第23話 凸翌日のはなし

 田原小鳩を直接訪ねていった日の翌朝のことだ。


「おはようございます!」


「おー、早いな」

 

 しいんとしたオフィスに足を踏み入れたとたん、正面の編集部長デスクに葉山編集長の姿をみとめて、慌てて挨拶をする。

 コーヒーを飲みながらなにやらファイルをチェックしているその姿勢は、椅子に根をはったようにしっくりきていて、ついさっき来た、という様子ではない。

 

「葉山編集長こそ、どれだけ早くいらしているんですか?」


「管理職は時間外がつかないからな、別に何時に来て何時までやってもいい」


 そういう話では無いんだけど……と思いつつ、席につく。もしかして、早く来すぎるのと早出の扱いになってしまうからダメなんだろうか。PCを開いて勤怠管理ソフトの画面を出す。若干の気まずさをおぼえながら、出勤時間を打刻する。

 

 

 私はいつもより三十分早く出社していた。今までも三十分前には着くようにしていたため、始業時間の一時間前に来てしまったというわけだ。

 なぜこんなに分かりやすくやる気を出しているかというと、もちろん田原小鳩がきっかけだ。

 メールボックスの未読件数をチェックしながら、昨夜に田原小鳩とのやり取りを思い出す。

 彼を傷つけるような電話口での発言に責任を感じて、直接会いに行くという余計なおせっかいを重ねた私に、彼は前向きに答えてくれた。……まあ最初はちょっと、いや、かなり嫌がられたけど。

 私の言葉のせいで、彼が書けなくなるのは嫌だった、というエゴも理解していくれた。


 ただひとつ、まだ伝えていない私のエゴがある。

 投稿を二年で諦めた私が、五年間ものあいだ投稿し続けている彼に、なりたかった自分を重ねているっていうこと。

 書き続けられる人は、やっぱり書き続けていてほしい。それは私の個人的な満足でしかないかもしれない。

 性的なものへのトラウマは話せた――彼が受け止めてくれるだろうって思えたから――けれど、自分がたった二年で諦めたという事実は、話せなかった。

 

 そこに後ろめたさがあるからこそ、せめて編集者として急成長を見せて、彼と一緒に頑張ってみたい。

 そのためにはまず、仕事を頑張ることだ。うん。ということで単純な私は、まずは早く出社するぞ! と行動した次第だ。正直眠い。なんだかんだで、海女さんのあわび小説も半分くらい読みすすめて夜ふかしだったし……。

 

「わ、高野先輩、また深夜三時に返信してる」


 メールチェックをしながら、思わず独り言を呟いてしまう。

 社用スマホを携帯している先輩たちは、時間に関係なく、担当の作家さんからの連絡にはすぐに返信している。

 私も先週からやっと持てるようになったわけだけれど、帰宅したら放っておいてしまっていた。なんなら通知も切っていた。

 ……今日から夜も通知を切らないでチェックしよう、どんどん吸収しないといけないんだから。

 それから郵便物を仕分けして、各人のデスクに置いていく。今日のスケジュールを、共有カレンダーとメールでもう一度確認。

 ああやっぱり眠い、ということで、給湯室の片付けがてらコーヒーを飲みに行く。いつでも無料で飲めるコーヒーマシンがあるのは最高だなあ。

 なんてやっていると、始業十分前になって高野先輩が給湯室に駆け込んできた。


「はよー! ごめん鹿ノ子ちゃん、アタシにもかけつけ一杯! ブラック! じゃ!」


 とだけ叫んで嵐のように去っていく高野先輩はいつでも元気だ。ハードワークなのに、肩からは丸めたヨガマットをかけている。週に三回ヨガに通っているらしいけれど、いつ寝てるんだろう。





「そんなん、合間よ。隙間に五分でも十分でも寝るわけ。慣れたら一瞬で寝て一瞬で起きられるよ」


 と、ランチの席で高野先輩が答えてくれた。口にはカツカレーを詰め込み、テーブルに置いたスマホの通知を常に確認している。


「軍隊みたいですね」


「葉山編集長とか隊長っぽいよねークールビューティだし。サーイエッサーっつって、あはは!」


 敬礼もどきをする高野先輩の口の端にルウがついている。子供みたいな見た目も相まって、紙ナプキンで拭いてあげたくなる衝動を抑えて、渡すだけにとどめる。

 

「私も早く戦力になりたいです。まだ部隊に貢献出来ていない気がします」


「これからこれから。でもさ、今日、出社早かったらしいじゃん。何かあった~? やる気満々?」


 口を拭いながらたずねる先輩に、曖昧に笑って返す。高野先輩は「ふむ」とつぶやくと、ずいっと体を前に乗り出して小声で言った。


「もしかして、例の応募者となにかあった? 昨日の今日、じゃないや、昨日の昨日で?」


「う、え、はい。すみません直接、話しに行っちゃいました。内密で、オネガイシマス……」


 恐縮しながら告げると、高野先輩は手を叩いて笑いだした。

 

「あっはっは! 根性入ってんね! まあ、けしかけたのはアタシだし。今日はすっきりした顔してるから、そうかもなーとは思ったよ」


「勝手なことばかりで申し訳ないです。でも、私の電話で、彼は書けなくなっていたみたいなんです」


 私は、昨日の夜の出来事をかいつまんで話した。セクハラだと編集部内で受け止められていたが、誤解だということ。ただ彼は、その事実を知って、書けなくなっていたこと。書けないけれど、書きたくないわけでは無さそうなこと。

 そして、彼の執筆が止まってしまったのは、リリンに迷惑をかけてしまったという恥ずかしさと罪悪感からトラウマ化したかららしい、ということ。


「だから、リリンに応募できる作品を書いて汚名をすすいだら良いんじゃないかと思ったんです」


 そう言った時、黙って聞いてくれていた高野先輩の丸眼鏡の奥の目が光った。


「それで? 資料は送った?」


「資料? ですか?」


「彼は初めてのジャンルに挑戦しようと思ってるんでしょ。少女小説オタクの鹿ノ子ちゃんのセレクトした本と、リストでも作って送ってあげたら? リリンとしての仕事じゃなくて、鹿ノ子ちゃんの趣味みたいな活動だから、自腹になっちゃうけど。協力したいんでしょ?」


「っ! 思いつきませんでした!」


 立ち上がって伝票を取ろうとすると、横からすばやく高野先輩が取りあげる。


「お会計しておくから、先に戻ってていいよ~。あ、趣味の活動をするときは業務時間外にお願いね」


 伝票をひらひらとさせながら、高野先輩はもうレジに向かっていた。


「あ、ありがとうございます!!」


「お昼休みあと二十分ね~」


 バッグを持ってお店を出る私の背中に、高野先輩の声がかぶさった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る