第13話 月暈のジアメンス ④


 体格と質量という原始的な強さ。野生の衝突において重要視されるそれも文明の前では息を潜める。


 しかし今、規格外の怪獣が文明をも踏み潰した。


 アサイラサイラは全長138メートル、全高26メートルの超大型脊椎動物。12本で6対の脚が無駄なく動き、走行による地震は人間であれば立てないほど。実は脚には翼が畳まれていて飛行も可能である。

 また、体温が非常に高く、表皮から漏れ出る黒い分泌物の温度は150度を超える。走る際にはそれを振り撒くため、人に当たれば重傷となり、通った跡は火の海となる。


 人間軍の包囲網は崩壊、2000人が馬を走らせた。

 人間軍とアサイラサイラは並走する形となって山肌を駆け下りる。土砂の下敷きになった兵士は見捨てられ、落石が雨のように降り注いだ。


 馬ですら対応できない大災害に人間軍は統率力を失い、悲鳴と雄叫びは山とともに消えていく。


 魔術団の投石魔法、樹木魔法ではアサイラサイラを止めることはできなかった。

 そしてペルフェリアの戦いにおける人間軍の拠点、尖塔要塞への侵攻を許したのだった。




「…………少ない」


 アサイラサイラの背中の上から、魔王ワルフラが地上を見下ろす。


「ペルフェリアの司令官と第一魔術団の団長は同じ人間……騎士王の旧友だ。ヤツがこれほど兵を寄越さず、手薄な防御をしているとは思えん……」


 ワルフラは都合の良さに違和感を感じていた。

 人間軍の反撃は収まり、下には潰れた農村と平野が広がっている。王都もそう遠くないこの場所で、ここまでやりたい放題なことがあるのか。


 隣で佇んでいたジアメンスが言う。


「ペルフェリアの調査が難航していると聞きます。その影響で対応が遅れた可能性は?」

「だといいのだが……油断はできんな。前後左右、上下ともに警戒せねばならん。いざとなれば、あの新兵もエサにできる」


 ワルフラは横に目をやる。


 同じくアサイラサイラの背中の上で、アネスが手足を縛られた状態で仰向けに寝ていた。


(実地訓練と聞いていたが、こんなこともあるんだな……)


 日没の空を見てしょんぼりした。


(なんか遊び出したし……)


 アネスを無視してよくわからないカード遊びを始めた3人の魔族。

 手札を一枚選んで地面に伏せ、順番を回し、何か宣言してから伏せられたカードをめくっている。


(余裕か……まあ実際、陛下と円卓騎士2人が出張中で、ペルフェリアを守れる円卓騎士は私一人。戦力不足にも程がある。さすがに司令官が変わったのは知られてないだろうが)


 今現在のペルフェリアの戦力は最低限である。魔族との戦闘に備えてはいるが、突かれれば負ける程度には貧しい。その理由は……また後々。 


(暑いな……)


 アネスは人質という不利な状況。汗をかき、思い悩み、汗をかく。


(……熱い…………?)


 明らかな焦げ臭さに気づいた。


「あっづ!!」

「あ、燃えてる」


 ゼナーユが小馬鹿にしながらアネスを指差した時、アネスは火だるまになって転がっていた。


 アサイラサイラの体温は人間には耐えられない。

 そのまま鎮火のために転がっていると、アネスはアサイラサイラの背中から放り出された。


「!」


 落ちて踏まれて死ぬ! そう覚悟した瞬間、空中のアネスの足首を誰かが掴んだ。

 ゼナーユが「大丈夫~?」と半笑いを飛ばす。


 ついでにゼナーユは鎮火も行う。魔族に救われたアネスは、宙ぶらりんのまま眉間にシワを寄せた。


 その時、アネスの腰に下げたポーチからがこぼれ落ちた。白くてツヤのある謎の球だ。


「ッ!」


 その球はお偉いさんに持たされた貴重なもの。

 アネスは手足が縛られているため、とっさに口を大きく開けて噛みついた。


 ギリギリで球の端に歯を食い込ませたアネスは、2つのルートを理解して選ぶことを強いられた。彼の能力の発動条件を満たしてしまったからだ。


(喰ってしまった……能力が発動する! 魔王がいる手前、実力行使に勝算は無い。だとすれば……!)


 アネスの能力『模倣』には2つのパターンがある。

 身体をコピーするパターンと、魔法能力をコピーするパターン。発動を意識していればアネス自身がどちらかを選択する。上書きは可能だが併用や重複はできない。


 不穏な黒い霧に包まれて浮き上がったアネスは、アサイラサイラの背中に戻ってきた。

 そして姿になりきり、魔族たちの前で微笑んだ。


「お久しぶりです、魔王様」


 今回、アネスは見知らぬ魔族の身体をコピーすることによる心理戦を選んだ。

 しかし魔族たちの反応はよろしくなく、変身したアネスの姿を見て困惑していた。


「な……!!」

「ハ、ハマーロ……!?」


 おわかりいただけただろうか。


「え?」


 アネスも困惑して自分の身体を見た。

 白い肌、皮膚にポツポツと空いた穴から覗く金色の筋繊維、膨らんだ胸、襟のように肩周りを囲む大きな指、裂けた口、長い金髪、美しいプロポーション。


 アネスの姿は魔王軍司令官、ハマーロだった。彼自身もめちゃくちゃビビった。


(何だと!? これハマーロじゃないか!!)


 話し方、立ち振舞い、何もかもがボロになる。心理戦もクソもない身動きのとれない状況。だがハマーロに変身したのは無駄ではなかった。


(疑われすぎている……逆転は難しい。ここは開き直ろう…………やるしかない!)


 この姿なら相手の動揺を誘って思考を乱すことで一時的な主導権を握れる。


「取り引きをしましょう。あなた方には撤退していただきたい」


 ハマーロの偽物であることは明確にせずに、素早く自分の作戦を押しつける。それが最適解。


「対価は?」


 ワルフラが率先して動揺をかき消した。

 というかワルフラはこの複雑怪奇な相手アネスが味方殺しをバラすことを防がなければならない。


 そんなことは露知らず、ハマーロアネスは手に乗せたある物を見せる。


「ペルフェリアで散った魔王軍、その魂が宿ったこの球体を差し出します」


 球体の正体は、ペルフェリアの戦場にて発見された命の集合体……とでも言うべき魔力の塊。人間たちはそれを解読はできても生成と利用はできない。

 また、それを食らったがためにアネスはハマーロに変身したのだ。


「!」


 見えなかった。アネスが握っていたはずの球体は、いつしかアネスの背後にいたジアメンスに奪われていた。


「これは……やはり…………」


 ジアメンスは球体を優しく包みながらも、震えた声を怒らせていた。


(どういうことだ……? 何をやったんだ私は!?)


 アネスは交渉材料を強奪された……のではない。言ってはいけないことを言ったような、ただならぬ雰囲気だ。周囲にびっしりと刃物があるような、全身が凍りつく空間にアネスはいた。


「ご説明いただけますか? 魔王様」


 空間の主導権を奪い返したジアメンスはアネスをそっちのけでワルフラを見つめた。


魂魄珠こんぱくしゅは生命を糧に別の物質を錬成する、先代魔王様からの家系、つまり魔王様とゼナーユ殿にしか成し得ない魔法……何故これが人間軍の手に渡っていたのか、そして……」


 この球体とアサイラサイラは同じ魔法によって作られた。魔王の血族にしか使えない魔法によって。


「何故この中に、ハマーロがいるのかを」


 この球体はまさに、魔王の味方殺しの証拠なのだ。


「我輩が殺したからだ」


 答えた。ワルフラはすっぱりと。


「え……ハマーロを……? パパ、どういう――」

「貴様は黙っていろ、ゼナーユ」


 ワルフラは全てを圧倒した。王が自軍の司令官を殺したという混乱極まりない情報を開け放ち、その隙に口封じのやり方を見定めていた。


 全員をテンポ良く殺せるよう、殺す順番や殺し文句を組み立てる。


(そこの新兵とゼナーユは造作もないが……がどう出るかによるな)


 奴とはすなわち、この場における最大の脅威。


 つった足を楽な体勢に変えるように、そっと、ジアメンスは声を絞り出す。


「なぜ……娘は……ハマーロは殺されたのですか」


 彼は信じる相手を信じ続けるために話をしなければならない。感情の行く末はわからない。それでも、最善の事情があることを望んでいた。


「戦争のためだ」


 ワルフラの答えには何の建前も嘘もなかった。


「…………戦争……の?」

「魔力消費量の削減、その一貫として『上位の魔法使用者の抹殺』に取り組んでいる」


 それが望んでいたものではないと知り、ジアメンスの血の気は引いた。


「質問があれば受け付けよう。ただしその前に、貴様の我輩に対するを解消しておく」

「…………」

「ジアメンス、貴様は前線で戦わない。故に命拾いしている。貴様は、な」


 ワルフラは振り向き、手を伸ばした。


「…………!!」


 ジアメンスはその光景に目を見開いた。


 魔王の手は一瞬でハマーロアネスの胸を貫き、下へ突き落とした後、即座にゼナーユに迫る。


 加減、容赦、慈悲、その一切を感じさせない、理性を飛び越えた純粋無垢な『悪逆』。


 ゼナーユの鏡面のような瞳がジアメンスのほうに向いた時、ジアメンスの足は動くつもりはなかった。


 ハマーロは殺されたのにゼナーユは生きている。その不条理からほのかに芽生えた復讐心がジアメンスに囁くのだ。『娘を失う気持ちを味わってもらおう』と。ワルフラがそれで苦しまなくとも、同じ結果を持ち続けようと。


 戦争に勝てるなら、いいじゃないかと。

 ハマーロ、お前だけじゃないと。


 パンッ!――。


 それでもジアメンスはワルフラの手を受け止めた。


「質問はございません。魔王様、私は今から敵対者になるのです。王の座を奪うため……」


 もう信じることはできない。


「ですからどうぞ、遠慮はいりません」


 ショックで腰が抜けたゼナーユに背中を見せ、ジアメンスは魔王ワルフラの前に立ちはだかった。


「ほほう、魔族式の決闘か」

「左様でございます」


 魔族式の決闘。始めに素手での戦闘を行い、それで決着がつかなければ後は何でもアリの殺し合い。他には大したルールはない。ある程度は一対一で、ある程度は正々堂々であればいい。大事なのは強さの証明。


「本気でか」

「殺すつもりで」

「いいだろう」

「それでは……」


 無意識から沸き立つ感情を胸に、ジアメンスは荒々しく拳を構える。


「かかってこォい!!!」


 それは汚れなき怒りだった。


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