第43話 晴れ晴れと笑った
「で? 俺にどうしろと? はいはい、辛いですねぇ、宏海ちゃんとでも言えってか」
「……まぁくんの意地悪」
羽根のカウンターに突っ伏した僕に、まだ暑いのにホットココアを出す幼馴染は、そうやって僕を弄った。元々スラッとしてる男だから、マスターのベストもよく似合う。こういう男がきっと、カナちゃんの好きな人なんだよな。そんなことに気付くと、僕はまた深く項垂れた。
「何なんだよ。ジメジメして」
「ジメジメなんて……してるか」
「してるわ。自覚があんならいいけどよ」
「まぁくん」
「涙目で俺を見るな。どうせカナコのことだろ」
盛大な溜息を吐いて、彼は僕の頭を撫でた。いつまでも子供扱いだ。同じだけ年を取ってきたというのに。
「ねぇ、まぁくん。最近カナちゃんに会った?」
「あ、カナコ? こないだお前のコーヒー買いに来た時以来、会ってねぇよ」
「連絡は取ってる?」
「取ったかな……ブンタのことで何か連絡したと思ったけど」
まず疑うべきは、彼だと思った。そんなに新しい出会いがあるとも思えないし、僕以外の身近にいる人間は彼くらいだから。でも、まぁくんにはこの間の女の子がいる。相手がどう思っているか別として、彼は恋をしていると思う。だから念の為聞いたけれど、やっぱり違うみたいだ。まぁくんは、こんな顔で嘘を吐かない。
「あのね。最近、カナちゃんの機嫌がいいんだよ。ずっと。ルンルンしてて」
「カナコが?」
「そう。帰って来て、手を洗いに行くだけなのに、携帯持って行くんだよ? それってさ……やっぱりって思うじゃん」
体勢も変えず、カップの取っ手をなぞりながら言う僕に、呆れているのだろうか。まぁくんは黙っている。何だかそれが気に食わなくて、ムスッと顔を上げると、それだけ? と彼は言った。本当に呆れた顔をして。
「それだけって言えば、それだけだけど……」
「普通にカナコに聞けばいいじゃん。最近機嫌いいねぇ。何かあったのって」
「それで、好きな人できたとか切り出されたらどうするんだよ」
「そん時はそん時だろうけど。仮にそうだったとしても、カナコはそういう話は簡単には言わねぇぞ。アイツはちゃんと相手を見て、考えてから物を言うタイプだ。そういう大切なことは、絶対に」
数年一緒に住んでいる僕よりも、自信のある言い方をしたのが気に入らない。カナちゃんならそうだと思うけれど、どうしてもそう思いきれなかった。僕は今、友情以上の感情を持っている。それが友人として彼女を見る目を、濁らせるのだろうか。
「宏海。カナコはそこまで無責任な奴じゃねぇぞ? 自分でその生活に誘っておいで、簡単に止めますなんて言わねぇ。そう思うだろ?」
「それはそうだけど」
歯切れは悪かった。だって、カナちゃんには前科がある。勢いだけで、僕をこの生活に誘った前科が。
「宏海は、カナコのこと信じてねぇの」
「そんなわけ、ないよ」
「本当に?」
畳み掛けるように、まぁくんが言った。分かってるけど、そんなに簡単じゃないんだ。信じてる、信じてないだけではない。そういう話は誤魔化さず、きちんと話をしてくれる。カナちゃんはそういう人だ。それは僕だって信じてる。でも、問うてしまったら戻れない。かと言って、決定的な言葉を言われるのを待つのも辛い。僕は今、そのどっちつかずのところにいる。
「なぁ、宏海。こうなったら、もう言うしかねぇんじゃねぇの?」
「何を? 何で機嫌がいいのって?」
「違うわ。好きですって。ちゃんと結婚してくださいって、そう」
「な、何言ってんの」
「お前は初心か。まだ思春期か」
「五十だよ」
「知ってるわ。そんなことで狼狽えんなって言ってんの。ちゃんと気持ちを伝えた方が良いだろって話だよ。仮に相手がいますって言われたら、お前また気持ち飲み込むだろ。『そっかぁ、分かった』とか言って、ヘラヘラ笑うだろ。それ一生引きずるぞ。だから、ちゃんと伝えろ」
そう言った幼馴染は、とても大人の顔をしていた。本気で叱ってくれている。まぁくんには敵わない。相手が彼だったら、スッと身を引くだけなのに。彼ではないだろうことを察してしまうと、見えない敵に怯えるばかりだ。でも彼の言うように、言えないまま終わってしまったら、一生後悔し続けるのは想像が出来てしまった。
「ねぇ、プロポーズって……どうしたらいいんだろう」
「はぁ?」
「だって、もう何年と一緒に住んでて、表向きは僕らは夫婦。次のステップに彼女を誘うならば、プロポーズってことでしょ?」
「いや、まぁそうだけど……俺に聞く?」
「それはまぁ……そうだけど」
二人で黙り込んだ。互いにそんな経験がないのだ。答えは出ない。徐ろに、まぁくんが携帯で何かを調べ始めた。僕も同じように携帯を取り出したけど、指が僅かに躊躇う。プロポーズの仕方、なんて検索するのは、僕の中での大きな一歩だったから。
「宏海、指輪だ」
「指輪?」
「おぉ。シチュエーションは後から考えるとして、マストは指輪らしいぞ。言われてみれば……まぁそうか。手ぶらで伝えるのも、本気度が伝わらねぇだろうし」
「指輪か……」
今つけているペアリングに触れる。これはこの生活を始める時に買ったもの。毎日つけやすい価格の、普通のペアリングだ。特に彼女は仕事では外すことになるし、あまり高くないものにしたんだった。プロポーズをするならば、婚約指輪みたいな価格のものにするのかな。いくら位が妥当だろう。そもそもこんなシチュエーションでプロポーズをする人などいない。手本がないのだ。
「宏海、お前作れば?」
「指輪を?」
「そう。器用だし、出来そうじゃん。もしもカナコがちゃんとしたのを欲しがったら、それはその時。宏海の真剣な気持ちを伝えるのなら、金じゃねぇ。多分、そういう手間とか時間を掛けた愛情だ」
「愛情……」
茶化してやろうかと思ったけれど、その通りな気もした。大きな宝石が付いていたって、きっとカナちゃんは喜ばない。彼の言うように、真剣だと伝えるには石の大きさじゃないだろう。彼女のことを思って作る、か。喜ばれなかったらどうしよう、とも思うけれど、1カラットのダイヤよりもカナちゃんには響く気がした。
「まぁくん、やってみようかな。やったことがないから、手順とかわからないけど。ダメだったら、ちゃんと買うことにするよ」
「おぉ、おぉ。そうしろ。困ったらまた、ココア飲みに来いよ」
「うん」
そうだ。池内くんに、聞いてみよう。スッとメッセージアプリを立ち上げて、彼に連絡を入れる。彫金をやっている人がいたら紹介してもらえませんか、と。直ぐに返信がなくたって、何だかようやく目の前が開けた気がして、さっきよりもココアが身に染みる。だからようやく、僕は晴れ晴れと笑った。
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