第39話・アルノーツの聖女

 続いて投げかけられたシャルルの声はまた一段と優しく、甘いものだった。

 コレという返事がすぐにできないソニアは胸の前で手元をいじりながら、ぽつぽつと話す。


「……アルノーツは、私がいないと……困るのでしょうか……」

「そうだな、今のままだとね」

「……」


 推し黙るソニアに、シャルルは急に表情を和らげて笑って見せた。


「ソニア、でも、俺は解決策も頭にあるんだ」


 明るい声でシャルルは言う。少しおどけた仕草で自分の頭をコツンと軽く叩きながら。

 ソニアはきょとんと目を丸くしてシャルルを見る。


 クスリと笑ってから、シャルルはソニアの手を取った。


「だから、君は選んでいいんだ。アルノーツに帰りたいのか、俺の花嫁でいたいのか」


 問われて、ソニアはほとんど反射的に口を開いていた。


「わ、私は、シャルル様の花嫁でいたいです」

「……ソニア」


「きゃっ」


 低い声で名を呼ばれた、そう思った時にはもうソニアはシャルルの腕の中にいた。

 背の高い彼に抱き上げられ、足が浮く。


「ソニア、愛している」


 シャルルはそう言うと、唇を重ねた。斜めに傾けた角度でしっかりと。


「……!?」

「……すまん、気持ちが抑えきれなかった。今後気をつける」


 突然のことに頭がついていかず、目がこぼれ落ちそうなほど見開くソニア対して、口元を押さえながら至極申し訳なさげにシャルルは言った。わずかに耳が赤らんでいる。


 優しく地上に降ろされてもなおソニアは目を丸くしたまま固まって直立していた。


(今後……今後もそんな機会がある……? あれ、でも、私はシャルル様の妻だから……今後もあって当たり前……? そう……そう……なのかな……?)


 感情のままに、こんなふうに口付けられるかもしれないことがこれからまたあるのだろうか、とソニアは頭の中を疑問符でいっぱいにさせるので精一杯だった。


 シャルルは少しバツが悪そうに苦笑する。


「まあ、本当なら一番いいのは君がアルノーツに帰ることなんだろうけどね。でも、建国祭で君をお披露目するつもりだったのに、『花嫁に実家に帰られました』じゃあさすがの俺もちょっと恥ずかしいから助かった」

「そ、そんな……」

「冗談だよ。そんなことはどうでもいい、カッコつけない本音を言うなら、君を手放さないですみそうで嬉しくってしょうがない。それだけだ」

「ひえ」


 とんでもない甘い言葉と共にもう一度抱きしめられて、ソニアは文字通りの情けない声を出した。

 そんなソニアのことをシャルルは愛しげに見つめて、ニコ、と微笑むのだった。



 ソニアの両親、すなわちアルノーツ王国両陛下と話をする機会はすぐに訪れた。

 元々、シャルルとソニアには、その日の午後に陛下直々から感謝の意を伝えたいとアポイントメントがあったのだ。




「……アルノーツを危機を救っていただいたこと、感謝しよう。貴国の建国祭もまもなくでお忙しいところ、まことにご迷惑おかけした」


 王の間で相対したアルノーツ国王・ケイオスの口から出てきたのは無難な感謝の言葉だった。

 シャルルも礼をして「友好を結んだ国の危機、助けに向かうのは当然のことです」と落ち着いた様子で返す。


 一通りの社交辞令が済んで、ケイオスが「では……」と切り上げようとしたところで、シャルルは「一つよろしいでしょうか」とスッと手を挙げた。

 ケイオスは片眉をわずかに動かしたが、無視するわけにもいかず、シャルルに発言を促した。


「恐れながら、進言いたします。アルノーツはまた再び、魔物に襲われるでしょう。いえ、もっと正確に言うのであれば国内に魔物がいるということが常態化していくはずです」


「なっ、なんだとっ」


 静かに告げられたシャルルの言葉に、ケイオスは咄嗟に席を立ち、拳を固め、肩を怒らす。


 父の様子にソニアが息を呑んだのを見て、シャルルはそっと彼女の肩に手をやりつつ、瞳を厳しくケイオスを見つめながら話を続けた。


「今回は港町カイトンに魔物が大量発生ということで救難要請をいただきましたが……。同時に別の地域においても魔物の出没が認められたそうですね?」

「くっ……それが一体……」

「これは偶然などではない、他の国ならばそれが当たり前の状態なのです。いままでは聖女の加護により魔物がいなかっただけ、聖女の加護がなければ魔物がいるのがこの世の普通です」


「貴様! このアルノーツ王国が聖女の加護を失ったと言いたいのか!」

「はい」

「なんて恐れ多いことを……! ああ、神よ、蛮族の国の申すことです、どうかお許しください……」


 王は激昂し、王妃は嘆いて天の上の神に赦しを請うた。

 アイラは眉根を寄せ、ジッとシャルルを睨むように見つめる。

 だが、シャルルは首を横に振る。


「今までであればありえなかったことが、ソニアがいなくなってから起こるようになった。……そうですね?」

「……そ……そうだ……」

「となれば、彼女聖女を失ったからそうなったと考えることが自然でしょう」

「……」


 その疑惑がいままでなかったわけではないのだろう。

 アルノーツ王家の面々は揃って顔を下に向かせる。


「和睦の条件に聖女を求めたのは我々です。まさか、それでこのような事態になってしまったのは我々としても予想外でしたが……」

「そっ、そうだ! 貴様らが聖女を寄越さねばと言うから私は……!」


「はい。私たちティエラリアの人間が知っていたのは、『アルノーツ王家に生まれた女性に聖女の力が宿ること』そして『今代のアルノーツ王女は二人姉妹であること』だけです。聖女の力を持つ存在が二人いるのであれば、そのうちの一人を欲しがってもそう支障はないはずだと考えておりました」

「よくもまあ抜け抜けと……。そうだ、考えてみれば、ことの発端は貴様らティエラリアではないか……!」

「……ことの発端、というのであれば、貴国の侵略から始まったのではないかと思いますが……」


 国王ケイオスはますます顔を赤くする。


(……そもそも、私は『聖女の出来損ない』ならくれてやってもいいだろう、という感じで送り出されたわけですが……)


 シャルルに「俺に全部任せていて」と言われていたソニアは姿勢良く、シャルルの隣で大人しくしていた。

 とはいえ目線は父にシャルルにと忙しなく動いてしまっていたが。


「アルノーツの王女は二人、すなわち聖女は二人いたわけですが、この二人の力は同じ聖女とはいえ、同じではありませんでした」

「……ふん」


 ソニアは落ちこぼれ、聖女の出来損ないなのだと評していた国王と王妃は揃って顔を歪めた。

 アイラだけは少し毛色の違う神妙な表情をして、睨むようにシャルルを見る。


「ソニアの力は過剰すぎる。ソニアの力をそのまま使えば……みなさんもご存知の通り、一見『厄災』のようなことが起こっていたのでしょう」

「……なんだ、貴様もわかっていたのか? ソニアの力を試してみたのか、フン、よくそれでアイツを『聖女』と言えたものだな」

「陛下、恐れながら、私は『過剰すぎる』と申し上げたのですよ。ソニアは間違いなく聖女の力を持っている。規格外なほど大きな力を」

「草木を枯らし、人の傷を癒すどころか腐らせる力が……か?」

「普通には扱いこなせない力。それでは『聖女』のつとめには不十分。……そこで必要となったのが、アイラ王女殿下です」

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