断頭台
先代聖女がこの世を去ってから八年もの間見つからなかった当代聖女。ようやく見つかったと思ったらそれまでは色が黒でなかったという異例中の異例。
──当代聖女は偽りの聖女だ。いつか罰が下る。
そんな噂が随分前から根強く出回っているのをアリア自身もわかっていた。そして、そんな噂があるからこそ、アリアの力が弱まり魔物の脅威が増したことでそれは更に信憑性を増した。
だから、アリアには理解が出来てしまった。
したくもなかったが、そうせざるを得なかった。
(…用済みだと、判断されたのだろう)
時間が経てば経つほど思考はクリアになり、荒唐無稽だと思っていたあの儀式がとんでもなく正当性のあるものに思えてくるし、事実そうなのだろう。
「……私は、もういらないのね…」
声は情けなくも震えていた。
頭で理解は出来ていても心が着いていかない。決して聖女という地位に固執していた訳ではないけれど、それでもアリアにとって聖女は「全て」だった。
それ以外の生き方なんて知らなかった。
(嗚呼、神よ)
アリアは夜空に輝く月に向かって両手を組んで祈りを捧げる。
(どうか、どうか、世界が平和でありますように)
無駄だとわかっていてもアリアは祈らずにはいられなかった。それが自分の存在価値なのだと、生きる理由なのだと、アリアは信じて疑っていなかったから。
祈りの魔力は星のように煌めいて夜の闇の中へと吸い込まれていく。たとえ気休めだとしても、自分の祈りで一人でも誰かが救えるならアリアはそれが良かった。
明くる日の朝、アリアは四方を騎士に囲まれて王城へと進んでいた。
その先頭に立つ騎士は見慣れない人物でアリアの心はつきりと痛んだが、それも仕方がないのだと自分に言い聞かせる。
王城といわず、教会も、その外も、今日は空気が澄んでいた。深呼吸すれば瑞々しい草木の香りと少しの涼やかさが肺をいっぱいにしてこれ以上ない程の爽快感を得られるだろう。
こんなにも清浄な空気で満たされるのは久しぶりだった。
正式な通達以外のものがアリアの首を絞めていく。
この空気はアリアにも覚えがあった。これは聖女の浄化による力が働いたものだ。
「ああ、なんて良い朝なんだろう」
「こんな朝は久しぶりだ」
「頭痛も良くなったよ」
聞こえてくる声にまた心が痛んだ。
今までなら先頭に立っていた騎士、コンラッドが諌めてくれていたのに、もうそのコンラッドはどこにもいない。彼は「聖女付きの護衛騎士」だ。
召喚の儀が行われる前の晩まで側にいてくれた心強い味方は、もうどこにもいない。そのことも、否、そのことが何よりアリアの心を傷つけた。
「到着いたしました」
騎士の言葉に足を止めて顔を上げる。
そこには謁見の間に続く重厚な扉があり、アリア達の到着を待っていたのか一部の隙もなく閉じられていたそこが少しずつ開いていく。今までアリアはこの光景を幾度も見てきた。その度に少しの緊張が走り、己を鼓舞しながら足を進めていたのを思い出す。
けれど今日は、さながら死刑囚のような気分だった。
「……断頭台みたい」
声とも取れない息で吐き出された言葉は誰にも届かず、扉を開ける音に飲み込まれる。
その扉が開け放たれた時、アリアは生まれて初めて逃げたいと思った。
けれどそんなことが許されるはずもなく、アリアは鉛のように重たい足を一歩踏み出して謁見の間へと身を投じた。
しん、と静まり返ったその部屋にアリアが静かに歩く音だけが響く。
けれど周りの視線だけは賑やかだった。
好奇の目、侮辱の目、愉悦の目、困惑の目、種類は様々だが好意的では無いことだけは確かだ。
「……来たか」
玉座に腰掛けた壮麗な男性、この国の王はどこか疲弊した顔でアリアを見下ろした。アリアは王の前で膝をつき、何度も口にした言葉を発しようとするが「よい」その一言でまた室内は静寂に包まれた。
「…結果から伝えよう。お前の聖女の任を解く」
ざわ、と空気が揺れた。
「静まれ」
アリアの心は凪いでいた。そう言われることがわかっていたからだ。
「…長きに渡りこの国、世界を守護してくれていたことに感謝する。ご苦労だった。…進退についてはまた神官長から伝えられるだろう、それまでゆっくりと過ごすと良い」
「……かしこまりました。この世界に、永久の平和が続きますよう祈っております」
声は、震えていなかっただろうか。
過ぎてみればなんとも呆気ない幕引きだった。
アリアには何も知らされない。新しい聖女のことも、何故召喚の儀が行われたのかも、知りたいことは何一つ知らされなかった。それはつまり、アリアは知る必要がないということだ。
たったそれだけのやり取りをして、アリアはまた教会へと戻る。
自分を見る視線の中に同情と哀れみのそれが増えていることがやるせなかった。
「本日より部屋が変わります」
戻っても変化は止まらない。
まず部屋が変わった。それまでは聖女として扱われていたからか広く清潔な部屋を与えられていたが次の部屋はベッドと机とあと少ししか物を置くスペースのない部屋に。
シーニャがアリアの側仕えではなくなった。シーニャは聖女付きの侍女だ。聖女がアリアから異世界の少女に変わったことで自然とシーニャもそちらに行くことになったのだろう。
…お別れも出来なかった。
人の態度が変わった。これが一番アリアの心を苛んだ。
嗚呼、人とはこうも立場で態度を変えるものなのか。
「おい、次はここを掃除しておけ」
その人は毎朝アリアに素敵な笑顔で挨拶をしてくれる人だった。
「なにこの有様は。女のくせに掃除も洗濯もできないの?」
その人は冷え性なアリアを気遣って温かいお茶を出してくれる人だった。
「邪魔だ。もっと端を歩け」
その人はいつでもアリアの心を慮ってくれる人だった。
聖女アリアに関わっていた人のほぼ全てが、アリアに対する態度を変えた。挨拶をしても無視されるなんて日常で、あの日王から言われた今後の進退の話なんて何もなかった。
聖女ではないアリアには、何も残されていなかった。
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