並行世界編
Another World 1 〜 side. 優樹
side. 優樹(another world)
――*――
愛梨が、身投げした。
すぐに緊急搬送されたが、意識不明。
そんな連絡が入ったのは、
「……何でだよ!」
病院に駆けつけたが、愛梨にはたくさんの管が繋がれ、目覚める様子はなかった。
「……愛梨。どうして……っ」
俺は、力なく垂れている愛梨の手をとる。
握り返してくれることのないその手は、少しだけ冷たいけれど、ちゃんと温かかった。
愛梨が観客席から声援を送ってくれているのを見るたび、何度この手に触れたいと思ったか分からない。
けれど俺には、触れる勇気も、資格もなかった。
「……ああ、もう」
――愛梨が観にきてくれなくなっても、もう、masQuerAdesの活動をやめるわけにはいかないんだ。
「なあ、愛梨……曲を聴いてくれる? きみを想って作った、新曲なんだ」
小さな声で。
愛梨の手に触れながら、耳元で歌い始める。
――もし時間が巻き戻るなら
あの日あの時
消してしまった連絡先
無視して駆けつけよう
きみのもとへ
きみのもとへ
もし僕に勇気があったなら
あの日あの時
きみは僕を拒んだかな?
それとも微笑んだかな?
僕の横で
僕と共に
もう戻らない?
いや、そうじゃない
これから掴むんだ
未来はこの手で――
「未来は……僕と……」
最後のフレーズは、涙に濡れて、言葉にならなかった。
観客は、眠る愛梨、ただ一人。
病室の中の、静かなコンサートは、幕を閉じる。
「……愛梨……また、来るよ。さっさと起きろよ」
俺は、涙を乱暴に拭いた。
腫れた瞼も、実らない恋も、仮面が全て隠してくれる。
「愛梨が起きたら、迎えに来るから。――仮面を外して、それで……新しい曲、聴いてもらうからな」
その時は、希望に満ちた曲を。
俺たちの人生、まだまだこれからだろ?
何があったって、何度だって、チャンスは巡ってくるんだ。みんなそれに気付かないだけで。
「愛梨。がんばろうな」
反応を返さないその指に、そっと唇で触れる。
眠っているきみにこんなこと、卑怯かもしれない。
物語の姫みたいに、王子のキスで目覚めたらいいのに。
……ああ、でも、きみにとっての王子は、俺じゃないのかな。
◇◆◇
今はまだ誰も、知らない。
優樹の出ていった病室で、ぴくりと指先が動いたこと。
深い眠りの中で、愛梨が見たもの――森の奥、静かな湖畔。
見上げる先には、優樹のやさしい笑顔があったこと。
この別世界でも、運命の赤い糸は、途切れていなかったこと――。
◇◆◇
「……あれ?
「まだ来てないのよ。珍しいわね」
「……連絡も取れないんだ。誰がかけても、『この番号は使われてません』って……」
「そうか。まあ、そのうち来るだろ」
それまでは俺たち四人でやってたし、そもそも
四人でのミーティングに、大きな問題があるわけでもなかった。
俺たちmasQuerAdesは、気心の知れたメンバーだけで結成されたバンドだ。
その中でも
ある日突然、マネージャーの
隠しているからというだけではなく、何故か妙に引っかかるというか、気になる人物なのだが……俺たちが話しかけてものらりくらりと逃げてしまう。深入りは許してくれそうになかった。
はじめて
初対面とは思えないほど、俺たちと息ぴったりの演奏だったのだ。
俺たちはアドリブがかなり多いバンドだが、それにもしっかりついてきてくれる。
まるで数年来の親友、戦友のように。
最初は加入に反対していた俺も、この演奏を聴いて、黙らざるを得なくなった。
正体不明の女性メンバー、
昔からのファンも、すぐに受け入れてくれたようだった。
その日。
結局、
*
ミーティングから数日が経ったが、いまだに
「玄野さん。
玄野さんは、
いつもかっちりしたスーツを着ている、日本人離れした容姿の、目鼻立ちがはっきりした女性である。
「あと三日……いえ、二日ね。
「へ?
「眠り姫は、王子様のキスで目覚めるのよ」
「……どういう意味です?」
玄野さんは、答えをくれることはなく、ただ意味深な笑みを浮かべていた。
と、そこに
「あっ! 玄野サーン! 今日こそボクとお食事にでもーっ」
「はぁ、そうね、今日は忙しいの。また今度ね」
「じゃあ明日はどう? 綺麗な夜景を見ながらワインを楽しめるお店があってね――」
結局、先程の話の真意も聞けないまま、竜斗から逃げるように玄野さんは去って行ってしまったのだった。
その後、玄野さんの提案により、俺たちはひとまず
*
そして、玄野さんに意味深なことを言われた二日後。
「優樹くん、ありがとうねえ」
「こちらこそ、連絡して下さって、ありがとうございました。すごく……心配だったんで」
病院の待合室から病室まで歩きながら、俺は愛梨のお母さんと話をする。
愛梨が目覚める前は、二人とも動転していて、大した会話もできなかったが……今は、心底ホッとしたような顔をしていた。
愛梨のお母さん、少しやつれた気がする。
「愛梨が入院した時、高校の卒業アルバムを見て、愛梨と仲の良かった三人のお家に連絡したんだけど……結局お見舞いに来てくれたの、優樹くんだけだったのよ」
「三人……あと二人は修二と朋子ですか?」
「ええ。まあ、二人にも色々事情があるだろうから、仕方ないわよね。一応、目を覚ましたことも連絡したんだけどねえ」
「そうですか……」
話している間に、病室の前に到着した。
愛梨のお母さんが、病室の扉をノックする。
「愛梨ー、優樹くんがお見舞いに来てくれたわよ」
「えっ、優樹が……!? は、はい、どうぞ」
扉の向こうから愛梨の声が聞こえてきて、俺は安心した。
変わらない、可愛らしい声。
目を覚ましてくれて、本当に良かった。
扉を開ける。
ベッドの上、まだ包帯を巻いた痛々しい姿で横になっているが、確かに愛梨は目を開いていた。
目と目が合う。鼓動が、早くなっていく。
「失礼します。……よぉ、愛梨、久しぶり」
俺は、できるだけ普段通りを装って、片手をあげて挨拶する。
『優樹』として愛梨に会うのは、おおよそ五年ぶりだ。
……普段通りってなんだっけ。どう接していたんだっけ。
「優樹……来てくれて、ありがと」
「おう」
はにかむように笑う愛梨に、俺もにいっと笑いかける。
胸がぎゅっと締め付けられて、泣き笑いになっていないか心配だった。
「あ、お母様、ちょうどよかった。午前中の検査の結果が出てますので、あちらでお話しできますか」
「ええ、はい、分かりました。じゃあ優樹くん、悪いけど、席を外すわね」
主治医の先生と愛梨のお母さんが出ていって、病室に二人きり。
先に言葉を発したのは、愛梨だった。
「……優樹、約束通り、迎えに来てくれて、ありがとう」
「――え?」
もしかして。
「
あの時、愛梨は起きてた?
「――聴かせてほしいな」
「愛梨……?」
俺をじっと見つめる愛梨の瞳。
なんだか、吸い込まれてしまいそうだ。
「お願い、王子様」
「――!」
その瞬間、俺は悟った。
俺は、俺たちは、今度こそ本当に、恋に落ちてしまったんだと。
「――何なりと、お姫様」
恋に落ちる音は、意外と静かなんだな。
どこか冷静に、そんなことを思った。
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