第21話・マリベルの息子

 終始、優勢であり続けていたティエラリアだったが、アルノーツとの戦争により傷ついたティエラリアの民は少なくない。


「……マリベル、彼女の息子はアルノーツの兵が仕掛けた毒矢の罠のせいで半身の自由を失ってしまったんだ」

「……そうだったのですね」

「すべての国民がアルノーツとの和睦に納得しているわけではない。……君のことだ、きっと承知しているだろうが」

「はい、当然です」


 シャルルの言に、ソニアは深く頷く。


 ソニアの罪は、ティエラリア王家を騙して『聖女』ではないのに偽の花嫁として嫁いだことだけではない。そもそも、侵略国の娘なのだ。

 ソニアは自分の立場を弁えていた。


 シャルルはソニアにこれを言うべきか否か、悩んだのだろう。ソニアに対し、申し訳なさそうな表情を浮かべる彼に、ソニアは小さく首を振り、微笑んだ。


「シャルル様。マリベルのこと、教えてくださってありがとうございます」

「……すまん。むしろ、もっと早くに伝えるべきだったな」

「とんでもないです! その、そう思われている方はきっと……たくさんいらっしゃるだろうと思っておりましたので……」


 ソニアはシャルルにわたわたと両手を振って、謝らないで欲しい意を伝える。

 そして、表情を引き締めてから、口を開いた。


「……ところで、シャルル様。アルノーツがしかけた毒矢、と仰られましたね?」

「ああ」


「私、もしかしたら、その毒……治せるかもしれません」


 ◆


「……⁉︎ 王弟殿下、なぜここに……」

「マリベル。急に申し訳ない。君の息子の治療に来た」


 突如現れた王弟・シャルルにマリベルは慌てて居住まいを正した。

 魔物が襲撃し、マリベルがソニアに暴言を働いたその翌日。マリベルは数日の謹慎処分を受け、自宅にこもっていた。


 そんな折に王弟殿下が姿を現したのだから、マリベルの動揺は大きいようだった。


「む、息子の……?」

「ああ。……ソニア」

「し、失礼いたします!」


「……ッ」


 マリベルはシャルルの背に隠れていたソニアの姿を認めると、眉をひそめ、歯を噛んだようだった。


「彼女に君の息子の話をしたんだ。……そうしたら、彼女は自分ならば彼の毒を癒せるかもしれない、と」

「そんなこと……。無理ですよ、ティエラリアの医師が何人見たって、もう手遅れだ、って。一命を取り留めたことが奇跡だと言われたのに……」


 マリベルはあからさまにソニアを警戒していた。マリベルの目がチラリと、部屋の奥の扉に向けられる。そこに息子がいるのだろう。


「マリベル。物は試しだ。どうかソニアに彼の治療をさせてはもらえないか?」

「……」


 マリベルはぎり、と歯軋りする。

 葛藤があった。

 侵略国の娘に、自分の命より大切な息子の身体を診せたくない。

 さんざん絶望し尽くしたのだ、息子の半身がもう動くわけはない。


 だが、もしかしたらという念に、胸がドクンと音を立てるのをマリベルは無視することはできなかった。


「……わかりました。妙なことをしたら……いくら王弟殿下の妃といえど、許しませんよ」

「あ、ありがとうございますっ」


 弾んだソニアの声に苛立ちを覚えながら、マリベルはその部屋の扉を開けた。


「……母さん……?」

「アスコット。お前の腕を診てくれるそうよ」

「お、王弟殿下⁉︎ ……そちらの女性は、もしかして、アルノーツの……?」

「ああ、俺の元に嫁いできてくれたアルノーツの花嫁、ソニアだ。今日は彼女が君の身体を診てくれる」

「……そうか、聖女が……」


 マリベルの息子、アスコットは濃い色の瞳を細めて薄く笑った。


 顔色は良くない。身体の右半分が動かなくなってしまったという話だから、ほとんどベッドの上で寝たきりの生活をしているのだろう。

 まだ年若いはずなのに、頬はこけ、目の下が窪んでしまっていた。


「初めまして、ソニアと申します。……失礼ですが、毒矢を受けたという部位をお見せいただいても……」

「……はい、お見苦しいと思いますが……。母さん、めくってくれる?」


 アスコットにこわれ、マリベルはアスコットの前開きのローブをめくり、右の脇腹をソニアに見せてくれた。

 不自然に青紫になった傷跡が色濃く残っていた。

 矢を受けた箇所を囲むように、濃い紫の斑点模様がまるで薔薇の花びらのように散っていた。


「これが、もう少し心臓に近いところだったら命も危なかったと言われました」

「……これは、なるほど……」


 この特徴的な花びらのような斑点模様に、ソニアは心当たりがあった。

 アルノーツでのみ自生するという花の根から抽出できる毒だ。


 毒性は強く、食せば命を奪い、皮膚に塗っただけでも皮膚を爛れさせる。これを矢尻に仕込んで傷口から身体に流し込んだとすれば、彼のように身体の自由を奪われるに至るのも納得がいく猛毒だ。


(……これが、戦で使われていたのですね……)


 ソニアの胸が痛む。

 以前読み込んだ薬と毒についてをまとめた本にあった記述と合致する、彼の肌のアザを見ながら、ソニアは目を眇めた。

 熊など大型の獣を殺すために使われる毒だ。人間の身体でそれを受けたならばどれほどの苦しみがあったことだろう。


「……塗り薬と、それから解毒薬を用意しますね」


 ソニアの言葉にマリベルが瞠目した。


「薬があるの⁉︎」

「は、はい。か、患部に塗り薬を塗って、ええと、解毒剤を飲んでいただければ……治るかと……」

「……ほんとうに……?」


 マリベルは目を丸くしたまま、へたりとその場に座り込んでしまった。


 ソニアはそんなマリベルの姿を一瞥し、懐のポーチから塗り薬の小瓶と、薄紙に包んだ粉の薬を取り出した。


「すみません、少し沁みます」

「……くっ」


 ソニアが傷跡に触れると、アスコットは低い呻き声を漏らした。


「えっと……すみません、これも飲みづらいと思うのですが……。お水いただいてもいいですか?」

「……俺がとってくるよ、いいよな。マリベル」


 確認を取るシャルルに、腰を抜かしているマリベルはコクコクと頷く。


 シャルルはすぐに水の入ったコップを持って戻ってきた。


「……これを……」


 ソニアはアスコットの上体を起こしてやり、粉薬と、水を飲むように促す。

 アスコットは不安げな表情でそれを飲み干し、しばらくして。


 瞳を大きく見開き、己の右手を眺めた。

 アスコットの右手の指が、わずかにだが、動いていた。


「……! アスコット!」

「かあさん……! お、おれ、動く。右手が、動くよ!」


 片腕を震えさせながら、ぎこちなくだがアスコットは母の身体を抱き締めた。


「よ、よかった。ちゃんと効きましたね!」


 抱きしめ合う母子の姿を見て、ソニアも肩の力を抜く。はあ、と長く息をついた。


「……君の薬というのがよく効くのはわかっていたが、ここまでとは……」


 シャルルが小さく囁くのをソニアはきょとんと見上げるが、シャルルは苦笑して「いや」と言葉を濁した。


「……こ、これは、あなたが……?」


 息子の腕に抱かれたまま、マリベルは信じられないという表情でソニアの顔を見上げた。


「は、はい。アルノーツで作られた毒であれば、私、少し詳しいんです。薬の作り方を学ぶときに、毒の作り方とその特性、治療薬についても一通り知識を得ていましたから……」

「……それにしたって、こんなに……薬がすぐ効くなんて……」


 マリベルの視線がシャルルに移る。

 シャルルは瞳を伏せ、マリベルに頷いてみせた。


 マリベルは小さくかぶりを振り、息子から離れるとソニアに向かって恭しく礼をした。


「……ソニア様。ご無礼をお詫び申し上げます。そして……ありがとうございます」

「えっえっえっ、そんな。わ、私は……」


 狼狽えるソニアを置いて、マリベルは眉根を寄せながら言葉を続ける。


「わたくしの心に宿る憎しみは、正直まだ消えてはおりません。アルノーツの国は憎い、許せない。わたくしはきっと一生恨み続ける。……けれど、あなたに関しては、少し考えを改めようと思います……」

「マ、マリベル……侍女長……」


「ソニア様。……ありがとうございました」


 マリベルから語られる感謝の言葉に動揺するソニアだったが、そんなソニアの肩をシャルルが叩いた。


「ソニア。君は彼を救った、そしてそれは感謝されるべきことだ。自信を持って」

「……シャルル様……」


 ソニアの頭の中には、罪悪感があった。


 そもそもはアルノーツの国が彼を傷つけたのだ。自分が彼の傷と毒を癒すのは当然のことだ。

 憎まれることはあれど、感謝をされるなど、夢にも思わなかった。


 ソニアは俯く。

 この感謝を、自分の罪悪感をどう処理すればいいのかわからなかった。


 けれど、肩を抱くシャルルの手の温かさを頼もしく感じ、なぜだか目頭が熱くなるのだった。


 ◆

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