用済みの元聖女は闇堕ちする
白(しろ)
プロローグ
泥中の花
「酷い有様だな。お前が元聖女か」
やけに低い声が聞こえた。元聖女、それが自分を指す言葉だというのを地面に倒れた女性は誰よりも理解していた。
空からは雨が降り、地面に落ちたそれが跳ね返って土と一緒に頬に張り付き、長い黒髪にも泥水が付着して、確かに酷い有様だろうと歪に口角を上げる。
「…これが俺を愛と勇気だとかいうもので封印した人間の成れの果てか。興味深いな」
声の主が膝を折って女性の顔に張り付いた髪の毛を指で払った。その指も、視界の端に見える靴も、これだけ雨が降っているというのに濡れている様子がまるでなかった。
「俺と来るか、元聖女」
理解するのに数秒時間を要した。来るか、そう言ったのだろうかこの男は。
「何故、そんな顔をしているな」
泥水の中から女性は顔を上げた。そして自分を見ている男の姿に目を見開いた。
「……憎くはないか、お前を貶めた者全てが。壊したくはないか、その全てを」
──力を与えてやろうか。
爪の中に土が食い込むことも厭わず女性は地面に爪を立てた。
とうに光など失せたと思われた瞳に淀んだ炎が揺らめいたのを見て、男は一層愉快そうに口元に弧を描き髪を払った手をそのまま差し伸べた。
「ならば手を取れ。今日からお前は俺の物だ」
女性は血の気の引いた真っ白な手を伸ばして迷うことなく男の手を掴んだ。人生で二人目となる男との接触だった。
「……違う」
脳裏に浮かぶはかつての情景。穏やかで美しかった、もう二度と手に入らない、入れようとも思わない景色が記憶の中を漂って、そしてそれを真っ黒に塗り潰す。
「…私は、私のものだ」
元聖女の憎悪に歪んだ顔を見て、男は心底楽しそうに笑って見せた。
男がその手を引き寄せて腕の中へ細い体を閉じ込めたと同時に二人は消えた。
街には変わらず雨が降っている。女性がいた場所にはもう何も残っていなかった。
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