木剣がイエルカの手に掴まれた。


「……本気だと、何でもアリになりますよ」

「それでこそ戦いだ」


 有無を言わさぬ不意打ちが、戦いの火蓋を切った。


 イエルカの槍がアネスの目を狙う。

 突然のえげつない目潰しを剣ではじき、アネスは物怖ものおじせずに剣撃を畳み掛ける。


 イエルカは軽やかに剣をかわし、一旦距離を取ってから突きを繰り出す。

 槍の長所はその有効距離リーチ。突きをモロに食らったアネスは、さらに顎を打ち上げるような槍先の一発を受け、少し浮き上がった。


 そこでイエルカはすかさず、アネスの首へと手を伸ばす。

 アネスは地に足を着けてかろうじてその手を弾き、下がりながらイエルカの片腕を掴んだ。

 そのまま勢いを受け流すように、イエルカを背負って投げようとする。


「……!」


 不動。イエルカは一ミリとて持ち上がらない。

 巨木を引き抜こうとしているように途方もない。


 逆にイエルカの手がアネスの襟元を掴み、軽々と壁に投げつけた。


「ッ……!!」


 鈍い痛みが体を貫く。何か折れたような気がした。

 アネスは地面に仰向けになり、息を切らして剣を手放す。


「い、意外と重いんですね……」


 などと口走りながら、イエルカの手を取って体を起こした。


「体幹が強いのだよ」


 雲泥の実力差。一般人からすればどちらも桁外れだが、敵を殺す能力には確かな差があった。

 イエルカは的確かつ迅速に、計画でもあったかのように、目、顎、首と、ダメージの大きくなる部位を狙っていた。対するアネスは速さや反応こそ良かったものの、当てることにのみ注力し、まだまだ高みには程遠い。


 いやまあ、イエルカがおかしいというのもあるが。


 アネスとイエルカは訓練場を後にした。

 2人は上流階級のための箱型馬車に乗り、向かい合って座る。さて、ここからが本題だ。


「で、そんなに私に会いたかったんですか?」


 アネスの軽口でイエルカの眉間のシワが深淵より深くなった。


「クソボケが」

「えっ怖っ」


 イエルカは緊張を解き、ごくごく自然に話す。


「エサノアの件を聞きたくてな。私にもわからなかったのに、どんなヒントから中立区域の土の中にたどり着いた?」


 大胆かつ純朴に、アネスに探りを入れる。

 常人ならイエルカを疑いはしないだろうが、アネスの思考が独特なのは知れている。イエルカも慎重に行かねばならない。


「そんな大層な理由はありませんよ」


 アネスはいつもの調子で語る。


「その昔、メイローアのブラガダで籠城戦ろうじょうせんがあったのは知っていますか?」

「ああ、14年前にあったな」

「その籠城に巻き込まれましてね。あまりに籠城が続くもんだから食料が無くなってきて、雑草とかネズミとか虫を食べてたんですよ。その流れで人を……あとは想像にお任せします」


 14年前というとアネスが2歳のとき。子供を餓死させまいと動いた奴がいたのだろう。


「とにかく私は『私がエサノアに変身したワケ』を知っている……ほら、円卓騎士だってバレた時の」

「…………なるほどな」


 単純な話だったなと、イエルカは事実を飲み込んだ。

 現場でエサノアの死について言わなかったのは、自身が疑われることや兵が荒れることを避けたのだろう。


「話してくれてありがとう。ついでに君に案内したい場所がある。ついてこい」


 王城の前に到着し、2人は馬車を降りる。

 城の門をくぐり、階段を登り、通路を歩く。さらに階段を登り、70メートルある城の最上階へ向かう。


 やたら時間がかかるのは遥か昔の完成当時から変わらず。この時間にイエルカはいつも考え事をする習慣がある。


(難儀なものだ……今すぐにでもアネスを殺してエサノアの件の捜査を中止したいところだが、それをすると私が疑われかねない。戦場で殺すのが一番か。ただこのアネスという男は何とも油断ならない……あと普通に顔が気に食わん)


 階段の途中でイエルカは後ろのアネスを一瞥いちべつする。


「アネス、君は任命式がまだだったな」

「任命式?」

「円卓騎士は騎士王の任命を受け、晴れて正式な円卓騎士となる」

「もう仕事してるんですけど」

「それは結構。しかし今はただの駒だろう。指揮官として兵士に受け入れられるためにも、任命式という区切りは必要だ」


 2人は最上階の廊下に到着し、イエルカは両開きの扉を開けてみせた。


 その部屋は王城の最も高い尖塔の中にあり、吹き抜けのような広い円柱形をしている。中央に大きな円形のテーブルがあり、その周りを飾り柱が囲っている。


「ここは?」


 アネスが尋ねる。


「円卓の間だ。最近は使っていないが、普段は円卓騎士や参謀を集めて会議をしている。任命式はここで行われる」


 イエルカに続いてアネスは円卓の間に入り、引き寄せられるように室内の装飾品を見て回る。


 タペストリー、祭壇、武器や防具。どれも古い、博物館で保管されているような品ばかりだ。


「…………」


 アネスは立ち止まり、一枚の絵画を見つめる。

 絵の中では右側で旗を持った鎧の男が、左側の鏡を持った布一枚の女と向き合っている。背景はくすんだ黒地に植物や花の模様があり、二人の足元には小動物や樹木がある。平面的で色彩豊かな絵画だ


 イエルカは隣に立ち、同じく絵画を見上げた。


「初代騎士王アーティラートと創造神クァライラだな。この絵はアーティラートの死後に描かれたもので、2人が同列に描写されている」

「アーティラート……彼が人類と魔族の言語を統一した、教科書に乗ってるあの人ですか」

「ああ。円卓騎士としての名は『生贄いけにえの騎士アーティラート』。平和を願い、命と引き換えに種族間の意志疎通を実現した英雄だ」

「ですが、フルネームが言えなくなったのも彼の仕業でしょう」

「それも生贄の一部だからな。我慢我慢」


 イエルカは円卓の席に座って頬杖をつく。


「あまり不用意に触れるなよ。八百年前の作品だぞ」

「そんな行儀悪い人間に見えますか」

「念のためだ。破損でもしてみろ。円卓騎士とて大目玉だ――」


 壁が砕け、絵画が飛び散る。


 注意からものの数秒で、外から突っ込んできた白い生き物がアネスもろとも円卓の間をグチャグチャにした。

 それはイエルカの横を通って柱を壊し、壁に衝突する。顔を歪めたイエルカが席を立った時、舞い上がるちりの奥から聞き慣れた2人の声がした。


「いったぁ~……」

「ここに突っ込む意味はねーだろ……!」


 一人は素直で閉鎖的な竜神の騎士、一人は勇猛で勝ち気な光線の騎士。


 突っ込んできたのは槍竜ロンゴミニアド。背中にケイスとカミロ、そしてもうを乗せ、やっと帰ってきたのだ。

 ロンゴミニアドの体をよじ登り、ケイスが出てくる。


「あ、陛下!!」


 予想外にも、その顔は悲壮に染まっていた。


「サモナが……サモナが!」


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