第14話・目覚めの丘にて①

 魔物の乱入はあったが、それからは順調だった。


 フェンリルの足で少し駆ければ、あっという間にシャルルがソニアを連れて行きたがったそこにたどり着く。


「わあ……!」

「ここは目覚めの丘と呼ばれているんだ、この国で一番暖かな……陽射しの降る丘だよ」


 ソニアはラァラの背にまたがり、白い息を吐きながら感嘆する。


 小高い丘から見下ろして、目に映るのは白い雪が陽にあたり、キラキラと煌めく姿。

 月並みな表現だが、宝石のように美しかった。


「ソニア。この祠も見てごらん」

「ええと……こちらの、石が積まれている……?」

「そうだ。ハハ、そうだな。石が積んであるだけに見えるだろう。でも、これはフェンリルの神を祀ったと言われている祠なんだよ」

「そっ、そうなのですね!?」


 ソニアの腰のあたりの高さほどに積まれている石。無機質な灰色の石を組み上げて作られた『祠』らしいそれを改めてソニアは見つめる。

 石の角は長い歴史を経てか、すっかりと丸くなっていた。


「この国で一番暖かくて、美しい景色が見られる場所だと俺は思っている。君と一緒にこの景色を見ることができて嬉しいよ」

「あ、ありがとうございます。光栄です」


(……私は、明日あたり……縄で首を括られるんでしょうか……)


 ソニアはシャルルの微笑みから彼の思惑を探り、そしてこの結論に行き着いた。

 ソニアもシャルルに微笑み返す。シャルルの大きな体躯ごしに、見事な雪原を眺めながら――。


(最後の思い出に美しいものを目に焼き付けておけ、とそういうことですね……)


「なんとなく君の考えていることは大体わかってきたぞ。キリがないからいちいち突っ込まないが」

「えっ!?」


 はあ、とため息をつかれてソニアは慌てて瞠目する。


「ここで軽い食事でも取ろう。ほら、君も。ラァラの鞍に乗せた鞄があるだろう」

「あっ、えっと、これでしょうか」

「携帯用の椅子と毛布を入れておいた。俺が支度をするから、君はラァラとシリウスと一緒に待っていてくれ」

「い、いえ! そんな、私も何かお手伝いを……」

「いいよ。俺は結構こういうのが好きなんだ」


 ニコ、と爽やかな笑みを向けられるとソニアは何も言えなくなり、すごすごと折り畳まれてコンパクトになっていた椅子を手際悪く広げて、身を小さくしながら座るしかできなかった。

 ソニアの両隣にはラァラとシリウスがいて、まるで二人に包まれるような形になる。

 グルル、と高い声で二匹は鳴きあいながら、ソニアの背のほうで尻尾を絡ませたり、びたんびたんと叩き合ってじゃれているようだった。

 二人の尻尾が揺れるたび、背中をふかふかのやわらかいものが撫でソニアはくすぐったいやら気持ちいいやら不思議な気持ちになる。


(あったかいし、かわいいし、気持ちいいし、これは……いいのですか、こんな天国……!?)


「ソニア。しばらく待っててもらうことになるから。先に温かい飲み物を用意したよ。これを少しずつ飲みながらいい子で待ってて」

「ううっ……僥倖……っ。これは……………………接待……?」

「君の言う接待のその前につく言葉はなんとなく予想がつくが、もうキリがないからな……」


 なぜかシャルルに呆れられていることにソニアは罪人の身で失言を重ねた!? とサッと青褪めた。


 ◆


 シャルルに言われた通り、ちびちびとホットミルクを飲みながらソニアはシャルルの野外調理が終わるのを待った。


 シャルルは真面目で細やかな印象通り、手先がとても器用で小さなまな板とナイフで器用に食材を切り分け、鍋とスキレットにそれぞれ放り入れる。


「……っと」


 見事なものだなあと見惚れていたのだが、芋の皮剥きをする際、ふとシャルルが手を滑らせ、人差し指を切ってしまった。


「だっ、大丈夫ですか?」

「ああ、これくらいなんともないよ。みっともないところ見せちゃったな」

「いっ、いえ! とてもお見事なナイフ捌きに見惚れておりました!」

「……そうだ、なあ、ソニア」


 急に「思いついた」とばかりにシャルルはソニアを見つめ直して、言った。


「この傷、君が治してくれないかな」

「……え」

「聖女の力だ。傷を癒す力もあるんだろう? いい機会だ、この傷を……」


 雪の上に、音もなく、ソニアが手に持っていたマグカップが落ちた。

 温かなミルクはわずかに雪を溶かしたが、積もった雪を溶かし切るには当然至らず、それきりだった。


「……大丈夫か、火傷は? 手や足にはかからなかったか?」


 シャルルの声が遠くに聞こえる。


 ソニアの視界は今、歪みつつあった。目の前にいるシャルルの造形が歪になり、代わりに脳裏に映り込むのは、あの日の。


「……ごめんなさい」

「ソニア」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「ソ、ソニア? どうしたんだ?」

「ごめんなさい、わたし、わたしが、わたしが、したから、ごめんなさいごめんなさい」


 ソニアは頭を抱えてうずくまった。喉元には逆流した胃液が迫り上がってきていた、酸っぱい臭いが鼻について、咽せそうになる。


 ソニアの頭の中に、今、シャルルの存在はなかった。


 あるのは、あの日、ソニアが一人の人間の腕を奪ってしまった時の光景。

 叫ぶ声、肉の腐る臭い、肉の裂ける音、嗚咽。


 ソニア・アルノーツは『聖女』ではない。

 『災厄』の奇跡の力を持って生まれてきた、出来損ないである。


 そう烙印を押されるに至った、あの日のことだ。

 

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