第29話 あの子は一体

「お義母さん。ここの電球?」

「あぁそうそう。宏海くん、わざわざごめんなさいね」

「いえいえ。こっちに来る用事もあったし、気にしないで」

「有難うね」

「いえいえ」


 昭和の時代の照明。丸い電球をくるくると回し、新しい物と交換する。LED照明が普及してからというもの、こういう行為をしなくなったな、と思う。少し黄ばんだ電気の傘。懐かしくて温かい気持ちになるのは、僕もそういう時代を過ごしてきた証なのだろう。

 カナちゃんは、一人娘。少しずつ彼女は、この家の照明を買い替えている。電球の交換も心配になってきた頃から始めたらしいから、もうあと少しだ。一度に変えてしまうと寂しいだろう。キッチンは母の居場所だったから一番最後にする。彼女はそう言っていた。きっとそれも両親には伝えていない。こんな風に不器用で優しいのが、カナちゃんだ。あぁそうだ。ここに来ることをカナちゃんに連絡していない。直接僕に義母から連絡が来たから、多分彼女は知らないままだろう。一応、メッセージくらい送っておくか。


『電球切れたからって連絡もらって、カナちゃんの家に来たよ』


今の時間はまだ、彼女は診察中だろう。簡単なメッセージを送って、フゥと一息吐いた。どうせすぐに既読は付かない。

 カナちゃんとしてから、この家には一緒に来ることが多かった。彼女は親を安心させたかったのだと思う。きちんと夫婦のふりをして、仲良くやってるよ、と見せに来るのだ。それは僕の家にも同じ。ただ最近は、彼女よりもここに来ていると思う。アトリエからも近い。きっと、忙しい娘よりも些細なことが頼みやすいと思ってくれているのだろう。


「宏海くん、お茶入ったよ」

「はぁい。有難うございます」

「ご飯は食べたんでしょう?」

「あ、はい。ちょうど食べた後でした」


 座卓があったであろう時代を経て、客間に置かれたテーブルセット。四脚の椅子のうち、一番傷が少ないのが僕の席だ。既に居た義父と向かい合って座ると、わざわざ悪かったな、と彼は言った。ポツポツと二人で話をして、三人揃えばテレビから聞こえる音に釣られた話題に変わる。まぁこれはいつもの流れだ。自分の実家に行っても、大体は同じ。子どもたちの近況さえ問うてしまえば、そういう雑音に釣られるか、昔話をするかなのである。


「カナコは昔っから、こうと思ったら曲げない子でねぇ」

「あぁ……分かるかも」

「でしょう」


 カナちゃんと似た黒い瞳が、くるくる揺れる。義母は昔話をしながら、懐かしいわね、と義父に笑いかけた。


「昔から、カナちゃんは優しい人ですよ」


それは僕にとって当たり前の言葉で、嘘なく自然と出てきたのだが。二人は驚いたように黙ってしまった。何か気に障ることだったろうか。


「カナコは、外ではそんな風に受け取られてるのね。五十過ぎた娘だけれど、他所でどんな顔をしているのか心配でね。私たちが考えつくのは、ワガママ言ってないかしら、とかばかりなの」

「そうなんですね。僕の知り得る限り、カナちゃんはとても優しい人です。でも、ちょっと不器用だから……それがネックかも知れないですね」


 僕の苦笑を見て、義父母は嬉しそうに見えた。ちゃんと娘を見てくれている。そう思ってもらえのただろうか。そう思うと少しホッとして、二人の間から見える写真立てを眺めた。カナちゃんの子供の時の写真ばかりだ。一人娘である彼女を、とても愛している。それがよく分かる景色だった。

 

「宏海くん……その、仕事はどうなんだい?」

「仕事、ですか?」


 急に義父に問われた。

 この夫婦も、ご多分に漏れず典型的な『寡黙な父とよく喋る母』である。いつもここに座っているが、あまり彼から話しかけられたことはない。義母が会話を回し、そこに頷いたり、多少意見をしたりする程度。それが常だった。だから実は、今ピリリと緊張している。


「やだ、お父さん。そんな言い方。ごめんなさいねぇ」

「あ、いえいえ。心配ですよね。稼ぎはどうなんだって」

「いや、そこまでは言ってないさ。結婚する時に、色々教えてくれただろう。だから、そういう心配じゃない。俺は会社勤めしか知らない人間だからな。君のような職業が安定しているのかとか、知らんのだよ」

「ご心配おかけしてすみません。売上自体はいろいろなことで左右されますが、収入はだいたい安定しています。支出はきちんと折半してますから、そこは安心してください」


 要らぬ、と言われるだろうが、金の管理はきちんとしていることだけは伝えておきたかった。売上が幾らなんてことは、きっと望んでいない。純粋に娘が心配なだけなのだ。義母は申し訳なそうにこちらを見たが、僕にだって義父の気持ちは理解できる。だからネチネチと言われるよりも、こうしてまっすぐに問われた方がずっといいのだ。


「すまんな。つい」

「いえ。娘さんが傷付いたりするのを好む親はいないでしょうから。その点は理解しているつもりです。僕のような自由に見える仕事をしていると尚更。こうして真っ直ぐに問うてくれて、有り難いです」


 出る限りの優しい表情を作った。長くするような話題ではない。茶を啜りながら、どうしたものかと気不味さを携えていると、義母がタブレットを差し出す。僕のウェブストアを表示した彼女は、この鞄ね、と話題を変えてくれた。気付けば義父も身を乗り出し、三人でタブレットを覗き込んだ。義母はきっと、こういう物を作っているのだと示してくれているのだろう。お父さんもこういう鞄がお洒落じゃない? なんて問う。小さな肩掛けの鞄。意外と義父も興味を示し、義母が勧める。その光景がとても微笑ましかった。


「あ、もうこんな時間。帰らないと」

「あら、忙しいのね」

「はい。有り難いことに。今日は、そのサイトの担当者と打ち合わせなんですよ」


 最後の茶を啜ってから立ち上がる。お菓子でも持って行って、と言い出した義母に苦笑していると、同じような顔で眺めていた義父と目が合った。いつもなんだよな、と呆れたように零したが、その瞳はそれを愛しいと感じているように見えた。


「またゆっくり来てね」

「はい。今度はカナちゃんと一緒に」


 袋一杯の菓子を受け取り、二人に頭を下げた。目元は母親だけど、口元は父親に似ているな。ぼんやりとそんなことを思い、幼いカナちゃんの写真にそっと目をやる。


――あれ?


僕の目に、見たことのない子供の写真が映った。

 幾つも置かれているカナちゃんの写真の一番後ろ。あれは、男の子? 沢山ある幼い彼女は、全て長い髪をお下げを垂らしている。ぶすっとした顔で赤いランドセルを背負っていたり、中学校の入学式も同じよう。でも今ちらりと見えたのは、遠足のようなリュックを背負い、それを自慢するように無邪気に笑っていた。まだ幼稚園生くらいだろうか。隣に写っていたのは義母。そのおおよその年齢と写真の具合からして、十年以上、いや二十年ほど経っているのではなかろうか。何も気付いていないふりをして、その場をやり過ごした。二人に見送られ、義実家を後にする。気付かれてはいないようだ。

 池内くんたちが来てしまう。足は急くのに、仕事のことに頭がいかない。今見た写真を思い出し、ぐるぐると色んなことを考えていた。生け垣を横目に階段を登り、通りへ出る。人通りも多くはない坂道。いつもならこの辺で気持ちが切り替わるのに、今日はそうもいかない。あの写真が引っかかって仕方ないのだ。


あの子は一体――誰だ?

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