26話 その名前で呼ばないで
モーミンカフェを出た私たちは、外のベンチに並んで座っていた。
「クニョクニョのケーキまで食べたのに、よくまだ甘いもの食べられますね」
と呆れた声でことり先生が言うのも当たり前で、私だけバニラソフトクリームを食べていたのだ。
ことり先生はというと、ノートを膝の上に広げて、前のめりになって何事か書きつけていた。
「カフェでは考え事に夢中になっちゃって、ケーキの味もよく分かりませんでした」
「写真も撮り忘れたって騒いでましたもんね」
「騒いではいません! そんなことより、このシャツ本当に借りて帰っても大丈夫なんですか?」
そう言って手でつまんで持ち上げて見せたのは、ことり先生がリュックから出して貸してくれたチェックシャツだ。冷房対策で、夏でも持ち歩いているという。……ちゃんとしてるなあ。
それを腰巻きエプロンみたいに前に巻いて、スカートのしみを隠しなさいと言われたのはちょっとお母さんみたいだったけど。
「別にいいです。リュックに入れてたからよれよれで申し訳ないですけど、巻いて帰って下さい。スカート、クリーニングに出すんですよ」
「はあい。それにしても、」
とそこまで言って、私はことり先生が膝の上に広げたノートを指して言った。
「本当に美少女怪盗もので大丈夫でした? カフェでは私ばっかり突っ走っちゃってましたけど」
「良いんです。
「おっ、シゴデキ! 見せてもらってもいいですか?」
ことり先生が「シゴ……なんですか? 手シゴキ?」と言うのを流して、彼の膝からノートをするっと抜き取った。
アイスに気をつけながら、自分の膝にノートを広げる。
ページを見てまず飛び込んできたのは、女の子の絵だ。ことり先生、絵も描けるんだあ、ではなくて。少女漫画みたいな感じじゃなくて劇画調なんだあ、でもなくて。問題はその子の顔と髪型だ。
「これ、思い違いだったら大変恥ずかしいのでスルーして頂きたいのですが、若干、私に似て……ません?」
女の子の髪は肩の下までの長さがあって、柔らかいといえば聞こえはいいけれど、ぺったりとしたストレートの猫っ毛。丸顔で、曲線を描く眉に、存在感のうすい鼻に、小さな口が半開きですこし前歯がのぞいている。目は奥二重で、黒目がちだ。
その目が元気いっぱいに光っている。いや、元気いっぱいというか、瞳孔が開いていてキマってる感じだ。
「あ、モデルにしました」
「なんでですか!? ヒロインなんですから真剣に考えなくちゃ」
「真剣ですけどねえ。僕的には、奔馬さんの普通っぽさと、行動力と、ちょっと抜けてるところが良いかなって思います」
そんな風に目を見て言われたものだから、一瞬動きが固まってしまった。良いかな、というのは「主人公に」良いかな、という事だと分かっていても、ドキっとはする。ことり先生、言葉が足りてない!
と、手首に冷たいものが垂れてきて、それが溶けたアイスだと知った。
はわはわと慌てる私に、ことり先生からティッシュが差し出される。ありがとうお母さんキャラのことり先生。
「と、とにかく! 怪盗少女ものの漫画とか、今度送りますから! ね、あくまで美少女怪盗ですからね!」
「ううーん、でも」
これ以上この話題を続けていたら、墓穴を掘りそうだ。
「それより! ことり先生の筆名はとっても良いですね。呼ばせて頂いてみて、どんどんとしっくり来てます」
「僕としては外で呼ばれるとちょっと恥ずかしいですけど。そういえば、奔馬さんはいつ頃、筆名を使っていたんですか? 鹿野カコ、ですよね」
ああ、そらした先の話題がまた墓穴。カフェでは勢いで伝えてしまったけれど、結局、苦しみながらも書かないでいられないような人――ことり先生みたいな人――と私は違うんだ。未練は無いけれど、諦めた、という事実が、ことり先生を前にすると恥ずかしい。
これはもう、ごまかすしかない!
アイスクリームのコーンを口につめこんで、手を拭くと、勢いをつけて立ち上がった。
「あそこに観覧車見えますね! ワーノリタイナー! セッカクのユウエンチだしシュザイになるナー!」
「すごい棒読みですけど。シャツを前に結んだ状態で遊ぶ気ですか?」
「いや、ほら、これもオシャレな気がしてきましたし」
ことり先生の腕を引いて立ち上がらせる。素直に立ち上がった彼は、ネルシャツを前掛けみたいにした私の姿を、顎に手をあてて眺めた。それから、
「オシャレはよく分からないですね」
というマジレスを返してきたのだった。
さらには、観覧車は断固拒否だとも返される。打ち合わせも終わったことだし、もう解散したいとも。
ごまかしたのは自分だけれど、言うべきことを言っていない気がして、気まずい。でも解散したいと言われたら、それ以上引き止める理由も特に思いつかなかった。
駅への道すがら、観覧車を背に歩きながら、ことり先生が呟いた。
「連絡先も交換したことだし、もう凸はやめてくださいね。普通に心配なんで」
それはそう、なんだけれど。
観覧車も断られたし、急によそよそしくなった。 観覧車、と口に出したとき、ことり先生の目が分かりやすく泳いでいたから、困らせてしまったのかもしれない。もしかしたら、距離を置きたいのかもしれない。
そこまで考えて、胸の奥がかすかに痛んだ気がした。
駅は近いし、二人の歩は緩まずに進むしで、あっさりと駅の改札に着いてしまう。
私たちは逆側の路線に乗るので、改札を入ったらもう本当に解散だ。
右、左、右、とテンポよく前に出されるつま先をにらみながら歩く。
もやっとした気持ちを抱えたままの解散を前に、私はまたぐるぐると考えていたのだ。
ことり先生は本当にこれからも私と連絡をとってくれるだろうか。二人三脚で作品を作ろうという気持ちは萎えていないだろうか。
「どうしました?」
ことり先生の声に顔を上げると、私は無意識に彼のTシャツの裾を掴んでいたらしい。
あ、とか、う、とか声を出してみても、言葉は見つからない。
ことり先生の後ろ、数メートル先に改札が見える。どうしよう。
「今日は急だったので断っちゃいましたけど、その、話を作る上で取材が必要になりそうでしたら、もっと色々あるところに行きましょう」
そう言ってくれたことり先生の顔は、逆光でよく見えなかった。
緩くうねる前髪をいじる指が、印象的だった。
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