第28話 クワッズ・オーバー・クワッズ ③
ドラガは海底に足をつけ、暇潰しのような気分で歩き始めた。背面に伸びる触手部が海流で揺れている。
(死体を回収しても大した目的で使わねーだろ、アイツは)
海に沈んだオデットの死体を探す。回収した死体は四天王ニコトスが保管する。
そういった一連の流れがごく稀に発生するのだが、その恩恵を受けたことのある者は未だにいない。
ほの暗い空間に海底の砂がふわりと舞う。
オデットが沈んだであろう周辺をドラガは探すも、一向にそれらしき物は見つからない。
(海流で流されたか……)
しかし背後にそっと――闇が忍び寄る。
「お前は海でどう戦う?」
オデットの声がした。海中で、死んだはずのオデットの声が。
ドラガは振り返る。そこには気配も足跡もなかった。亡霊の声だけが海中を漂っている。
「…………」
周囲にも気配はない。幻聴だろうか。
*
祖母はいつも俺に話してくれた。
若い頃の青春、俺の父を生むまでの話。
幸せそうに話す姿を見て、俺もこんな風に結婚するもんだと思っていた。
6歳の頃、教会で魔法の話を聞いたその日、俺は自分が透明になれることに気づいた。
舞い上がった俺は親を驚かせようと、透明のまま両親に近づいた。そこで初めて母が父に殴られている場面に遭遇した。
前々から厳しい父だとは思っていたが、子供の目には衝撃的すぎた。
その日から俺は家の中でも透明になって隠れることが増えた。そのせいで俺は家を抜け出してばかりの不良扱いされ、父の怒りは母への暴力になった。
母は不幸を煮詰めたような女性だった。
遺産相続で祖父の借金を背負わされてたし、妹を流産したとき体中にアザがあった。
9歳の頃、父の暴力が日常的になってきたのを見かねて俺が母に尋ねた。
「なぜあんな人と結婚したのか?」と。
母は「お前が生まれたせいだ」と答えた。
家に居場所を感じなくなった俺は、出稼ぎを名目に家を離れ、17になったらすぐに軍に入隊した。
そもそも魔法の才能があったことや、透明になれることを誰にも言っていなかった俺は、それを利用して軍でもそこそこ活躍した。
それでも居場所は見つからなかった。
常に浮いていて、俯瞰で自分を見ているような、納得できない感覚が続いた。人と会い、酒を飲み、戦場に立っても、俺は自分がそこにいていいのか不安だった。
「それで父親を殺したのか?」
当時まだ円卓騎士だったイエルカは檻の中の俺を問い詰めた。
「魔族が勝手に村を襲っただけですよ」
「……君の提案した作戦には不備があった。あの村の住人しか知らない裏道があったのだよ」
避難区域外の村に被害が出たことで俺は捕まった。
「誘き寄せたのだろう。母親は助かったようだが、それ以外は褒められたものではない」
「死刑ですかい」
「死にたいか?」
「あの世が俺の居場所なら」
「…………」
この時の俺は……まあ、少し病んでいた。
「居場所居場所って、君は詩人か」
「だったら楽なんですけど……」
「成る程……君の中に居場所の定義はないのだな」
「ええ」
「形の無いものを追い続けられるほど人は強くない。特に君は完璧を求めすぎている。高望みの放浪者だ」
イエルカの全てを見通すような様は刺激的で新鮮だった。
「一つくらいは形あるものを持て。それが君の居場所に不必要なものでも、いつかは君の助けになる」
言葉が肌に染み込む感覚がした。
この後、無理やり円卓騎士に任命されたのを機に俺は探した。形あるものを、死に物狂いで。
何度も死にかけた。好戦的だと恐れられても俺は進んだ。俺はまだ病んでいたのだろう。
そして見つけた。俺と同じ、野良犬みたいなやつを。
そいつを守るために俺は何でもした。
敵前逃亡でも何でもやった。
形のある……俺の居場所。
*
海底で確かに、オデットが剣を握っていた。
充血した眼からは血が溢れ、体は部分的に透明になっている。
「俺はケイスに仕える騎士、オデット・ハーディンガーだ」
幻覚ではない。脳をやられたはずのオデットが、ドラガの前に立っている。
さすがのドラガも身構えた。さっきの声は幻聴ではなかった。
(全名開示か……本気だな)
『全名開示』。それは人間が魔族へフルネームを明かすことで世界の制約から外れ、体内で扱える魔力量を爆発的に増加させる身体技術。
なぜそんな事が可能なのか……は、またいずれ。
全名開示をした人間は何をしでかすかわからない。それが魔族の共通認識。人によっては魔力を扱いきれなかったり、自分の魔法で自滅したりする。
ならばどうするべきか。シンプルな答えが一つ。
(さっさと殺してやるよ)
ドラガは一瞬で海温を上げ、特大の水蒸気爆発を起こした。
多量の水が水蒸気となることで体積は一気に増加し、その爆発規模は想像を越えるものとなる。
海面が大きく波打つ。上に行っても戦場。
爆発の音は天井まで響き、衝撃波は彼らの再登場を派手に飾った。
突然の海面の大爆発。
「な、何だ……!?」
カミロは見間違えない。
「ドラガ……!」
恐るべきドラガが海から現れ、さらにオデットが相対していた。
(マジでどういう状況……!?)
カミロはざっくりとした説明しか聞いていないので、この登場人物の多さと謎の対戦カードに追い付けなかった。
爆発に打ち上げられたオデットと目が合う。オデットもカミロを認識したようで、空中でオデットが叫ぶ。
「カミロは天井に穴を開けろ! サモナはそのサポートと全体の指揮! それ以外で敵を食い止める!」
そして海面に降り立ち、血走る目を見開いた。
「ここで終わらせるぞ!! 五体満足、無病息災!! 一秒たりとも気ぃ抜くな!!」
やっとこさの最終決戦。
人間側は円卓騎士3人とその他15名。魔族側は四天王2人と軍艦6隻。ここからの勝敗はもはや誤差。何で決まるか誰にもわからない。
「穴って……はぁ!?」
やはりカミロには理解しきれないので、そこもサモナがサポートする。
「空に穴をあけてください! ここは地下世界です! あの空は地上にとっての地面! 地上に帰れます!」
「っ……上が海の可能性はないのか!?」
とりあえずで魔界の正体を受け入れたカミロに新たな懸念が浮かんだが、それは彼が答えてくれる。
「上に海はありませんよ! 山があるかもですけど!」
人類協会の頭領が教えてくれた。
「誰だお前……まあいい、地上に脱出する!」
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