甘々苦々
小狸
まえおき
自分は恋をしてはいけない。
私は人から愛されない存在だ。
そう思って生きている。
きっかけは、両親の不仲をずっと見てきたからだ。
正確にいつからかというのは覚えていない。
ただ、幼稚園に入り、私が記憶力を獲得した頃から、お父さんもお母さんは不仲だった。一緒にいて笑顔を見せたことはないし、何かにつけて言い争っていた。後々聞いた話では、元より子どもを作るか否かで、相当揉めていたようだったが――作られた側としては、そんな制作秘話なんて聞かされてもという話である。
結果小学校に上がる頃には、完全に家庭内別居となっていた。
食事は、父親の部屋の前の床に置く。食べ終わったら、そのまま床に戻し、母が取りに行く。
まるで動物を飼育しているかのようだった。
何より面倒だったのは、お互いがお互いに、私に機嫌を取らせようとしてくることが多々あった。
自分の機嫌は自分で取れ――などと最近言われているけれど、まさに両親に言って聞かせたかった。
どちらか一方と話すと、どちらか一方の機嫌が悪くなるのだ。
だから調節するために、もう一方と話さなければいけない。
どうしてそんなことをする必要があるのか――と、ひょっとしたら疑問に思う方もいるかも知れない。
親は親でそれぞれ別で、機嫌なんて取る必要はない?
うん、その通りだ。
いつだって部外者で第三者は、安全圏から好き放題言ってくる。
大抵そう言う人々は、ちゃんと家があり、ちゃんとした家族がいて、家が帰る場所だった人たちだ。
私は一度だって、心から「ただいま」と言えたことがない。
当時の私は小学生なんだよ。
小学生にとって、両親は――家はもう世界そのものみたいなものだろう。
世界がそうなら――そっちに合わせる他ないだろうが。
なんて言っても、きっと通じないのだろうな。
それでいい。
私の気持ちなど分からない方がいい。
不幸な側に配慮なんてする必要はない――分からないのは幸せな証拠が。そのまま幸せに生きるがいい。
そんな家庭で、私はすくすく育った。
中学校に入った頃だっただろうか。
心理学に興味のあった私は、図書館で児童心理学の本を読んだ。
いや――家に帰りたくないから図書館にいる時間が多くなり、あらかた本を読んでしまったというのが正しいか。
その中で、こういう記述を見つけた。
見つけてしまった。
機能不全家族に育った子どもは、同じような家庭を作ってしまうと。
蛙の子は蛙になるように。
毒親の子は毒親になる。
井の中から、決して出ることはできないのだと。
当初はかなりショックを受けた。
こんなひどい家だけど、いつか私は好きな人を見つけたい、家庭を作りたい、誰かと共に生きていきたい。そういう風に思っていたから。
当時、クラスで好きな男子がいた。
よく本を読む、静かな人だった。
小学一年生の時に同じクラスになって――だんだん好きになっていった。
でもその情報を見て――私は諦めざるを得なかった。
駄目だ。
こんな風になるのは、駄目だ。
もし子どもができて、私に余裕がなくなったら、きっと母のように暴言を吐いてしまう。
きっと父のように手や足を出してしまう。
お互いに首を絞め合ってしまう、苦しめあってしまう。
憎しみの連鎖は、私の代で断ち切られなければ。
だから私は、人を好きになってはいけないんだ。
そう思った。
その男子とは仲が良かったけれど、どこかで無意識に私の心が現れていたのだろう。何時の間にか疎遠になっていった。
別に良い。
きっと彼はもう、私のことを覚えていない。
同じクラスだったことも、楽しくお喋りしたことも、辞書が御揃いだったことも、修学旅行で一緒に写真を撮ったことも、きっと覚えていない。
それで良いのだ。
それが、皆が幸せになる一番の方法だから。
何度も自分に、そう言い聞かせた。
高校に入って、大学に進んで――極力人と距離を取るように生きた。
下手に近付いては、好きになってしまうと思ったからだ。心理学の本には、「幼少期の愛情の欠乏が、性格に歪みとして表れている」と書いてあった。
親の愛を、私は知らない。
だから、他の人に愛を求めてしまう――依存してしまう。
それが怖かった。
よくメンヘラだとか、愛が重い人だとか――インスタグラムで地雷とされる特徴には、そんな個性がある。
しかし、どうだろう。
そういう風にならざるを得なかった理由が、あったのではないか。
切りたくて自分の手首を切る人はいない。
病みたくて病む人はいない。
そういう過程が――物語があったのだ。
しかし残念なことに、それは描かれない。
たとえどんな物語があろうと、描写はされない。
誰かに話し、語らなければ、それはその人だけのものなのだ。
過去も未来も何も描かれずにぱっと出て、理解不能な異常者としてぱっと現在に配置され、誰にも分かってもらえずに消えていくのだ。
私のような――私達のような人種は、そうとしかならない。
学部ではいつも一人でいた。いつも同性の友達と一緒にいた。
彼氏を作らないのかと聞かれたけれど、作る気はないよ、と言った。
いや、嘘だ。
私は、強がっているだけだ。
本当は欲しかった。
誰かに愛してほしかった。
頭を撫ででほしかった。
めいっぱい抱きつきたかった。
褒めてほしかった。
誰かを、まっすぐ愛したかった。
初恋を、語りたかった。
でも、できない。
私は、毒親の子だ。
同じことを繰り返してはいけない。
愛されてはいけないし、愛してはいけない。
毒は、ここで終わらせなければいけない。
私は、幸せになってはいけないのだ。
強くそう念じて、私は生きた。
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