異端.3
…——
その講義は、昼食時を前にきりあがった。
「はらっぱのような毛色の君。少し聞きたいことがあるから来なさい」
(はらっぱ…?)
セレグレーシュが目を向けたとき、その師範は、うすっぺらなバインダーを片手、教習室を出ていこうとしているところだった。
「はらっぱって、だれぇ?」
「あの大っきい子じゃないぃ?」
「えー、でも、青いよー」
「わたし、
はせた視線より近い下方……年少の頭がちょろちょろしてるあたりで、思い思いの言葉が交わされている。
空や泉や海、
髪の色で呼ばれたことがあっても、野原や草原のように言われたことはない。
行動を迷ったが、それらしい形容詞もつかなかったので、冬期の立ち枯れした草原の色彩を表現したわけでもないだろう。明るい茶色や赤毛、金色系統の頭なら、いくつかあるので、そうであったら特定するのも
そういった判断のもと。
セレグレーシュは誤認を覚悟しながら、四つある講堂の出入り口のうち、師範の背中が消えた右手前方を目指した。
先へ行ってしまったように見えた白髪の男は、講堂から出たあたりで、ちゃんと彼を待っていた。
伸びざかりのセレグレーシュより、少しばかり背が高いだけの
そこに来てみただけの対象……セレグレーシュには、理由がわからない笑いだった。
口には出さなくても《はらっぱ》という表現で通じた現状をおもしろがっている――赤い虹彩の中心にあるその瞳孔は、やはり、人の眼球に定番の黒ではなく、濃く鮮やかな群青色をしていた。
「つまらないのだろう。だからって、あまり
「……オレ、人を捜しにきたので」
「ぁあ。それは聞いている。短期の
思い入れがなさそうに話していても、師範の目は理解できないものを見るそれ――表情だ。
「これでも、そこそこの素養・裏付けがなければ入れない
そんなことかとばかりに、その場から
家の敷地には、円や多角形の陣を描いた絵文字や放物線……螺旋や文字とも思えない紋様など。
肉眼ではうかがえない霊的構造物……力場が、地面や低空、物体などに、ありふれた装飾品のごとく組みこまれている。
東では恐々と身を
人里や野原、時には壁や道、空気中にモニュメントやシンボルのごとく
それは、この家でしっかり学べば最終的に築けるようになるという幾何学構造。
空間の裏っかわに隠れて人の目には映らないのに、現象に
他に目的を抱え、学習意欲の方がさほどでもないセレグレーシュだが、意図的に隠されて見えるその構造には、いたく好奇心をくすぐられていた。
捜している友人に「素人が触らない方がいいよ」と忠告されたものだろうと、気になるものは、やはり気になってしまうのだ。
《法具》とかいうものが、いくつも組みこまれているという模様。次元構造。
より単純な護符のようなものならセレグレーシュが生まれた土地にもあったが、二次元的で、念や印象がもたらす
どういった効果があって可能になったのか、いまの彼にはわからないが、それがこの地に人間主体の社会を開花させたのだという。
その言葉を立証するように、その造形を見かけるようになってから闇人や妖威の影をあまり見なくなった。
中間種である亜人はわりと見かけるが、その上をゆく存在は、ほとんどいないのではないかと思えるほどに……。
「そのへんに置かれている……《ホウイン》っていったけ? 道具……飾りみたいなのは別として、中になにか居そうな感じがするのがあるけど、なにが入っているの?」
「――うん。ここには、
「っ……
「存在を封じる組みあげは、一度はいったら、
《法印》という技術は、闇人を
セレグレーシュが目をぱちくりしていると、赤い眼をした師範は、ひと呼吸おいて意味深な微笑を浮かべた。
「ひとつ、聞いてもいいだろうか?」
「内容による」
「存在を封じる印と知らなかったんだよな? それなのに中に居るものと居ないものがあることに気づいたのか?」
「なるほど。フォル氏が目をつけるのもうなずける」
「オレ……。そうだなんて言ってない」
「我々は構成から予測するが、その知識もなく見ぬける素質をそなえた者は、まず、いない。中の存在に気づけるなんて、すごいことなんだよ? なんで隠すんだ?」
若い師範は不思議そうにたずねて、伏せた視線を右へ流した。
「学びたくないなら好きな時に出ていってくれていいんだ。どんなにもったいない資質の持ち主だろうと、強要はしないさ。ここは意欲のない者を必要としていない」
そんな相手の
「……。閉じこめられたりするのなら闇人は、どうして人を守るの?」
「非社会的な魔神や魔物――妖威は別として。眠っている
《
「自力で出られないようなところに、なんで……」
「それはここにいれば、おいおい解かることだ。
すべての
事情によっては意図せず閉じこめられる例もあるが……。いずれにせよ、理由はそれぞれだ。チリも積もればというやつだよ。
出たくなれば、
「キズナかなにか知らないけど……。闇人が人に縛られるのもわからない。裏になにか、あるんだろ?」
「それは隠すようなことじゃない。私は幼い頭にあわせて《鎮め》と《
白髪の師範の言葉は、しごく淡白な響きをもっていたが、黙ってさえいればクールな女性のようにも見える彼のおもては
手応えをおもしろがっていようと、くりだす言葉は、どこまでもたんたんとしている。それゆえ、目を合わせて話しているとなんとも言い表しにくい違和感をおぼえるが……。
この師範。口調や発言――言葉選びより、表情に本音が出るようだった。
「初期の使い手は《絆》を持たずに行動したから、多くの法印使いが天寿をまっとうすることなく逝った。技術はもとより、道具も材料もさして足りてはいなかっただろうし――(いまも充分とは言えない)……
そういった
のぞきや
なにやら思うことでもありそうな煮え切らないようすも見せていたが、白い髪の師範は、その表情を実務的なものに改めた。
「それより私は、確認したいことがあって、おまえを呼んだんだよ。おまえの
説明にもの足りなさを覚えていたセレグレーシュは、複雑な
「文字はだいたい読めるんだろう? 年少者あわせの講義をなまぬるく思うなら、いわれの
いまは君くらいの年や年配の入門者もいないし、このていどの滞在理由で、想定されたその知識量では、どうしても下に混ぜることになるが…――おまえ自身はどうしたい?」
「オレはまだ、ここにいるって決めたわけじゃない。だけど……。どうせ、やらなきゃならないなら、もう少し、なんとかならないかとは思う。けど…――」
「うん。そんなところだろう。だが、
多少手ボケでも感覚と制御力が突出していれば、けっこうどうとでもなるが……。術者にとって、作図力・筆記力・語学・数学・理学・鑑識・空間認識力は重要課題。基礎中の
法印の構成を理解し表す上で必要となる記号、表記法もある。まぁ、そのへんは、順をおって覚えてゆくとしても……いきなり上にまざっても
読みに問題がないなら上達も早いだろう。ここはチビどもにまじって集中的に
生活する上で不自由しないくらいに読めるとしても(語学オタクでもなくば)、日常的に使う単語・
あせらなくても実力さえつけば、上にあがらせてやる」
そこまで聞いたところで、セレグレーシュが少しばかり思案しながら問いを返した。
「
「ここをどこだと思ってる。南の図書棟には行ったか? 行くだけじゃなく、本を手にとってみろ。あそこは
「暇があったら読んでもいいけど……。その分、別の講義に出ろってこと?」
「そんなところだ。長居する気がなくても、学べる機会は貴重だ。午後は遅れるな。みっちり文字を仕込んでやる。その時、何冊か貸してやろう」
気軽にうけおいながら、白髪の師範スタンオージェは、ふふんとほくそ笑んだ。
(入ったばかりなのに《
《闇人》の中でも、友好的な者、温厚な者、
むかしの習慣性も抜けきれていないので、魔神や
くわえて法印がどんなものなのか、その認識も薄いようである。
人間に闇人の遺伝子がまじれば《亜人》と呼ばれ、色彩や外見、資質など、人間の型にはまらない特徴をみせることも珍しいことではなかったが、中間種である亜人は、大体において、法印使いに向かないもの。
それなのに純粋な人間には生じない変わった色調をしたその子供は、技を修めるのに有益な素養を備えているようだった。
発音に不自然なところはないが、言いまわしに東の癖を感じさせるところがないこともなく、
その少年を指導するようになってから、
(また、毛なみの変わった
白髪の師範は、去ってゆく少年の背中を
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