第25話・アイラのティエラリア訪問④
「――ソニア!」
魔物が目指す行き先はやはり、ソニアだった。
本当の聖女であるという妹・アイラには目もくれず、魔物はまっすぐにソニアのもとへ飛んでいった。
「あっ、シャルル様!」
魔物のクチバシはソニアの細い喉に――到達する前に、ソニアの手によって塵と消えていってしまった。
「……無事か」
「はい! あっ、扉は壊れちゃいましたね……」
「扉なんていくらでも直せばいいんだ。すまん、君の護衛だなんて言っておいて、肝心なときにそばにいられなくて」
「と、とんでもないです! ……あ、でも、その、ごらんのとおり、私は大丈夫ですからこれからは護衛任務は解いていただいても……」
「俺以外の人間も交代制で君のそばにいられるようにしようか」
「えっ」
真剣にそう提案すれば、ソニアはなぜか目を丸くして固まった。
おおかた、「自分なんかのためにそんな」と考えているのだろうが。
「……あっ! お姉様! こんなところにいたのね!」
そこに飛び込んできたのはソニアと同じ金色の長い髪の少女、アイラだった。
はあはあと肩で息をしながらも、ソニアに向かってびしりと人差し指を向けていた。
「えっ、あっ、ア、アイラ⁉︎」
「……くそっ。しまった、迂闊だったな……」
まさか追いかけてくるとは。来賓室からソニアがいる王族居住棟まではそれなりに距離がある。どこかで諦めるか、撒けるだろうと踏んでいたのだが、なかなかに執念深いらしい。
ソニアは会うとは思っていなかったろう妹の出現にぱちぱちと瞬きを繰り返してぼうっとしていた。
「お姉様! 一体どういうことなのよ、お姉様がいなくなってから、ろくなことが起きないわ! あたしの聖女の力が弱まってる! あたしのことを、厄災の力で呪っているんでしょう⁉︎ こんなところに嫁がされて、それで、腹いせに……!」
「ええっ?」
甲高いがなり声に戸惑うソニアの肩を引き、彼女を庇うようにシャルルはソニアを腕の中に抱いた。
その様子にアイラは眉を歪める。
「……こ、こんないい男に、なんだか知らないけど、大事にされておいて! あたしを呪う⁉︎ ずいぶんと性格が悪いわね、お姉様ったら!」
「えっ、えっ、その、アイラ、言っていることがサッパリ……」
「とぼける気⁉︎ お姉様がいなくなってから、あたしは毎日辛い思いをして治療会をやっているのよ! 本当に毎日毎日、頭は痛いし吐きそうになるし、実際血は吐くし、本当に、辛くて、散々なんだから……!」
「アイラがそんなこと……。あるわけないのに……」
ソニアは呆然と呟く。
「そうよっ! あたしは本当の聖女なんだからそんなはずないのに、おかしいの。絶対お姉様のせいでしょう⁉︎」
「そ、そうですね。アイラの力は本当にすごかったのに。おかしい……」
「……そうなのか?」
アイラの主張にコクコクと頷くソニアに、シャルルはそっと耳打ちして問う。
「は、はい。アイラの力は本物です、アイラは一日中ずっと癒しの奇跡を使っても疲れるということはありませんでした。歴代聖女の中でも、特に強い力を持った聖女だと母はよく言っていました」
「……そうなのか。しかし、さきほどの魔物も君を狙っていたようだが」
「え? アイラがここにいるから魔物もやってきたのでしょう?」
「違う。あの魔物は最初俺たちがいた来賓室の窓を破って城の中に入ってきた。……だが、彼女のことは目もくれず、君のもとに飛んでいった」
「……たまたまでは?」
至極真面目な顔でソニアは言う。
シャルルは静かに首を振った。そして、眉を寄せる。
「……だが、それでいうならば……。疑問もあるんだが……。妹は間違いなく、聖女の力を使えていたんだな?」
「はい……」
「そして、君がいなくなってからどんどん力が失われていった。……これは、一体……」
「なっ、なによっ。抱き合ってコソコソ話し合って!」
「だ、抱き合ってはいませんが⁉︎」
「はっ。何よっ、イケメンに肩抱かれて調子に乗っちゃって! これだから男慣れしてない女は……」
アイラはぶつぶつとシャルルとソニアに向かって毒づく。
シャルルはまたソニアに耳打ちした。
「……君の妹、本当に王女か?」
「は、はい。私とは違ってちゃんと王家の教育を受けてきた正真正銘の王女です! 私と違って!」
「どういう教育をしたらこうなるんだ。アルノーツ王家、すごいな……」
あまりにも奔放すぎる。
教育を何も受けてきていないというソニアの方がよほど品行方正で貞淑なのはなぜだろう。
「お姉様、あたしを呪っているなら今すぐその呪いを解いて! お姉様はなんだか知らないけど、幸せそうにお過ごしだからいいでしょう⁉︎ 悪趣味な呪いなんてもうやめてよ!」
「そ、そう言われても……。私、あなたのことを呪ってなんていませんから……」
「そんなこと信じられないわ、だって、お姉様がいなくなってからこうなったのよ! どう考えてもおかしいわ!」
「おかしいというのは、そうだな。俺もその因果関係は気になるが……」
きゃんきゃんと喚くアイラに、シャルルは同調を示す。
ソニアが呪ったから、というのは荒唐無稽でありえない話だが、しかし、ソニアがいなくなってアイラが力を失ってしまったということに、どういう説明がつくというのだろう。
「……埒があかないわね。本当に、厄災の力を使ったわけじゃないのね?」
「う、うん。私にはそんな力なんてないわ……」
「……そうね。たしかに、そんな力があれば、とっくにあたしたちのこと、呪ってたでしょうしね」
瞳を狭め、アイラは皮肉げに笑って見せる。
「……はあ、わかったわよ。なんだかこうしてお姉様の顔を見てたらやる気も無くなってきちゃったわ、気の抜ける顔してるのよね、お姉様」
(……意外とあっさり引くな?)
妙にすんなりと諦めを見せるアイラに些かの違和感を覚えながら、シャルルは彼女を見た。
彼女が辛い毎日を送っていると訴えていたが、それに偽りはないのだろう。
来賓室で初めて目の当たりにした彼女の顔は土気色で、年若い少女のはずなのにやつれている印象だった。ティエラリアにきたばかりの頃のソニアを少し思わせる顔つきをしていた。
(……心なしか、顔色が少し良くなったような……。いや、こんな短い間に、こんなに変わるものか? さきほど城の廊下を走っていたからそれで血の巡りが良くなっただけか?)
ソニアと短い会話のやりとりをした彼女の顔には赤みが戻り、元々彼女が持っていただろう肌の瑞々しさが戻っているようにシャルルの目には見えていた。
(まさか、ソニアと対面したことで活力が……? ……それはさすがに……)
だが、わざわざティエラリアまで乗り込んできた執念を思うと、それでいて今こうしてあっさりと帰ろうとしているのは、ソニアと会ったことで彼女の抱える身体の問題がわずかにでも解決したから――と考えると、納得がいく。彼女自身、そのことに自覚はなさそうだが。
「……あら、それ、お姉様が作った薬? ちょうどいいわ! 今、切らしてしまって大変なの! たくさんあるみたいじゃない。あたしにちょうだい」
「えっ、でも、これは……戦争の負傷者の方のためのものだから、必要なの。渡せないわ」
シャルルが思案に耽っているうちに、アイラはめざとく部屋の奥の机に並ぶソニアが作った軟膏や薬の類に気づいたようで、ずかずかと部屋の奥まで入ってきた。
ソニアはシャルルの腕を解き、慌ててアイラの腕を引いてアイラを止めようとする。そのことに、アイラは片眉を歪めた。
「こんなにあるんだからちょっとくらいいいでしょう? ケチね」
「ダメなの。長い間苦しんできた人たちがいるんだから、少しでも早く助けてあげたい。今でも足りないくらいなの」
「なによっ、アルノーツで苦しんでいる人たちはいいっていうの?」
「そ、そう言われると……」
口をもごつかせるソニア。シャルルは間に入ろうかと二人の近くに足をすすめていったが、そこでソニアは目をきらめかせて口を開いた。
「あっ。そうだ! アイラ。今、聖女の力が弱くなって困っていると話してましたよね? だったら、アイラもこれと同じ薬を作ればいいと思うの!」
「はっ、はあ?」
「アイラ。これはね、レシピがいいんです」
「レシピが」
おうむ返しするアイラにソニアは深く頷いてみせる。その表情は至って真面目だ。
「聖女の力がない私が作っても抜群の効果になるんだもの。きっと聖女のアイラが作ったらもっとすごい効力の薬になるんじゃないかしら」
「……ふうん、なるほど。確かにね! ぐずのお姉様が作ってもいいお薬になっているみたいですものね、あたしが作ったなら確かにもっとすごい薬になりそう!」
「……」
シャルルはあえて口を挟まなかった。
――信じられないくらい、乗せやすいな、君の妹。そう思いながらも。
(君は乗せるつもりもなくて本心からそう言っているんだろうが……)
「しょうがないわね、今日のところは帰ってあげる。……でも、あたし、まだ完全に疑いを晴らしたわけじゃないからね」
ソニアから薬のレシピのメモを譲ってもらったアイラはそう言い残して去っていった。
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